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私の世界の、笹川真生

わたしにはかみさまがいる。

2018年に"sasayaku"で初めて知った時

そこからすこし経って、"ねぇママ"を聴いた時

段々とわたしの世界を飲み込んだ存在。
それが笹川真生というアーティスト。

詞も、曲も、そのすべてがわたしの心臓を掴んで
離してくれない。

去年、初めてライブを観に行ったときに
本人に「生きがいだ」と告げてしまうほどに。

中学時代。
アイデンティティが崩れ始めたわたしの、
希望になった。

何故か上手に周りの人と話せなくて
頑張らないと笑えなくなっていく自分に
手を差し伸べられたような気がした。

このままいつかきっとわたしは
何も持たずに歩いていく
強がらなくても大丈夫だよ

キャロル

綺麗で、すこし仄暗い言葉選びに
この人はきっと優しい人なんだろうな、と
勝手に想像した。
そしてそれと同時に、
繊細なのに奇抜にも思える音の重なりに
表現力の無いわたしはただ畏怖していた。

高校時代。
ゴミみたいな生活の唯一の光だった。

通学の電車の中で
Mao Sasagawa名義のアルバムである
"we are friends" を狂ったように聴いた。

So sad today but I can breathe
I trapped myself again
I saw the charcoal sky in my hole
I'm falling down
I'm feeling good
I no care
No one knows
I'm empty
You make me nervous to die

make me nervous

かろうじて息をしているものの、ただそれだけ。
空っぽな自分自身が嫌い。

今にも消えてしまいそうな雰囲気のある
この時期の曲が、思春期真っ只中の自分にとっては救いでしか無かった。
センチメンタルなギターの旋律にのせられた
透明な歌詞と中性的な歌声が
くるしくて愛おしかった。


大学生活が始まって2年目。
今日も無駄だった  の繰り返すだけの、
いまだ再起不能な生活を支えるかみさま。

痛みから/覚めなかった
かわいそうな人ね
誰かのうみを
彷徨い出しちゃだめだよ
溺れてしまったら
戻れなくなるから
約束して

だれかのうみ/さまよって

真生さんの紡ぐ音楽は
愛したい気持ちに寄り添って
汚い感情も希死念慮をも赦して
わたしのいのちを縫い止めてくれる。
大切だった人、そして大切にしたい人の存在を
ちゃんと思い出させてくれる。

同時に、言葉にできない不安を形にする力に
どうやって生きてきたらこんな曲書けるんだ?
と心配になるレベルで愛している。

春を吸って夏に溶けて
秋冬の風と共に消える
そんな人になれたら良い
いつも、夢見てる

こころという名の激情に
誰ひとり踏み込ませないように

そしてひとしきり終われば
次は泣けるか

うろんなひと

早めに終われば
すぐ会いに行ける
優しく笑ってよ

あなたに明日なんて言おう?
壊れてしまいそうな
その白い手に 青い目に
似合う言葉がない

サニーサイドへようこそ

泣いて笑って じゃあまたね
次会えたら今度は愛してね とか
予定通りにいかないのが
こんなに痛いだなんて

ためらいあいいたい

じゅんばんにきえてく
そういうふうにできてる
かみさまじゃないからね
いのりたいくらいだ

それでもね

はねがなくても
あさによわくても
びょうめいがなんだって
あいしているんだよ

わかちあうこと

好きな曲を挙げると割とマジでキリがないから
"サニーサイドへようこそ"収録曲から、
泣きたくなるくらいに優しくて大好きな歌詞を
置いておく。いつでも見返せるように。


あなたはわたしのかみさま。
こんなことを宣えば、
あなたは笑ってくれるかな
重荷みたいに感じさせてしまうかな
それともこう言ってくれるかな

あぁ かみさまはいないよ?

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