伝説の一日
やっぱりこの話題に触れない訳にはいかない。
(twitter https://twitter.com/chibalotte/status/1513058681658970112より引用)
このことの何がとんでもないかというと、プロ野球における完全試合は平成唯一の完全試合、元ジャイアンツの槙原寛己さん以来28年ぶりの16人目(16度目)。
実はその多くが、1950年代、1960年代に記録されたもの(16人中11人がこの時代)。
この時代のプロ野球は、年間40勝もしたり、400奪三振するピッチャーが出るなど、まさに投高打低の時代だった。
そこから、だいたい50年経つが、50年間でも5人だけ。ここ40年では先ほど紹介した槙原さんと今回の佐々木朗希投手2人だけだ。
それくらいとてつもない記録に加えて、この試合で13者連続三振という日本新記録を達成。また、1試合19奪三振は、日本タイ記録だ。
以前、別の記事で「なぜ岩手に怪物が誕生するのか」について考察した。
そこでは、幼少期からの激しい競争がない社会であるからこそ、将来の夢に向かって自分の可能性をあきらめることなくやり続ける環境が整っていることが大きな要因であり、岩手県の指導者の質が上がったこともあって、怪物が生まれる土台があるのではないか?という仮説を立ててみた。
これをとりあえず「岩手怪物論仮説」バージョンⅡとしているが、今回、信じられない伝説を作った佐々木朗希投手をみるにつけ、「先天的な能力」+「素晴らしい指導者との出会い」+「自分の好きなことに向かってやり続けることができるという才能」がスーパースターへの近道だということがわかる。
ここでいう「先天的な能力」というのは、例えば佐々木朗希選手で言えば、193cmという大きな体であり、全身がしなるような体の柔らかさであり、大きく足を上げても体が全くぶれないバランスの良さである。
それは、もちろん後天的に鍛えられた部分はあるものの、もって生まれた資質であり、努力や根性でなんとかできるものではない。
この「先天的な能力」を持っている人をどう生かしていくのかが、指導者の役割なのだが、先の記事の中に菊池雄星選手、大谷翔平選手を育てた花巻東高校の佐々木洋監督の「岩手怪物論伝説」があって、それは次のようなものだった。
佐々木朗希選手は大船渡高校時代に、國保陽平監督の下でエースとして活躍した。しかし、國保監督は、2019年夏の全国高校野球大会岩手県大会決勝で、疲労を考慮して佐々木朗希選手を登板させなかった。
高校球児の誰もが憧れる甲子園への切符をかけた決勝戦で、当時ですでに160kmの速球を投げ、全国的にも注目を集めていた佐々木朗希選手を登板させなかったのだ。
結局、大船渡高校は決勝の相手である花巻東高校に敗れ、甲子園へ進めなかったのだが、この「事件」は大きな賛否を巻き起こした。
このことについて、國保監督は「事件」のことについて口つぐんできたが、1年後「真相」を告白している。
事の真相は記事を参照してほしいが、いずれ、國保監督は結果的にチームを犠牲にしてでも、佐々木朗希選手を守った。
そして、千葉ロッテマリーンズでは、吉井理人ピッチングコーチのもとでじっくりと育てられた。
ルーキーイヤーは試合で投げることもなく、野球解説者からは「過保護」との批判があった。
それでも天賦の才能と体への負担を天秤にかけ、じっくりと育ててきた結果が、伝説をつくることとなった。
何よりもそのことをやり遂げた佐々木朗希選手のやり遂げる力が素晴らしい。
先天的な能力があるにもかかわらず、やり遂げることを怠り、「もったいない」選手を僕らは見てきた。
だが、実は好きなことをやり遂げるのもまた一つの能力なのだ。
考えてみれば菊池雄星選手や大谷翔平選手ら岩手の怪物たちもまた、誰にも負けないやり遂げる能力を持っている。
僕らは、本当に幸せな時代にいる。
後にも先にもこんなことを見ることはもうないだろう。
4月10日は、まさに伝説の日となった。