杏さんと本家・加川良の『教訓Ⅰ』をめぐって
私のまったく知らない「杏」という女優だか歌手だかをやっているらしい若い女性が、加川良の『教訓Ⅰ』を弾き語りして、家ごもりする日本人の間で話題になっているという。
遅ればせながらYouTubeにアクセスしてみると、外出自粛中の自宅らしい本棚の前、子供が夢中に遊んでいる脇での静かなまっすぐな弾き語りで好感が持てた。
だが、私が20歳のときに受けた衝撃とは比べようもない。
などと思っていると、その動画が終わった瞬間に、本物の加川良のステージ姿に切り替わったから驚いた。
彼が亡くなった時以来に聞く歌声で、「嗚呼、昭和は遠くなりにけり」と慨嘆せずにはいられない。
そうして数秒後には、彼を知らない若い人たちが、杏という女性の歌声を通じて彼の歌世界を知る事は、決して悪い事ではあるまいと思い直した。
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加川良は舞台関係の仕事を通じて、岡林信康、高田渡などフォークソング先駆者たちの影響を受け、1970年の中津川フォークジャンボリーに飛び入り参加、『教訓Ⅰ』を熱唱して鮮烈なデビューを飾った。
年代的には吉田拓郎や井上陽水などに近いが、時代の移ろいの中でポップス化の傾向を強めてゆく彼らとは一線を画して、反戦フォーク、そして私の名付ける「貧乏フォーク」とも呼ぶべきマイナーな世界に踏みとどまって歌い続けた。
彼にもっとも影響を与えたのは、詩人・金子光晴と同様に亡くなる前後から若い世代に注目され出した吟遊詩人・高田渡だと言われる。
だが、高田の飄々とした枯れ具合に比して、加川は熱唱派、ねっとりとした情感の世界を歌いあげることが多かったように思う。
むろん、カントリー風な軽々とした歌声にも捨て難いものがあった。
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個人的には、心の底から吠えるような『こがらし・えれじい』もぜひ聴いてほしいと思う。
これこそが、三島由紀夫の割腹自殺、泥沼化するベトナム戦争、70年反安保闘争の敗北、浅間山荘事件、連合赤軍リンチ大量殺人等々に打ちのめされ・・・。
さらには、青臭い近視眼的な空論で「理論武装」した政治セクトによる大学キャンパス内外における不毛な内ゲバ抗争で、多くの友が心身ともに砕け、散り散りバラバラになったあの1972年(昭和47)から73年にかけての・・・。
「あらかじめ失われた青春」を生きざるを得なかった、20歳の私の荒涼たる心象風景に他ならない。
その加川良も、すでに亡い。
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おっと、今日は切なきわが青春への郷愁からか、まるでアジびら(分かるかなあ)の文句をガリ版(ますます分かるかなあ)で刻み記すような、ストレートな文章になってしまったわい。
『教訓Ⅰ』の動画にはいくつかのステージ姿もあるが、後年の歌いぶりは、昔を知る私からすればちと脂っこ過ぎる。
1970年代初めの歌声に近い「歌詞だけの動画」をYouTubeで探す事をお勧めしたい。
家ごもりの徒然(つれづれ)に、1970年代にタイムスリップしてみては如何だろうか。