医療従事者が医療介護サービスの利用者になって見えたこと
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#モノノメ
2020年から2021年まで、年をまたいで老親の介護が始まり、看取りをした。
2021年弊亡父の介護と見取りを中心に、ワタクシが体験して考えたことを書いてみる。
医療介護提供者の立場で、随分と無茶なことを言っていたなと振り返ることが多かった介護生活だった。
1.医療介護サービス提供者から利用者・主介護者になる
家族の主介護者に初めてなった。支援サービスは向こうからやってくるものではなく、こちらからぐいぐい交渉して掴み取るものだった。知識を持っていても医療介護サービスの利用を始めるのに、戸惑うことが多かった。ついでに書類の手続きの多さに閉口した。今までは「書いてくださいね」と軽く言っていたのだが。書く側になると「なんで似たような書類を何枚も書かないといけないのよ」とうんざりした。
早期食道がんが見つかった弊老母に続いてに認知症を発症した弊亡父。知識として知ってはいたが、こんなに急に発症するとは思わなかった。
弊老母の食道がんの治療が落ち着くまで、弊亡父は認知症対応ができる病院に入院する手配をしてもらった。
認知症を発症した弊亡父の支援は、どこに掛け合えばいいのかわからない。
たまたま弊老母が地域支援連携室を紹介してもらっていたので、慌てて弊亡父の経過のまとめを書いて相談した。
幸いだったのが「地域支援連携室は何をするところか」を知っていたことだろう。
2.弊亡父の主治医と大バトル
弊老母の食道がん治療が落ち着くまでの入院と話はついていたのに、入院先が全く退院の話をしてこない。弊亡父は認知症とはいえ大人しく、デイサービスを利用して自宅介護は十分可能だった。
何度か退院できる家庭環境になったと病院の精神保健福祉士に相談しても、曖昧な答えしか返ってこない。入院して5ヶ月目に父の不調で緊急に検査が必要だと主治医が勝手に騒ぎ出した。勝手に検査させたら、年齢ゆえに治療できないとお返事をいただいた。
検査した病院の医師の本心は「こんな年寄りに検査して、治療できんのがわからんのかボケ」という内容だった。
ここで主治医と大バトル。病院自体が退院に向けて支援する医療施設でなかったことがわかった。
だから高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン、終末期医療の決定プロセスに関するガイドラインを資料として準備して提示し、CT写真を振り回して興奮する主治医に「約束が違う早く退院させろ」と詰め寄った。
あそこで主治医と精神保健福祉士を詰めなかったら、弊亡父は家に帰れなかった。
3.2021年1月から弊亡父の主介護者となる
在宅介護には往診医が必要なので、これまたバトルを重ねて往診医を見つけた。
ケアマネジャーさんがいなかったら、在宅介護は無理だったろう。キレものケアマネさんに感謝である。
主介護者とは何かというと、介護を受ける人の世話をして書類手続きなど代行する家族のことだ。弊亡父は要介護度4で帰宅したので、手厚い介護サービスが受けられた。しかし現行の介護サービスは、健康な家族がいればヘルパーさんが関わる介護サービスは受けられない。弊亡父が大人しく手がかからないとはいえ、ワタクシはいい加減疲れた。ワタクシひとりでご飯を食べさせ、身体を清潔にし、車椅子に乗せる。おまけに弊老母は介護に不適応を起こしたので、不機嫌になり何もできない。
だからケアマネさんがデイサービスとショートステイを、あのコロナ禍の中無理くり探してくれた。
1日一回でもご飯を食べさせ、着替えをさせる回数が減るだけで全然違う。
病気や障害を持った他人様のケアをすることを生業としてきたが、身内のケアは随分と楽だった。
仕事の内容は同じだが、自分の裁量で全て決められる。食事は時々レトルトの介護食を利用して、服は明るく動きやすいものを選ぶ。弊亡父の生活リズムに合わせて介護を進める。誰かに言われたから・苦情が来るからなど気にかける必要はない。
ありがたくないサービスは訪問看護サービスだった。看護師にもよるだろうが、ただ家に来て検温をしておしゃべりして帰る。週一回30分のサービスだったが、その30分で床ずれができてないかなどチェックはできただろう。ただただ在宅看護について語って帰っていくだけ。インターネットで「話す時間があったら寝たい」「訪問時間は私が抱っこしてるからお母さんは寝てて」など感想が上がっているが、まさにその通り。だから訪問看護師のお相手は弊老母にお任せして、ワタクシは自分の部屋の掃除やテレビを見て帰り際に愛想笑いのご挨拶をするだけだった。
ちなみにエアマットを設置するときも、弊亡父が息を引き取った後葬儀の支度をするときも訪問看護師は口だけで何もしなかった。
繰り返すけど、これは一部の訪問看護師だ。
だからこそ訪問看護師が何をする人なのか普及しないのだろう。
4.弊亡父の死は突然に
脳にある水が溜まった袋が大きくなるスピードが早かったので、「そんなに長くはないでしょう。突然呼吸が止まるでしょう」と説明を受けていた。しかしそんな気配を弊亡父は見せず、元気にデイサービスに通いショートステイを楽しんでいた。
だけど少しずつ身体の機能は衰えていき、最後の1ヶ月は眠る時間が長くなりほとんど寝たきりになっていた。
家に帰って4ヶ月目、弊亡父は食事の途中に呼吸が止まった。それまでいつものように声をかけたら目を開け、ベッドの上でゴロゴロしていたのに。
悲しいとか驚いたとか感情はなく、やっとお迎えが来たんだねとしか思わなかった。
あとはかかりつけ医に電話をして死亡確認をしてもらい、死亡診断書をもらった。
生前スーツが好きだった弊亡父に礼服を着せたが、ネクタイの結び方がわからない。
かかりつけ医は自ら「僕でよかったら」とネクタイを結んでくれた。
弊亡父は安らかな顔をして旅立った。
皆々様、本当にありがとうございました。
5.喪主になる
主介護者の役割が終わったら、喪主という役割が待っていた。実兄とは絶縁しているが(弊老親の体調を話すと「子どもが受験だから動揺するので話してない」「墓は買うな」などナイスなお答えをくださるモラハラ野郎だ)、用事を頼んだとしても何もできない役立たずなのではなから期待してなかった。
葬儀は弊老母と2人で行うことにした。コロナ禍なので葬儀にはこなくていいと、親戚には電話だけで報告を済ませた。契約していた冠婚葬祭の会社に連絡して葬儀の段取りをしたのだが、人を呼ばない葬式は簡単に話が進んでいくので楽だった。葬儀の作法や準備は全部葬儀屋さんが教えてくださるので、これまた楽だった。料金交渉やオプションも、できるだけ少なくする意向は全て反映していただいた。
斎場に移動するのも面倒なので、自宅で葬儀をして火葬場で遺骨にした。これは自宅葬ではなく火災葬というのだそうだ。
挨拶もスピーチもしない喪主だったが、介護で疲れて葬儀するのだから主介護者は喪主になってはいけない。
主介護者は十分休むために、他の親族が喪主をするべきだ。
宇野常寛 責任編集 モノノメ←興味ある方、こちらをクリック
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