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政策の合理化について考える

前回の記事で「地方財政制度の考え方と自治体財政」という研修の報告をしましたが、それに先立つ3週間前、盛岡市で開催されたNPO法人政策21主催の市民セミナー「日本の政策はどうなっているのか」という研修会に参加してきたので、今回はその研修会の報告と、テーマである「国・地方自治体の政策」について考えてみたいと思います。

NPO法人政策21・市民セミナー「日本の政策評価はどうなっているのか」

以前の記事でも紹介しましたが、NPO法人政策21では「公共政策」についてのセミナーを定期的に開催しており、私が参加するのはオンラインの研修会も含めて3回目。
今回は、日本における政策評価の第一人者としても名高い山谷清志氏(同志社大学大学院総合政策科学研究科教授)と新進気鋭の公共政策学者杉谷和哉氏(岩手県立大学総合政策学部講師)による講演及び参加者との対話を通じて、日本における「政策評価」の現状について学びました。

「政策評価」とは・・・

「政策評価」と一言でいっても、何のことやら・・・という方が多いと思います。
簡単に言えば、国や地方自治体の「政策」が、現状または将来想定される課題をとらえたものか、ムダな費用(コスト)をかけてはいないか、その政策によってサービスを受ける受益者(自治体で言えば市民)が偏ってはいないか、などについて評価するものです。

具体的な例を挙げますと、例えば、花巻市には生涯学習事業というものがあって、市民向けに様々な講座が開かれていますが、それらの講座が「市民に利益のない講座になっていないか(有効性)」「内容に伴わない高い費用をかけた講座になっていないか(効率性)」「本当にその講座が必要か(妥当性)」などをチェックするのが「政策評価」である、といって差し支えないと思います。

花巻市における「政策評価」

花巻市における「政策評価」は、こういったさまざまな政策を「有効性」「効率性」「妥当性」などの評価基準によって評価するとともに、この政策による成果を一定の指標(成果指標)を使いながら評価しています。

これらの「政策評価」については、実際に事業に携わった担当課が自ら評価を行い(内部評価)、その後、その評価が本当に妥当なものであるか、外部有識者等で構成される行政評価委員会による評価(外部評価)を行うこととしています。

ただ、私は、この「政策評価(花巻市では行政評価)」に問題があると感じています。
一つには担当課が行う内部評価のほとんどが、内部評価の目的や意味を理解していないため、評価自体が機能していないこと。
二つ目には、同じく内部評価を正しく理解していないことにより、事業の成果とはいいがたい成果指標が設定されていること。
三つ目には、内部評価が担当課における業務量増加につながっており、担当課の業務負担感が多いこと。
このことは、花巻市に限らず全国の地方自治体でも同様の傾向が見られ、昨今の政策評価(行政評価)は「負担感の増加による内部評価疲れと形骸化」という状況が進んでいるようです。
(この問題に関しては、一昨年の花巻市議会12月定例会の一般質問において取り上げました)

政策の合理化はなぜ難しいのか

今回、講演いただいた杉谷和哉氏は、ご自身の著書「日本の政策はなぜ機能しないのか~EBPMの導入と課題~」の中で、日本における「政策評価」の歴史を振り返るとともに現在の「政策」における様々な状況をとらえながら、データやファクトに基づく政策作成、評価を行う「EBPM(Evidence-Based-Policy Making)」の可能性についてまとめています。

この本では、先ほど取り上げた「政策評価制度の形骸化」についても触れられていて、「政策評価が市民に対する『アカウンタビリティ』(説明責任)を果たすために用いられておらず、組織の中で業務を進めるためのルーティンの一環となってしまっている」と指摘しています。

杉谷氏は「実際に市民側が自治体で公表している政策評価に関する情報を利用することはめったになく、作成された膨大な評価資料を見るのは内部の関係者か、一部の研究者だけにとどまることがほとんどである」として、「ほとんどの人たちが政治や政策に関心がない」とも述べています。

そして「有権者が政策評価に関心をもっていないのであれば、政治家が関心をもつはずがない」とし、「政治家が評価結果を活用しない以上、官僚や公務員の側にそれらを利用するインセンティブは働かない」と述べ、政策の合理化が働かない理由の要因のひとつとしています。

「市民」と「政治家」と「行政」と

杉谷氏の指摘は、大きな示唆を与えてくれているように思います。
すなわち、市民が政治家を選ぶ、いわゆる選挙における投票において、必ずしも「政策」が判断基準となっている訳ではない。だから「政策」について明るくない政治家であっても選挙で当選する。そういった政治家で構成される「議会」では政策論争になるはずもなく、行政においても「政策」についての合理化を図る機会であるはずの「政策評価」がおざなりになっている・・・。
「市民」と「政治家」と「行政」という三角関係が「政策評価」を形骸化させている、そういう側面も確かにあるのかもしれません。

「政治」における「政策」を取り戻す

杉谷氏は、これからの時代の政策の合理化について「行政の努力だけで行うのではなく、よりよい政策のために政治を巻き込んだ試行錯誤が必要であり、優れた政治家を中心とした指導体制を構築し、政策評価を適切に活用する方途を真剣に考える必要がある」と訴えています。

まさに今問われているのは、「合理的な政策を訴える政治家」であり、「政策に基づく判断基準で政治家を選ぶ市民」であり、「政策で選ばれた政治家で構成される議会によるチェック体制のもとに行政で行われる政策評価」であると思います。

明後日(10月27日)には、衆議院議員選挙が行われます。
地方議会とは事情が異なるものの、国政においてもまさに「政策」が問われています。
「政治」における「政策」を取り戻す。
その視点で、ぜひ立候補者の政策を見ていただきたいと思います。
「しがらみ」や「利益誘導」から離れ、市民の皆さんが「政策」をもとに投票行動を行うこと。
それが、日本を、地方自治体を変革していくことになると思います。


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