「寄り添う」ことで何が解決できるのかーただそばにいるお前はうっとうしいだけ
看護教員時代に一年生の看護学生が、「看護師の仕事は患者さんのそばにいること!」と言っていたのを覚えています。ワタクシは看護ってねっとりとした感情的で、自分勝手な自己満足の仕事って思われてるんだなあ、と鳥肌が立ったのを覚えています。看護師の仕事は「療養上の世話と診療の補助」です。
「抱きしめる看護」という言葉がタイトルになる看護の書籍があるように、
「何にもできないけど、患者さんのそばにいることは大切」
「寄り添うことで、対象を理解する」、ついでに「視線を合わせる」。
この役立たず三点セットを支援ポルノな看護教員が、講義中時には涙しながらで垂れ流します。
昔から看護では「寄り添う」は使っていましたが、ここ最近でしょうか「共感」という言葉とセットで使われるようになりました。「何もできないけど患者さんに寄り添って、共感する」みたいに。
幼稚で感情的な言葉が好きですよね、看護。そんな言葉は全然役に立たないし、言い訳にしかならないのに。
何もできない・何の技術も持たないあなたが、辛さや痛みを持っている人に寄り添って何になるか自覚はありますか?「何もできないけど、側にいることはできる」って、自分は気持ちいいでしょう。「辛い人を支えている」と勝手に酔っぱらってるでしょう。
でもそんなあなたは、患者さんが「ひとりにしてほしい」「ひとりでいられる」と言ったら豹変するのはわかっています。「わたしがせっかく辛いあなたのそばにいて自分の承認欲求を満たしているのに、あなたは誰かにそばにいてほしいはずなのに」と怒りくるいます。
痛みがある時にして欲しいことは、痛みを取ること。復調後に不安を感じている時にして欲しいことは、自宅療養の手配や仕事復帰の調整。眠れない時は、眠れるような援助。対象の状態、医師なりチームに報告して、策を練るのが看護師の仕事。
そばにきて「辛いんですね」「話を聞きますよ」とだけ言われたら、キレます。
実際に怒り出した患者さんもいらっしゃいました。
「寄り添う」は自分の成長の妨げになります。できない自分を正当化するために「寄り添うことができます」と何もしないで座るなり手を握るなりします。
「寄り添うことしかできない」と言えば、ある種の人だけは「いい看護師さんだ」「いい支援者だ」と思うでしょう。でもまともな人が見ると「そばにいる以外にやることあるだろうがよ」と生温かく見守られます。もちろんあきれられているのですよ。
自分の寄り添いたい気持ちを満足させるためだけに、他のことを学ぼうとしないのです。自分の承認欲求を満たすために寄り添うしかできない人間は、必要ありません。
いいか覚えとけ。
何にもしない奴が「寄り添いたいんです」と、自分が誰かを支援したい感情を垂れ流してそばにいるのは、めっちゃ邪魔くさくて何よりも害が大きいからね。
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