済・2024年
2024年が師走に入り、今年を終わらせたい、と思います。
動的に動き回り、いまだかつてない世界で多様な経験をし、僕の血肉となる記憶と体験を得た去年。華々しい去年を、学校を飛び出した僕の第一章と意味づけるのが簡単である一方、カレッジを卒業して以降、家にいる時間が多くうだつが上がらない時期も、ばててたるんだ時期も多く経験した今年を、僕は何とか肯定したいです。
カレッジで15歳であることを学び、僕は清水としてではなく位置人間としての恋も人間関係も原体験も必要だ、そう思いいわゆる一般的な道、学校に戻りながら自分で幅の広い経験もする、と決めたのが今年の3月でした。
ただ、そう思いだして麻布に帰ると、そこに待っていたのは自分の高校生活がもう終わるという現状でした。
文化祭は最高代、麻布のシステムで行けば運動会に参加しなくば、6月以降はもはや受験生、文化祭でも部活でも青春を享受しようとすれば新しい最高代を妨げるまさに老害なのです。
老害にはなるまい、そう腹を決めて綺麗に麻布生活を締めくくろうと思ったぶんかさいのフロンティア展示「黒歴史アート」は何の巡りか展示大賞を逃し、その夜に「keiさん」というおじさんに終電の中で「君はハッピー人間だよ」「クリエイター気質だ」と言われたのもあいまり、僕はここでは終われないのだと思い、意気揚々と
「作り続ける」
ことにしました。この作り続けるというマインドはかなり今の僕の根本にいる気がするし、続ける先によりよい未来が、成長が待っている
かならずしも、去年のように社会に躍り出ることが、「充実」ではない、サスティナビリティを持つためには自分のコンテンツが必要だ、そう思うようになりました。やや文化祭の展示で燃え尽き症候群気味になっていたこと、中身のない発信に自分の株が下がると恐れたこともあるかしら。
5,6、7月あたりの「心はあるが、技がない」という葛藤を経て、今の自分が作ることを少しづつ肯定できるようになった7月。
u18への参加で、「僕は表現者だ」というアイデンティティを増長させられたこともあり、僕はまずは、と仁(zine)の製作に乗り出します。
結論から言うと、腹をくくるのに3が月もかかったのに、そのあとも仁の製作は行き詰りました。夏はなぜかまた再度プロスピとパワプロの育成機能にはまってしまったり、夏バテもあり、8月号の文章が完成したのは10月半ば、刊行に至っては11月の半ばでした。
11月の半ばにはnightwalk with teenagersというイベントに参加し、遂に自分がティーンとしてはもはや老害なこと、これからは若者ではありつつも大人のフィールドに行かねばならないことを再確認させられました。
そして大人のフィールドに移行しても、「作り続ける」ために、自分の学問的素養と、僕の言語を体系的に翻訳できること、より広いフィールドを獲得すること、を求めて、今腹をくくって東大受験をするわけです。
もはや老害である僕に(しかも去年の華々しさと下手な諦観からプライドの高い)、今高校生としてしゃかいてきに動くことなどもう残っていない、学校も受験ムードでだらだらと高校生に未練を垂らしている場合ではない、と思うのです。
一つ、今年に後悔があるとすれば、探究テーマを持たなかったことです。勿論日々の生活の中で観念的な施策を巡らすことは多かったですが、それらに一貫性はあまり見いだされず、行き当たりばったりという印象が強かったです。
それをなんとかまとめて、「僕考えてます」と言おうとしたのが、仁であろうと思うと同時に、やはり頭の柔軟なこの時期の一年分の「考える力」を注ぐ対象は、一つや二つ固定のものがあった、それが課題研究でも、小説でも形になるとよかったなと思います。
今からでもやろうと言いたいところですが、まずは毎月の仁が追い付けるようになることが先決かな。
同時にもう一つあるのが、「自分に自分の糧となるものを何か与えられたのか?」という疑問です。人は経験でも学習でも獲得(栄養供給)のフェーズと消費のフェーズがあると思います。2023年は一年間自分に経験のリソースを与えたと思いますし、下北カレッジに居住していた間は、周りの友人たちに感謝することに情報や学びのリソースを与えられたと思います。
勿論今年をそれを日々の生活の中で体感していく時期、くみ上げて体系化して僕の律令としていく時期と定義することもできそうですが、後悔しても仕方ないこととして、もうすこし、いんぷっとがあってもよかったのではないか、形にならない僕の内側に無形・液体のまま溜まるようなものに割く時間があってもよかったかもしれないと思うわけです。
これは、「未来の自分へ」という観点ですが、もちろん時間の使い方は未来のためとは限りません。
例えば僕が今から突入する受験勉強はそんな側面が強いですが、本来僕はそれに否定的で、カレッジや2023年がそうであったように、今を全力で楽しんでいてその結果としてなにかがたまっていくという形態のほうが健康的かつ理想的なように感じます、そうでなくてはそれは「青春延滞」をしているにすぎないですから。
では僕は2024年過去現在未来何によって自分が時間を割く価値を支えていたのか(まあ当時は考えていないでしょうが)というと、恐らく4月と秋は過去、梅雨から夏にかけては現在だったのではないでしょうか。
春から夏にかけてはかなり、「常に悩んでいた」という記憶があります。専らそれは作ることに関するもの(加えて恋?)でしたが、真正面からその問題と向き合っている感覚がありましたし、当時の考え、「作るへの考察」「6月の点的自己という自己観」「7月の感情価値説」などは僕の歴史に大きな影響をもたらす思想です。
この期間に意味付けをしたい僕は、思想の変化を記さないといけないし、いまさらになって当時は何ものかわからなかった大きなものを懸けた関係を恋と呼ぼうとするのです。
4月は「麻布での生活(青春)を閉じる」という観点で、文化祭の展示制作に没頭しました。文化祭当日には白装束を着て、そこに友人たちがサインをしてくれるというエモい一幕もあり、本来ならばこれで「閉じる」儀式は終了するはずでしたが、志望校が決まっていなかったことや、一般的に考えても高校卒業までに年間あるため、僕はやはりどうしても高校生を終わらせるという選択はできませんでした。ただ厄介なのがもう一回カレッジで落ち着いた後であるということや静的だった今年だということ、老害だという認識があいまって、かといって留学にしろ研究にしろ新しいことを始めるわけではなかったのです。
結果的に自分の華々しい過去の経験に想いを馳せながらずるずると仁を書いて生活していたことは間違いないです。過去をまとめながら、それに意味づけし、同時に過去をまとめているというtodoが今を肯定してくれるそんな日々だったのではないでしょうか。
髪を伸ばしたこと、も象徴的です。
何か成長してほしかった、何か続いてほしかった。そんな感覚の表れではないかしら。離散的に瞬間瞬間としかみなくば、たいして大きなイベントもない一年に、連続性と変化を見出すことで、意味を見出して15歳に負けない満足のいく16歳にしようとするのではないかな。
あとは思索的な関係を複数の友人と築けたことかしら。。。どこか懐かしいような観念的な対話を交わす関係は僕にとって長く帰る場所になると信じています。
今年の春、高2になるのが受け入れられない僕の様子に「えこっちの方が無理なんですけど」というキャプションを付けてストーリーに乗せた一つ上の友人。あの頃と服装も変わらず、本当に何も変わっていないように思うけれど、そろそろあの春がまた訪れる準備をするために、地球は島民に入るんだね。人はまだ師走だクリスマスだ、年が明ける前に点数稼ぎだ(警察?)と無理をして固まる体をあたためるけれど、毎冬病んで動けなくなる僕は、葉も落ちる冬を、実りのあるものにできるのでしょうか。