公正世界仮説
(twitter https://twitter.com/YahooNewsTopics/status/1496326449468432385より引用)
北京冬季五輪は閉幕したが、まだまだ余韻に浸っている方が多い。
その中で、男子フィギュアスケート羽生結弦選手の言葉が名言として取り上げられていた。
これは、男子フリーで前人未踏初の「クワッドアクセル(4回転半)」に挑戦し、結果4位に終わった滑走後のコメントだ。
記事の中では、「〝羽生結弦ワード〟がトレンド上位独占! 『報われない努力』は流行語大賞候補か」という東スポwebの記事が配信されたことも紹介している。
さて、「報われない努力」である。
羽生選手くらいのアスリートともなれば、常人では想像しがたいトレーニングを行っているのだろう。
羽生選手の目標が「金メダルをとること」だったのか、「クワッドアクセルを成功させること」なのか、「その両方だった」のかはわからないが、いずれ目標に向けて、報われると信じて努力を続けてきたのだろう。
それが叶わなかった。
羽生選手が本当にそう思って話しているのかどうか判然としないが、もし本気でいっているであればかなり「ナイーブ」と言わざるを得ない。
「がんばれば夢はかなえられる」と思って目標に向かって努力している人には大変申し訳ないが、「努力は報われるのか?」と聞かれたら、タモリ風にこう答えるしかない。
「んなこたぁない」
「世の中というのは、頑張っている人は報われるし、そうでない人は罰せられるようにできている」という考え方をする人も少なくないが、こういう世界観を社会心理学的には「公正世界仮説」と呼ぶ。
これは、認知バイアスの一つで、社会心理学者メルビン・J・ラーナーが提唱した理論である。
よく考えてみてほしい。
努力=成果に結びつかないことは誰しもが経験していることだ。
1日15時間勉強して対策をしてきたのに大学入試当日に発熱して大学入試に失敗した人も知っているし、一生懸命練習してきて普通だったら憧れの舞台に出れるような成績を収めたのに選抜されなかった高校もある。
一方で模試ではいつもE判定の大学を運試しに受験したら、たまたまやったことのある過去問と一字一句同じ設問が出て受かってしまった人もしってるし、冬季五輪のショートトラックで、本来は準々決勝で負けたはずなのに、準々決勝、準決勝、と転倒者や失格者が大量に出てあれよあれよという間に決勝に進み、決勝では有力選手4人の一番後ろを悠然と進んでいたのに4人が転倒したため、金メダルが転がり込んできた「世界一幸運な男」もいる。
いずれも、真面目にやっている人間からしてみたら、「やってられねぇわ」という話になるのだが、「努力をすれば必ず結果がついてくる」訳ではないことを認識しておく必要である。
ただ、努力してもすべてムダということではない。
多くの人が努力して成功をつかんでいるし、努力が結果となって表れることを信じているからこそ苦しい練習にも耐えられるのだろう。
「公正世界仮説」のやっかいなところは、「努力しても報われなかった」時に起きる認知的不協和である。
例えば今回の冬季五輪での羽生選手のショートプログラム。羽生選手は、氷に開いていた穴にブレード(刃)が入り、踏み切りの反動が狂ってしまい、4回転を予定していたさサルコーが1回転になってしまい、これが原因でショートプログラムが終わった時点で8位と出遅れてしまったのだ。
羽生選手自身は、「氷に嫌われた」と話していたのだが、ツイッター界隈は何か別の力が働いていたのではないか?と盛り上がる。
「羽生君はあんなに努力してる」
↓
「ショートプログラムの氷のアクシデントで点数が伸びなかった」
↓
「陰謀に思えてしょうがない」
見事な認知的不協和である。
「公正世界仮説」に関しては、別の問題点もある。
世界が公正だと考えている人は、次のような思考回路になりやすい。
「こんなに努力しているの自分(たち)が報われず、努力もしないで楽して富を得ている人(たち)が得をする。これはこの社会が間違っている。そのシステムを変えなければならない」
これが「テロ」に通じる心理であり、テロの首謀者はその心理をうまく利用しながら扇動し、大規模なテロや戦争に至った例も少なくない。
世界は公正ではない。
しかし努力することは決して無駄ではない。
結果として報われないことを自分が受け入れながら、再度チャレンジすることもあるだろうし、これをきっかけとし違う道に進むこともあるだろう。
羽生選手はこれまで努力して、結果としてそれが報われてきた。
ただ、今回自分の努力が報われないことを(遅まきながら)知った。
そのことをどう受け入れながら前に進んでいくか注目したい。