雨の松濤美術館~エドワード・ゴーリー
作家の終の棲家は、壁の質感からエレファント・ハウスと呼ばれているらしい。
エドワード・ゴーリー=「うろんな客」しか認識がなかったのに、展覧会情報をみて気になって松濤美術館へ行った。
絵本を読む趣味がなく知らなかったが、ファンが多いのだそうで、雨日でも人が途切れることがなかった。ちなみに初めて降りた松濤の印象「石造り多ぉっ」。
原画展と言ってもいいが、原画の絵本(日本語ver.)が、落ち着くソファーと共に置いて在るのがよかった。
そうすると全部読むし、欲しくなっちゃうよねぇ。
子ども悲惨
エドワード・ゴーリーの本ってこんなに【子ども】と密接だったんだと初めて知った。
描き方が怖い。「不幸な子供」「敬虔な幼子」のような悲惨系はラストに全く救いは無く、「うろんな客」「狂瀾怒濤」など本質系はやりたい放題が過ぎる。
その為【大人向け絵本】となっているが、作家自身は子ども向けと思っているらしい。・・何故だゴーリー。
でも、この悲惨な「内容と作家自身の内面は関係ない・結びつけられたくない」といくつかペンネームを変えて発表したというところに、ゴーリーの人間味を感じた。
とはいえ、「ギャシュリークラムのちびっ子たち」はもう、映画ファイナルデスティネーション・シリーズ。
だけどアルファベット26、もしかしたらそれ以上の危機が子どもにあるのは、確かかもしれない。
だから一層守らなくちゃいけないという気になる。
SNSやスマホで子どものニュースが多くなったと感じられるが、実は大昔から数はそう変わってなくて神隠しに代表されるようにあったんだ、と言う人もいるもんね。
感動したところ
「蒼い時」はゴーリーの本では珍しく線と青で製本されているのだが、原画は白黒の線のみ。
そのなかで1ページ、ボートに乗るシーンだけがゴーリーの原画でも青く塗られていた。
それが、製本絵本の青と、全っく違う。
ゴーリーの深い深い青は、シーンそのものの夜明けだか夜更け(失念)そのままの迫力があった。
これを忘れたくなくてこの本を購入する気満々だったが、売ってなかった。全ての本の販売があるわけではないらしい。
「失敬な招喚」の販売もなくがっかりしたがこちらはクリアファイルがあって喜んだ。
この展覧会はグッズのセンスもとっても素敵で、日頃からお気に入りが見つからないと言ってるマグカップと、出会ってしまいました。