4月1日の朝
今日から新年度。
生まれてからずっと日本で過ごし、かつて働いていた市役所生活に慣れ切った自分にとって、退職した今も4月1日は毎年特別な日である。
今朝は澄み切った青空が広がっている。
そういえば、なぜかこの日の朝はいつも青空だった思い出がある。
初出社した29年前のこの日の朝。
辞令交付を前に集められた会議室では、約20人の新採用職員が自分と同じように緊張した面持ちで無言で座っていた。
スタイリッシュに見える今時のスーツとは違って、体にフィットしていない大きめのスーツを着ている男性がほとんどだった。
当時流行ったワンレングスの髪をしている女性が多かった。
民間企業に派遣研修された24年前のこの日の朝。
生まれて初めて電車通勤することになったこの日、いつもより数時間早く起きて、最寄りの駅へ向かう。
渡辺美里の「マイレボリューション」ではないが、朝一番のホームの冷えた静けさが、未知の民間企業で仕事をするという不安を一層高めていた。
満員電車に揺られながら、目的の駅で降りると、多くのサラリーマンが足早に勤務地へと向かう。
間違いなく、ブラウン管(当時)の中だけで見ていたサラリーマンの出社の姿だ。
派遣先は、当時民間企業の人事担当課。
この日、その民間企業では新入社員の入社式が行われることになっており、人事担当課は入社式の準備で忙しく、自分はこの日何をしたか全く覚えていない。一つだけ記憶していることは、入社式後に行われる新入社員研修会の会場設置をしたことだ。
50台以上ある机を、ヨコに5列、タテに10列くらいの割合で配置していく。机の位置はタテ、ヨコともに寸分の狂いもなく並べていかなければならない。ただ机を並べるだけなのにやたらと時間がかかる。
これが民間企業と市役所の違いか・・・などと変なところに感心していたのを思い出す。
地元の高校の野球部がセンバツ高校野球で勝ち進んでいた13年前のこの日の朝。
地域の公民館のような部署からスポーツ振興担当課のあるイベント室に異動になったこの日。
菊池雄星投手擁する花巻東高校は快進撃を続けていた。
この日は準決勝。同じ東北同士の利府高校との対戦。
配属されたスポーツ振興担当課は、朝からバタバタしていた。
岩手県初の準決勝進出。
あと2回勝てば、紫紺の優勝旗が初めて東北にもたらされる。
それよりも、地元の高校がここまで勝ち進むとは誰も思っていなかったので、スポーツ振興担当とすれば、誰も何をすればいいのかわからない状況だった。
担当外ではあったが、上司のスポーツ振興担当の係長らとの協議に加わり、優勝もしくは準優勝だった場合に市庁舎からぶら下げる懸垂幕をどうするか、花巻東高校が帰ってきてからの報告会を、いつどこでやるかのシミュレーションをしたことを覚えている。
結局、花巻東高校はこの日の準決勝を5-2で勝つも、次の日の決勝で長崎県の清峰高校に0-1で敗れ準優勝。
次の日、市庁舎の屋上から準優勝の懸垂幕を下ろし、2日後には2千人の市民を集め、準優勝報告会を開催することになった。
そして、6年前のこの日の朝。
退職した次の日。朝から電車で宮城球場(当時はコボスタ宮城)に向かった。
東北楽天イーグルスのホーム開幕戦。相手は埼玉西武ライオンズ。
この日の埼玉西武の先発は菊池雄星投手と発表されていた。
退職したら家族と野球を見に行くことを決めていた。
意気揚々とプロ野球を観戦しに行くはずが・・・晴天の青空とは裏腹に自分の心は曇っていた。
サラリーマンが新年度気持ちも新たに職場へ向かうのに対して、自分はプロ野球を見に行くという背徳感。
未知で自由な世界へ投げ込まれることへの不安。
激しい荒波の市場で戦っていかなければならない焦り。
さまざまな感情が入り交じり、複雑な思いを抱えて家を出発したことを思い出す。
コボスタ宮城には、平日のデーゲームにも関わらず、2万5千人を超える多くの観客が訪れていた。
残念ながら菊池雄星投手は負けてしまったが、しまったいいゲームだった。
そしてまた今年も4月1日の朝を迎えた。
今日はこれから山形へと向かう。
かつてのような緊張も背徳感もないが、それでも特別な日。
みなさんにとってもいい日となるように祈っている。