マイ・ブロークン・マリコ for hachinohe city
マイ・ブロークン・マリコを観た。
あっという間の85分だった。
シイノの一喜一憂に感情移入し、時には気性の荒さが垣間出るスッキリした性格が歯切れが良く感じる。
「君には”親友”と呼べる人はいる?」
僕には”いない”。
シイノのように死別したわけではないが、大人になり日々をこなすことで精一杯の毎日を送っていたら、知らずのうちに周りからいなくなってしまった。
いや、もともといたんだろうか?
その点シイノは羨ましい。
マリコはべったりとシイノに寄り添っていてくれた。頼りになる友達だ。
そして、シイノもマリコがいたから強くなったのかも知れない。
「マリコを守る」
それは使命だったのか。
ただの気が合う中の良い友達だった、とは言い難い強い関係。
シイノもマリコを守る使命があったから生きて来れた。
そうとも言えるかも知れなかった。
マリコが窮地に立つ時、
いつもシイノは闘った。
それは不条理な大人への叫びであったり、
マリコをひとりの人間として見ない男への冒涜だったり、そんな幼いふたりを見逃しては累積する日常社会への嘆きに対して。
もしこの世に神様がいるとしたら、こんなふたりの叫びは神様にまで届くのだろうか?
聞いてくれるのだろうか?
そして‥
”神様はいた。”
またふたりをひきあわせる。
ふたりは”まりがおか岬”を目指す。
そこは神様がひきあわせてくれた場所。
”まりがおか岬”は今、目の前にある。
マリコはここへ来たかった。
そして今は一緒にその場所まで来れた。
吹きつけるススキの穂を揺らす風
舞った真っ白い遺骨をあたたかみのあるオレンジ色に照らす夕陽
遠い遠い場所から揺られてきた白波の音
その波はふたりと同じように遠くからきたものだろう。
そのふたりをそっと見守る男 マキオが”天”から降りてきたような言葉をなげかける。
「死んだ人のためにも 生きていくしかないんじゃないですか?」
自ら命をたった者
自ら命をたとうとしたけど死ねなかった者
そして、ひとり残された者
3人の命が3人の命の間を行ったりきたりする。辿り着く場所を求めるよう この旅のように。
映画を撮った同じ11月にロケ地”種差海岸”(別名:鮫ヶ崎岬)へ行った。名物の天然芝である、緑の芝は映画には映ってなかった。
映ってなかったが、この天然芝は圧巻だ。緑の絨毯と例えても言葉が軽すぎる。
その場所の記憶は白く靡く多くの穂波。
素敵な場所
映画というものはここまで撮り方によって普段の景色を知る者にとって驚きを与えるものなのか。
こうして感想を書くと重い話になるが、軽めには書けない。これはそんな映画である。
死者との対話
ふたりの心のけじめ
再生 生きることとは
どれだけ永い路が続くのだろう
いのちがドクンと反応した
映画っていい。
◎マイブロークンマリコ番外編 《ロケ地を語る‥》を読みたい人は続きをどうぞ。