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コンビニのプリンアラモードトライフルのアクセントは一体どこにあるんだろうか?
荷物がとにかく多い日で、疲れ切っていた。
家に着いて速攻で荷物を放り出した。
トートバッグに入れていたプリンアラモードトライフルが床に投げ出されて、
投げ出されたそれは、コンビニで陳列されていた時ほど魅力的に見えなかった。
もっと美味しそうだと思っていたけど、
きっと惰性に似たような衝動で買ったにすぎなくて、
こういうのを浪費って呼ぶんだろうか、そんな風に思った。
それくらいに、特段食べたいものでもなかった。
拾い上げてみると、プラスチックの容器の中はぐちゃぐちゃで、
その様子が妙にその時の気分にフィットしていて、なんだかおかしくてそれでいてとても虚しかった。
荷物の片付けもせずに、放り出されたプリンアラモードトライフルを、虚しさを引き連れて黙々と口に運んだ、床に座り込んで。
形の崩れたプリン、ドロドロの生クリームは嫌な感じにまとわりついて、マンゴーらしき果物と、桃缶みたいなのと、ぐしゃぐしゃになったスポンジを、さらにぐしゃぐしゃに混ぜて口に運んだら、イチゴみたいな酸っぱさがあって、けれども、それらの全部が本当はなんなのかわからないままに私は口に運んだ。
夕飯の準備をする気力もなかったから、お腹に入るものであればなんでもよかった。
なんでもよかった、なんて、プリンアラモードトライフルに失礼だけれども、このコンビニスイーツは、「なんでもいい」という心の為に作られたみたいだな、と思った。本当に失礼だな。
よくわからない果物、「プリンアラモードトライフル」という、どこを強調したらいいのかわからない名前、特段不味くもない組み合わせ。
どこをとっても、「なんでもいい」という心が満たされていくような気がした。
こんなことを思い出したのは、このプリンアラモードトライフルとあの時の状況が、なんだか今の自分に似ているからだ。
日々の中で、満たされていくと同時に何かが擦り切れて行って、
誰でもいいから、優しい言葉をかけてほしいと思う瞬間がある。
決して不幸ではないはずなのに、虚しくなって、その虚しさを埋める為に、なんでもいいから自分の中に何かを流し込んでしまいたい。
夢に似たようなもの、希望に似たようなもの、それらは甘くて、けれども嫌な感じでまとわりつく。
だから、甘酸っぱいイチゴのようなものが、この人生に、この日常にあったらいいなと思う。
何もかもが忙しかった一昨年の12月に引越しをした時から、私は寂しさを埋めてくれる誰かを、虚しさを埋めてくれる言葉を、一人じゃないと思わせてくれるような幻想がほしいと思った。
それが、本物の恋や愛である必要なんてないと思った。
本物に似たもので構わない。
運命に似たもので構わない。
でも、本当だったら、やっぱり嬉しい。
偽物でさえも手っ取り早くみつからない。
私は、ここで、イチゴのようなものを見つける為の日々をほんの少しずつ書いてみようかと思った。
いわゆる恋活とか婚活とか呼ばれるもの、あるいは、その何歩も手前かもしれない。
心に溜めとくのも、なんか飽き飽きしたので、書き散らかしていこうと思う。
このマガジンは、私がそんな活動を通して感じた男女の不思議を書き溜めていこう、
というコンセプトのもと書いた文章のまとめになる予定です。
お付き合いいただけたら嬉しく思います。
寂しい大人の皆様へ。
愛を込めて。
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日々の日記→http://naritime.blogspot.jp
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