「大丈夫だ問題ない」からはじまった6年間のトライアル&エラー
記事を続けてまもなく2か月。
途中から、自分のクリエイターの名前に「RPG」を入れて変更した。
「RPG(ロールプレイングゲーム)」は、そもそもそんなに得意ではない。
というより最近はゲームをほとんどしなくなった。
「RPGやりこんでる人でしょ」
と思って、ここにたどり着いたのなら誤らなければならない。
公務員を辞めて、市場経済へと解き放たれたこの6年間を振り返り、様々なトライアル&エラーを重ねながら経験を積んでいるこの状況を、勝手に「RPG」のような人生と思って、クリエーターネームとしている。
今回は、RPGのスタート、最初のしくじりをご紹介したい。
6年前の3月。
退職が公表したときは、
「おまえ大丈夫か?なにか資格はあるのか?食っていけるのか?」
と心配されたものだ。
トップリーダーからも
「辞めるんだって?何か職のあてでもあるのか?」
と声をかけてもらった。
誰からも
「お前が必要だ!やめてもらっちゃ困る!」
という言葉がなかったので、まあそれだけの人材だったかもしくは、
「みんなが大変な中お前一人辞めやがって。お前の代わりはいくらでもいるからな。」
という気持ちだったのかもしれない。
実際、退職しても明確な仕事の当てや綿密なスケジュールは決まっていなかったが、自分のプライドもあって、こう言い放っていた。
「大丈夫だ、問題ない」
まさにエルシャダイの死亡フラグのキーワードそのものだった。
エルシャダイの生みの親、竹安佐和記さんはブームになった「大丈夫だ問題ない」に懺悔の意を示しているが、自分の冒険の旅立ちは、まさにイーノックそのままだった。
徒手空拳で冒険の世界に旅立つも、自分の周りは右も左もわからないことだらけ。
自分の思いはあったものの、それはあくまで「公務員」という経験の中だけのもの。
必要な装備もせず、武器も持たずに戦場に赴くものの、そこには厳しい戦いが待っていた。
退職後、準備もないままに事業を始める。
市役所在職時からこうしたら儲かるのに、とか、市民のためになるのに、という構想がたくさんあって、それを事業化すれば儲かる!と勝手に思っていた。
とりあえず法人を立ち上げ、地域の「学童保育所」や「市の生涯学習」事業では足らないと思われる『子どもを対象とした学校外(放課後や夏休みや冬休みなど長期間)の人材育成事業』に手を出してみた。
この事業は、子どもたちに創造力や生きる力を掴む機会をつくることを目的に、「スポーツ」や「プログラミング」や「謎解き」や「遠足」などの多くのコンテンツを盛り込んだ「青少年のための生涯学習」プログラムであり、この地域では誰もやっていないまさにブルーオーシャンの事業。
1日に最大40人を超える日もあるなど、ある程度の訴求効果はあったが、損益分岐点になる利用料とコンテンツのバランスがうまくいかず、事業をやればやるほど赤字になる始末。
おまけに利用者も減少し、事業としては立ち行かなくなってしまった。
事業を振り返ってみて失敗の原因はたくさんあるが、端的に言えば、自分の理想と利用者の希望のギャップである。
すなわち、自分は「これからの世の中を生き抜ける『生きる力』を持った子どもを育てたいと思っていた」が、親(利用者)は「できるだけ安く『保育』してくれる預り先を探していた」だけである。
子どもを「保育」してくれる「学童保育所」であれば、市町村からの助成金もあり安価で子どもを預けることができる。
学童保育所の目的は、あくまでも子どもの放課後の居場所づくりなので、基本は子どもたちが自主的に遊んだり、勉強したりすることを安全に「見守る」ことがミッションとなる。
また、学童保育所は家庭での保育に欠ける家(家で子どもを見ることができない)が対象なので、家に子どもの面倒を見ることができる祖父母がいた場合は、対象外となる。
自分が立ち上げた事業に、学童保育所に通っている子どもの家庭や、学童保育所を対象外となった子どもの家庭からの申し込みがたくさんあったことを考えると、生きる力などの「教育」の目的ではなく、学童保育所の代わりに「保育」してもらいたかったのであろう。
「教育」であれば、コンテンツの準備やその他、それなりに経費はかかる。
学習塾の月謝がそれなりにするのも理由がある。
親は「成績が上がる」とか「志望校に入る」とかの短期的な目的があるからこそ高い月謝をだして子どもを通わせるのだ。
一方、「生きる力」とか「創造力」とかいった漠然とした目に見えない、長期的にしか獲得できない子どもの能力の育成に、親はお金を払ってくれない。
安く「保育」してもらいたいだけなのだ。
そうやって、価格とコンテンツの内容にギャップがでる。
マーケティングのミスと言ってしまえばそれまでだが、それ以外にもスタッフの育成や初期投資の重要性など、経営感覚のなさがその大きな原因だったといえる。
「大丈夫だ、問題ない」
と大見えは切ったものの、すぐに窮地に陥った。
エルシャダイであれば、主人公イーノックが瀕死の状態になった際、
『神は言っている、ここで死ぬ運命ではない-ー』
とナレーションが流れて、時代が巻き戻される。
しかし、もはや時代を巻き戻すことはできない。
「しくじり」を糧に前に進むしかない。
6年間、こういった「しくじり」の一つ一つを積み重ねて、経験を積んできた。
何よりも失敗が許されない公務員時代と違って、数えきれないトライアル&エラーを重ねてきた。
必要な武器や防御策も手に入れることができた。
これから必要なのは自分と手を携え、一緒に敵に立ち向かう「パーティー」なのかもしれない。
その「パーティー」とともに、新たな島に橋を架ける準備をしようと思う。