死んでも昔の看護教育がよかったとは思わない6つの理由
看護教育に7年くらい関わって、看護師の仕事に加えて二度と看護教育に携わるまいと決心しました。看護教員になった動機も何もなく、看護学修士を取った後就職先を決めてなかったので、誘われるがままこの仕事につきました。
歳若くしてすでに産業廃棄物教員、見捨てられ不安の強い高齢者教員・・・看護教育は時代に沿っていない、臨床と乖離している伝統が脈々と受け継がれているのを目の当たりにして、膝から崩れ落ちました。(気持ちだけですよ。実際は立ってましたよ。)
その方々は、口々に「昔の看護教育は良かった」と、現代社会に適応できない発言と行動をなさっていました。懐古趣味もいい加減にしろ、です。
看護学生時代に学内演習で体験しなければいけないことを体験させず、交渉能力がない教員が揃っているので学生は実体験ができません。ただ文献を暗記させるだけの教育が、まかり通っているのが看護教育界。理系だの科学的だのいってますが、全然そんなことはありません。ただの迷信の類を延々と教えているだけです。
絶対にワタクシは昔の看護教育がよかったなんて、決して思いません。もちろん今の看護教育がいいとも思いませんが。
かつての看護教育は、マジでこんな感じでした。
目次
1. ゆるく看護教員になれた時代
2.今でも心に残るお言葉
3.昔の看護師養成のカリキュラム
4.ワタクシの看護学生時代の学習環境
5.精神修行な臨床実習
6.絶対に昔の看護教育が良かったなんて思わない
1. ゆるく看護教員になれた時代
今は看護教育に関わるのであれば、看護学修士は必須です。看護教員募集要項に「修士・博士あるいはそれ同等の経歴を持つもの」とありますが、経歴より学位が優先順位です。田中真紀子さんか文部科学大臣の頃、看護系大学設立に条件がかかりました。それまで緩かったんですよね。
学位を持たない人が、教育研究指導をしていた時代が長かったのです。その昔看護学校の教員は、大変簡単になれました。卒業して臨床で働いて卒業した看護学校から、ちょいちょいと声をかけられて看護教員になれたんです。教え方も、厚労省が看護教育についての指針を出していることを知らなくても、知識は新しく覚えなくても、看護教員になれたんです。
もひとつ言えば、病院で看護師として働けない、クビにできないけど、業務でやらかしてしまう人が看護教員をやってたんです。病院の付属の看護学校があった時代、病院で出来の悪い看護師、患者さんや同僚からの苦情が多い看護師は、解雇もできません。
指導をしても一向に改善しないからどうしようもないので、看護学校であれば他人様の命に関わることはないだろうと、まあいいだろうという理由です。今もそうですけどね。
まともな看護教員もいらっしゃいますよ。だけど大半が、どうかした看護師が教員になっていたのが事実です。
2.今でも心に残るお言葉
・臨床実習は看護教育では基本的に重要な要素であるが、初心者のために適切な実習場所を見つけるのはますます困難になりつつある。医療費支払い制度の変更により臨床の回転が早くなり、「効率」の概念のみに支配されるようになった。とても初心者の学習の場所ではなくなっている。
・臨床実習は教育プログラムの一環であるにもかかわらず、学生がそれをするためには、事実上専門家の基準に沿って実践するだけの能力を持っていることを要求される。
Lindeman, Caral A : Curriculum Revolution.
中西睦子先生の講演で聞いて、抜けるほど膝を打ち、首が折れるほどうなづいたのを覚えています。その時の資料は今でも大切に持っていますし、20年くらい前なのに現状が変わっていないことがわかります。
まだワタクシが学生の頃は医療バブル真っ只中、入院日数・診療報酬請求は甘かったので、入院は月単位でしたし、薬や治療も医者は好き勝手にしてました。看護学生が実習をするのにも、受け持ち患者様に困ることはなかったのです。
入院してから、手術や治療のための検査をして、治療をして・・・とゆっくりしていたのはよく覚えています。
じゃあ今は・・・看護師養成の環境は、最悪です。入院日数は短い(平均入院日数って大体14日間です)、だから実習中の受け持ち患者さんを探すのが難しい。おまけに医療安全対策で、看護学生ができることは少ないし、学校での練習の時間も少ない。
だから現在の教育カリキュラムでは、看護技術ができなくて当たり前なんですよ。
3.昔の看護師養成のカリキュラム
ワタクシが看護学生の頃、もちろん今とカリキュラムが全然違います。領域別の講義演習・実習時間は増えています。臨床実習で看護学生のできる看護行為は、医療安全のことを考えて制限があります。厚労省が学生時代に到達できるレベルを出してますが、ワタクシたちの頃はあったのかどうか不明です。
ワタクシの看護学生時代は、「学生時代になんでもやる」時代、今は絶対できない注射・たん吸引など、患者様に実際に(もちろん指導の元ですよ)実施していました。「やってない項目がないくらい積極的に」と言われていました。
指導内容に入っていたのか、「未経験のことを学生に実施させて、できないところをさらけ出す」という教育を、看護教員・臨床指導者そろってやっていました。
看護教員・臨床指導者の期待するタスクができないと、「勉強が足りない」「こんなこともできないで看護師になれるのか」などと言われていました。
「学生の自尊心を粉砕して、自己否定を常にする精神状態にしろ」と、指導要綱にあったのでしょうか。
ワタクシの看護学生時代は、病院に付属の看護学校が併設してあり、看護学生のうちに病院で働けるように教育して、卒業・国家資格取得後即座に病院で働ける看護師を養成するのが主流。今のような、在宅・介護施設・病院など職場が多様ではなかったのです。だから早く附属の病院で仕事ができるような、視野の狭い教育しかできなかったんですね。
4.ワタクシの看護学生時代の学習環境
当時の学習環境は、いかに学生を叩きのめして泣かせるか。そのために看護教員と臨床指導者は熱心に実習指導していました。軽く洗脳要素入ってますねえ、今もですが。
あと根性論と精神論で全てが解決できると言わんばかりの看護教員。「患者さんのため」「奉仕の心」などなど。お金の話は汚いから禁句、患者さんが判断する・・・医療経済や医療政策のことは全く触れない教員たちでした。それよりも、医師・組織にいかに従順であるかを叩き込まれました。今も似たり寄ったりですけどね。
さてワタクシの看護学生時代、今考えればとんでもなく貧しい設備で勉強していたと感じております。名ばかりの図書館で、参考資料は学生で取り合いでした。参考資料は自分で買え、というスタンス。学費を納めているにもかかわらず、です。 言われたことを調べて発表すれば、全くノーマークの質問をして、答えられなかったら「全然勉強が足りない」とねちねちと責め立てるのが看護教員と臨床指導者。
「体調に注意して、個人衛生に気をつけて」と言いながら、山ほど課題を出して、ほとんど寝ずに臨床実習に出席する。それでふらつこうものなら、「自己管理ができていない、学習する要領が悪い、だから睡眠時間が確保できない」と注意を受けていました。
しかも手元に資料がないことが多いので、言われた課題ができないことがあるし、時には医学レベルの質問をする指導者がいる。質問には全て「自分で調べて」ですまされる。看護教員に必須な素質って、底意地が悪いことです。間違いでもなんでもありません。揃いも揃って性格が悪い、品がない、教養がない、服のセンスが悪い、情弱、もう人間としてどうよ?な人が多いです。
5.精神修行な臨床実習
精神論・根性論で乗り越えるのが臨床実習。気持ちがあれば、寝てなくても、食事をしてなくても、難しい課題が出ても、乗り越えられる。ドロップアウトする看護学生は、ただただ「根性がない、やる気がない」と評価されていました。
「常に緊張感を持って臨床実習に臨むこと」と、指導を受けていました。何か間違いがあると、「気が緩んでいる、注意力がない、緊張感がない」とこんこんとお説教です。看護の大好きな「振り返り」をして、自分のどこが悪かったかを看護教員に話します。看護教員は学生の意見を全否定して、「看護学生が全て悪い」という結果に強引に持ち込みます。
今はリスクマネジメントがあり、学生向けの損害賠償保険があります。昔はどちらもなかったので、物を壊せば学校が弁償して、学生は反省文や始末書を書いていました。今は事故報告書・インシデントレポートの作成です。(平成の御代に、産廃看護教員は二言目に「始末書を書くように」というのですが、始末書の書式はありません。ついでに始末書の提出も求められません。)
初めて実施する看護行為に完璧さを求められ、練習なしでいきなりぶっつけ本番。そのあと、出来の悪さを責め立てられて、「看護学生は出来が悪い、今日はこんなことをやらかした」とお荷物扱いです。
「看護学生が座るなんてもってのほか」と、1時間以上かかる申し送りの間、立ちっぱなしです。
「とにかく受け持ち患者さんのところで話を聞いてこい」と、ベッドサイドに追い立てられるように行かされる。人前で平気で怒鳴り散らされ、人格否定をする看護教員と臨床指導者。
いつだったか「学生さんや新人さんを先輩が怒っているのが聞こえてうるさかった。」と投書がありました。受け持ち患者様にいつも「学生さんは大変ねえ」となぐさめてもらっていました。
その状況をなんとも思わない、鋼のハートを持っているのが看護教員です。
6.絶対に昔の看護教育が良かったなんて思わない。
看護教育も、看護師の仕事も、絶対に昔がよかったなんて思いません。今が良いとも思いませんが、まだまだましです。思い出すのは、自分が学生だった頃の看護教育のレベルの低さです。教員のくせに情弱だわ、技術指導できないわ、性格悪いわ、思い出に残る看護教員って、ロクでもない人しかいません。
昔は病院附属の看護学校を卒業して、実習病院に就職して、3年くらい勤めてやめる、というのが看護師の雇用でした。だから今でも人材育成ができないし、使い潰す仕事のさせ方しか教えられない。根性論と精神論を振りかざして、時に感情論で患者様を自分の善意や感動を垂れ流すために接する。これじゃ人は育たないし、いびつな看護師が増えるよなあ、と実感しました。
今の教育は甘々だ、過保護だ、と昔の産業廃棄物看護教員は言います。ですが甘々の過保護は、昔の看護教員です。保健医療政策についていけないから、責任逃れをするだけでセーフティ・リスクマネジメントができない。ICTが使えないから、さらに情弱。
イマドキの若人が全員健康というわけではないし、学生時代に体調を崩すこともあるので、根性論・精神論をふりかざすとハラスメントになります。看護学生を保護することが、甘やかしているなってさらさら思いません。
昔のように国家試験は年に2回ではなく、出題範囲が広がっています。だから国家試験対策が必要なのに、産廃看護教員は「学生さまさまね、甘やかされて」と的外れなことを言います。
いえいえ、あなたの頃の方が甘々でしたよ。ちっとは自覚してください。看護学生時代を思い出すだけでも、腹立たしくなり、情けなくなります。
全寮制で、先輩後輩の役割があって、やたら服装に厳しくて、いつも他人の顔色をうかがって・・・あれは働くために役に立った経験なのかわかりませんし、必要だったのかも疑問です。
看護系ってなぜかICT嫌うんですよ。だから平成の御代に、手書きを強要する輩がいます。「パソコンは高価だから盗まれる。だから紙に手書きで記録しなさい」と理由をおっしゃいます。
いえいえ、紙だって盗まれるし、なくすこともあるでしょう。手書きでないと覚えないから、身にならないからと、とにかく理由を並べてICTから遠ざけます。
昔の手書きよりもICTを活用すれば記録の評価や管理がやりやすいのに、自分が使えないから手書きにこだわるのも一つの理由です。
昔の情報源は書籍のみでしたが、今はお手軽にネットで検索できます。各出版社も電子書籍を発行しています。なのに「本じゃないと正確な情報は得られない」と紙の書籍にこだわります。情報源が怪しいのは、ネットも書籍も同じですよ。問われるのはリテラシー能力です。
紙の本しか使えなかった、不便な昔が良かったなんてちっとも思いません。
まとめー看護教育の悪いところが脈々と受け継がれる
昔の根性論と精神論にすり替える看護教育を現存させようとする輩でも、働けるのが看護教育という仕事。絶望して失望するには、十分なものを見せていただきました。学生は好きです。教育も好きです。
だけど、サイコパスな産業廃棄物に潰されたくはないです。
ブログしてます。のぞいてくださいませ。オンナオンフィフおひとりさま道