夏だし 妖怪の話①
段々と今年も7月も終わり8月になる。
8月のお盆も近くなると妖怪の話を思い出す。
特に暑さが厳しい8月なら尚更だ。
僕は現在46歳。過去に妖怪に出会ったのは2回ほどある。
1回目は小学校3年生の夏。8月の暑い日の午後だった。今思うと時間帯から言って夏休みだと思う。
小学校3年というとまだ部活動に所属してなく、その頃の年代はいちばん放課後や夏休みに家に帰りランドセルを置くと何処かかしらへ遊びにフラフラといくのが習慣になっていた時期だ。
その日の夏
僕らは近所の広い煙草畑でかくれんぼをして遊んでいた。
家から学校までの距離は3キロほど。
その煙草畑は丁度学校までの通り道、中間あたりの距離にあった。
夏になると煙草の葉は背丈が大きくなり子供にとっては丁度背丈上まで隠れるぐらい大きい。
かくれんぼするにはうってつけの隠れ家となるのだ。敷地面積からいって小学校の校庭一周ぐらいの大きさはあった。そのぐらい広い煙草畑だ。
一度隠れるとなかなか探しだせない。
煙草畑の隠れ蓑には弱点がある。
煙草畑は榁が真っ直ぐだから一列ずつ綺麗に整列して植えてある。よって場所が長方形として長い距離を”縦”とし短い距離を”横”と見ると条件固定すると、横のラインから茂みを探すのは困難であるが縦のラインから茂みを探すのは簡単だった。
横より縦の方が長方形になっている分畑のラインが少ない。よって縦のラインの1番端っこに行き反復横跳びのような動きでラインを時々変えながら一列ずつ探すのがキモであった。
僕は誰にもそのコツを教えなかった。
僕が鬼になれば友達をすぐ見つけられ、友達が鬼になると僕はなかなか捕まらなかった。
その日。かまいたちに切られた日、そのタイミングは僕は後者だった。
いつも通り友達が鬼で僕はなかなか捕まらず段々と時間が経ち隠れている自分が孤独感を増し不安になった。
夏の日差しが強い。
大きな煙草の葉を探して葉の下の影に隠れて暑さを凌いで鬼の友達が見つけてくれるのを期待していた。友達は僕を含めて3人だ。
葉の下に隠れて15分。蝉の鳴き声とカサカサとたまに揺れる煙草の葉の音しか聞こえない。
ほんとに友達はこの煙草畑にいるのだろうか?
不安が不安を増し僕はもう見つかってもいいさ、と煙草畑の茂みから身を乗り出した。
丁度見つかりやすいようにと畑と畑の間がいちばん開けたど真ん中の通りだ。
身を乗り出した、、
「あれっ、やっぱりいないなあ。。」と文字で言うといないなあ。のいない‥ぐらいまで頭がよぎったぐらいのタイミングで‥
カサカサと煙草の葉が揺れるぐらいの風だったと思う。しかしその時は違った、、
被っているメッシュ地の野球帽が飛ばされるぐらいの風が友達を確認した方向から一瞬のうちに列の端から端まで吹きついた。
僕は帽子を飛ばされまいと、帽子を押さえようとしよう、と、そのしようとする動作も追いつけぬほど風?は吹き去っていった。
手は帽子を押さえようと上げた手が帽子に付く前に風はもう過ぎ去っていた。しかし、おかしい。あれだけの風?なのに帽子は被ったままだ。そう埃もたたなかった。あれだけの風?で、立っている場所は間口が広い土場なのに。そして、今思うとおかしい。あれだけの風?なのに間口に2列に並んだ僕が立っている右側列も左側列も風が吹いたのに不動だった。そう。あれだけの風?だったのに。軽やかな風でもカサカサ揺れる大きな葉っぱ(煙草の葉は大きい)なのに‥
しばらくボーぅとしていた。
気がつくと鬼だった友達が前から声をかけて出てきた。
「ああーん。、おまえよー全く見つけられなくてかえってつまんねえや。こんなに探せないとすぐ夕方になるよ、帰ろうっ」
と出てきながら
嫌そうに喋りながら出てきた。。そして、、
友達の顔が下を向く。
「おいっ!おまえその脚!どうしたのよ!!」
僕は
「ええ?なに?‥」
なんのことかわからないまま彼が言うように自分の脚を見た‥
びっくりした、、というより
見て見ぬふりしたという方が伝わる。
僕は一度見て
もう二度目は見れなかった。
それまで歩けていたのに
既に切れていても数歩は歩いたはずなのに、、
さっき傷を見てしまった瞬間、、歩けなくなってしまった。。
右脚膝下から血が出て脛はその目のような所から涙を流したような赤脛になり
その膝下にはパックリ肉が抉られて目のように奥の白い骨が露出していた。。
鬼役の友達が大きな声を出した拍子に3人目の友達が「どうしたの?、」と出てきて
今度は2人同時にぎゃああと怖いものを見た時のようにそのまま驚いて怖すぎて自分達の家まで帰ってしまった。
僕は煙草畑のど真ん中へ血を流したまま取り残されてしまった。
今思うとその時の彼等の行動は理解出来そうな気がする。
本当に怖いものを見た時人はどんな行動をとるか?おそらく彼等のように人は逃げ出す。
それは自分を守りたい?いや自分が大事だからだ。当時はその気持ちを理解出来なかった。なぜこんな僕を置いて逃げたのか、誰かに助けを呼ばなかったのか、いつもどんな時も一緒に遊んでつるんでいた友達が、なんで一番の緊急事態時に姥捨山のように僕を取り残して帰ってしまったのか。。ほんとにその瞬間は惨めそのものだった。
さて、こんな状況で僕はどうしたらいいのだろう。。
多分僕は何とか家までたどりつけた。
記憶は何回思い出そうとも思い出せないが
血だらけになった脚で家にいた。
家にいた。のは覚えている。
そして不運なことにそんな血だらけなのに家には誰もいなかった。。
田舎の家は玄関に鍵をかけない。当時はそうだった。だから家の中には入れた。
しかし、家に着いた頃には日が傾きオレンジ色の夕時になっていた。僕は煙草畑から自分家まで一体どれだけの時間をかけて帰ってきたんだろう。どう考えても時間がかかり過ぎだ。たかだか1.5キロの距離を1時間以上もかけたぐらいそれはおかしなタイムラグだった。
僕が遊びに行って帰ってくるのがいつより遅かったから婆ちゃんは夏の涼しくなった夕暮時間に畑へ行ってしまい僕の状態には気づかなかったのだ。(夏休み中は婆ちゃんが僕の世話やきをしていた)
そんなこんなで僕はただどうすることもなく、どうすればいいのかわからなく、ただ待っていた。誰か家にくるのを。
婆ちゃんをあてにはしなかった。一度畑に行くとどんな時も帰ってこないのを知っていた。それにもし家に帰ってきたとしてもどれだけの傷かも分からない。(擦り傷にキンカン塗るような人だから)
ただひとつの可能性として期待していたのは、友達が友達の親に言い、友達の親が家に来てくれるのを期待していた。「そうだ。こんな傷だ。友達が友達の親にきっと伝えてくれてる。きっと来ると思う」と。。
けれど、待っても待っても誰も家にはこなかった。そうして時間が過ぎた。
ちょっと寝てたかな。、
玄関に腰掛けて靴も脱がずに(脱げずに)
横の壁に肩を押し付けぐったりして寝ていたと思う。
車の音が聞こえた。
僕は玄関の扉を開け放っていたので
音が聞こえたと同時にそれがすぐ母親のものだと直ぐに気づいた。
うっすらと暗くなった。
母親は看護士だ。当時は看護婦か。
僕が玄関を開け放ってただ座っていたのに母親は直ぐに気付いた。
そして傷口に目をやると状況がこれまた直ぐによみとった。僕に肩をやり抱き起こし外にある水道でパックリ開いた傷を流しほぼ固まって赤い僕の脛を洗い、パックリ開いた”目”みたいな傷に大きなガーゼを当てテープで養生し近くの病院に僕を連れて行った。そして、
丁度先ほど、家で僕の傷を養生しているタイミングでお婆ちゃんが畑から猫車を押して帰ってきた。母親は婆ちゃんに何やら一喝叫んでいたが、僕は何となくその状況が分かった。それでも婆ちゃんの事は後で悪く言わなかった。婆ちゃんにとってはその日もいつも通りのルーティンだったから。。
その日の近所の病院も凄まじかった。
僕は病院にいったら少し安心したのか、心では「僕の傷がいちばんひどいんだ。こんなに混んでいるけど、僕がいちばん先に先生に診てもらえるのに違いないのさ。」っと妙に自信ありげに誇っていた。強いボクサーが弱いボクサーを見下すように。。
そんな時母親が僕の隣で言った。
「ほらっ、前の席の右の人を見てごらん。指が取れてるでしょ。ああやって指は取れても直ぐに持ってくれば何とかなるもんなのよ。」と。
僕は前の席の右側の中年手前ぐらいの彼を母親が言う通りの患部をみた。出血を抑えるためにギュッと患部を握っている。そして彼の表情は驚くぐらい何事も無いようにじっとしている。絶対痛いはずなのに。痛いそぶりも見せない。
僕は思った。あれが”男”の姿だと。
男は痛くても痛いと言わない。
疲れても疲れたと言わない。
泣きたくても泣かない。
子供心にそう思った。
‥今でも覚えている。
‥医者。お母さんコレどこで切ったのですか?ずいぶん綺麗にパックリ切れてますよ。
‥そう。医者に言われても、誰にも分からない。母親はともかく、
僕でさえ、、分からないのだから。。
医者どう思ったのだろう。「自分がどうやって脚を切ったのか分からないなんて、この子頭おかしいのじゃないか?」なんて思っていたはずだ。
いくら聞かれても
誰に説明しても
一緒にいた友達でさえも分からないのだから。
謎でしかない。
病院での僕の傷口の処理、
抉られた目は消毒され、
でっかい鮑の貝の様なギザギザの棘が付いた洗濯挟みの様なもので傷口を挟み
そしてがま口財布のように目が閉じた部分を裁縫するように僕の脚縫られていった。
そう麻酔なしで。
今も思う。
穴が空いた脚で歩いて帰ってきたこと(おそらく)
穴が空いた脚でずっと誰かが帰ってくるのを待っていたこと
そして穴が空いた傷口を処置する時、麻酔無しで我慢したこと(指無し男がいたから我慢できたと思う)
何日かたって母親と煙草畑に行った。
ココだよ。
と母親にいっても煙草の葉は綺麗に刈り取られ
事故現場を見ても母親は首を傾げるだけだった。
そしてポツンと畑の真ん中に置いてある廃車になった動かない車のバンパーの角部メッキ部分を指差し「きっとこの角部に膝を当てたのよ」と車のせいにして原因をこじつけた。
僕はしっかりと覚えている。
確かにこの車は煙草の葉の茂み列と列の間にハッキリと分かるように置いてあった。しかし、どう考えても当たったら分かるしバンパーには僕の肉片は付いていないし、バンパーじゃスパッと切れない。母親だってそれは分かっている。
母親は何かを隠したいのだ。
僕には母親の嘘ぐらいわかってるつもりだ。普段嘘をつかない人が嘘をつく時ほどわかりやすいことはないのだから。。
脚は治ったが、46歳になった今でも毛は生えない。左脚に比べて肉片もちょっと薄い。
小学校4年生になると部活動がはじまり
あの頃の事は日々の忙しさで蓋をするように忘れていたが、いつだったか
”かまいたち”という妖怪の存在を知り
あの時の状況と条件が全く合致する事が分かった。
状況。
方角。かまいたちは西側、八甲田山側(山側)から東側、平地(海側)へ真っ直ぐの方角だった。
煙草畑の列の線の様に真っ直ぐ。
その”禁断”の真っ直ぐな”かまいたち”の通り道を僕は偶然”かまいたち”の通る時間に道を塞いでしまっていたのだ。それも半分身を乗り出して、”特に”右脚を出して。。
かまいたちは一人が切り一人が薬を付けていく。という。そこはどうかと思うが傷の治りは早かった事を覚えている。そう思えば薬付けた?とも言えるし、分からない。
きっと妖怪に会ったものは僕の様にこう言うだろう。「よく覚えていないけど妖怪だったろう」と。なんて言うか、やり方がずるいのだ。
分からない様に”やる”から。だ。
人間はきっと妖怪には敵わない。おそらく秒とか時間の次元を超えている。
僕はあれから何十年立った今も怖くてその場所。
”禁断の聖域”には近づけないままでいる。
※その場所をタイトルページにあげる。冬に実家行った時に寄りました。そのうち8月の写メも取りにいきます。(現在は煙草畑も無く荒地となっている。もう煙草畑の列のラインは無い。”禁断の聖域”は分からなくなってしまった。)