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【書評】友情について-僕と豊島昭彦君の44年 佐藤優

 11代伝蔵の書評100本書勝負10本目
 電子書籍の割合が高くなってきました。僕にとって電子書籍の最大のメリットはすぐに試し読みができることです。「本は本を呼び」ますからタイムラグなく、好奇心がホットなうちにとりあえずどんな本か確認できるのはありがたいです。最初は電子書籍に否定的でしたが、徐々に宗旨替えしつつあります。「人生のサバイバル力」を読んでから、僕にとっては2度目の「佐藤優ブーム」が起こっています。とりあえず片っ端から試し読みをしております。そんな中でもグッときたのがこの「友情について」ですぐに購入し、一晩で読了しました。遅読を自認している僕にしては珍しいことです。
 本書は著者の浦和高校時代の同級生で親友である豊島昭彦君との物語です。こう書けば高校からの長年に渡る友情譚と思われるかもしれませんが、そうではありません。知り合ったのは高校1年ですが、濃密な交流があったのは1年だけで2年からはクラスも別々になり交流の機会はほぼなくなりました。しかも再会したのは40年以上たった還暦を前にした頃です。それでも著者は豊島昭彦君を「親友」と言い切ります。そして彼もまた著者を親友と考えているようです。というのも交流が再開してしばらく経過した後、ステージ4の末期癌と診断された彼は著者にだけにその報告メールを送っているからです。
「友情とは何か」についてはいろんな定義が可能でしょう。著者は「付き合った長さは関係ない」とします。それについての僕の考えは後述します。僕は「利害を超えること」だと思います。そしてメールをもらった著者はまさに利害を超えた行動を取るのです。
 職業作家として忙しい日々を送っていた著者ですが、早速電話をし、アポを取ります。そして豊島氏に「残りの時間で何がしたいか」尋ねます。しばらく考えた後彼は「自分の生きた証を残したい」と答えます。そして著者の提案により、できたのが本書です。豊島氏が自分の人生を振り返った手記と著者による3度のロングインタビュー、そしてそれらに著者自身の人生を重ね合わせることで本書は構成されています。著者の目論見通り無名のサラリーマンの単なる自伝でなく、いつの世にも繰り返される普遍的な内容となっていると思います。
 原稿を脱稿したのは豊島氏が今までの抗がん剤が効かなくなり、より強い治療を受けるまさにその時でした(2月8日)。限られた時間の中で最優先で本書に取り組んだ著者の執念とも言えるでしょう。脱稿前の2月2日には2人の思い出が詰まった弓ヶ浜に1泊2日で旅行に出掛けています。本書の上梓は4月22日。5日後の27日には出版を記念しての2人のトークショーを八重洲ブックセンターで行いました。
 本書では語られていませんが豊島昭彦氏が亡くなったのは6月中旬。著者は産経新聞2019年6月16日の「佐藤優の世界裏舞台」の中で「親友豊島昭彦君の死」と題して追悼文を掲載しています。こちらも併せて読むと2人の関係がさらによくわかるのでないかと思います。

 著者佐藤優は2018年4月から母校浦和高校で特別授業を行いました。2019年2月6日の最終授業では脱稿直前の本書の一部を資料として生徒に配布し、次のような小テストを行っています。
小テスト1
別添の資料「弓ヶ浜への旅行」を読んで下記の問いに答えなさい。
1この文章の筆者が弓ヶ浜に旅行した理由について説明せよ
2「親友とは付き合った時間よりも相互理解の深さで測られるものだ」ということの意味を具体的に説明せよ。その上であなたはこの見解に同意するか否かの立場を表明せよ。その際には理由も記すこと。

 僭越ながら僕もこの小テストに解答することで書評を締めくくりたいと思います。

1 脱稿に目処がたち、原稿の最終確認を2人の思い出の地でしたかったのだろう。また膵臓がんステージ4の余命中央値が迫るなかで15歳の時に撮った写真と同じ構図、同じ場所で44年後の2人の写真を残したかったんだと思う。
2 単に付き合いの時間的な長さではなく、相互の人間性への信頼感が深く互いの生き方に関わり、例え離れ離れになっても何かのきっかけで瞬時ににその信頼感が蘇るということ。
肯定する。同じ経験があるからだ。小学校時代の親友アキラ君とは数年前まさに40年ぶりに再会した。姿形は相当変わっていたが少し話してみると彼の人間性が1ミリも変わってないことが分かった。その後付き合いが復活し、折に触れていろんなことを話す間柄になったが昔憧れていた彼の正義感の強さは相変わらずだ。仕事に於いては軋轢も生んでいるようだけれどもその不器用さが僕の姿勢を正してくれる。彼もまた自分という人間の1番の理解者である。


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