【クンター流カレン族生活体験 その⑨】
<南国タイで寒さ体験?>
今年の冬は、例年よりも寒さが厳しいようだ。十二月に入った途端、明け方めっきり冷え込むようになってきた。
なにせ、標高八五〇メートル前後の山岳地帯である。このところの最低気温は十五度を下回る。年末年始には十度を切るときもある。数年前には零度前後に下ったのだろう、庭一面や物干竿が霜に覆われた。
タイを「常夏の国」なんぞと思い込んでいる人にとっては、思わずくしゃみが飛び出してきそうな衝撃の事実ではあるまいか。
とりわけ、寒さに弱いわが嫁などは早朝に起き出すとありったけの冬着を羽織り、毛糸の帽子を被って焚火を起こしにかかる始末だ。
だが、日本の冬を半世紀以上も乗り越えてきた私にとっては、さほどのことはない。
もっとも冷え込んだ朝でも、ふとんの中で「肩や腿がちとスースーするなあ」、起き出したあとは「板張りに触れる足の裏が冷たいなあ」といった程度で、焚火は必需品ではない。
これに較べると、嫁を初めとする村の衆はやはりかなりの寒がりに見える。だが、これには裏事情があって、もともと冬の備えというものがまったくないのである。
カレン族伝統の割り竹床・壁の家(わが宿バンブーハウスがそうだ)は隙間だらけだし、チーク材を張り渡したわが母屋にしたところで、夜が明けると壁板の隙間から淡い光が差し込んでくる。
むろん、暖房器具などは一切ない。あるのは、台所にしつらえた囲炉裏の火か、庭で起こす焚火くらいなものだ。
伝統的な手織りのカレン服(貫頭衣)も、半袖のものしか作らない。普段はほとんどカレン服を着ない若い衆にしたところで、1年を通じての基本モードは半袖Tシャツ姿なのである。
パジャマなんてものは、私ですら持っていない。寝具も、わが家の場合は厚手の毛布と掛け布団のみ。むしろ、掛け布団など持っていない家の方がはるかに多い。
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というわけで、十二~一月にかけての「冬季」はいわば暮らしの番外にある特別な期間であり、一年のうちでごくごく短い期間の寒さに備えてわざわざ特別な準備や投資をするという発想はまったくないらしいのである。
当然、風邪をひく人も出てくるが、たいていは薬も飲まないのに数日で治ってしまう。
村ではそれが当たり前なのだが、行政はそれを放ってはおけないらしい。なぜなら、山奥の年寄りの中には寒さしのぎにきつい焼酎を飲み過ぎて急死したりする者が出るからである(寒さでは死なないが、寒さしのぎの焼酎で命を失うこの人生の機微!)
そこで、最低気温が十五度以下の日が三日間続くと「緊急寒害被災地区」とかに指定して冒頭写真のように寝具や防寒着などを支給してくれるのだが、わがオムコイ郡はほぼ毎年、北タイの中でも二番目か三番目にこの光栄に浴するのである。
そして、たいていの村人たちはこの支給品だけで短い冬を乗り切ることになるのだから、実にありがたい制度といえるだろう。
このようにタイの中では飛び切り寒いオムコイなのだが、さて、そんな当地の冬に、最近ではバンコクやチェンマイからタイ人観光客が押し掛けてくるようになった。
その一番の目的は、なんと「寒さ体験」であるのだという。寒い日本を逃れてタイにやって来る人たちには、まったく理解できない感覚だろうが、摩訶不思議なことに日本の雪や霜はタイ人にとっては桜と並ぶ憧れの的なのである。
その証拠に、数年前わが村で観測史上初(?)の霜が降りた時には、わが嫁は「雪だ、雪だ」と大騒ぎしながら踊り出したものだ。
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ビザなし十五日間渡航が始まって、冬の北海道、とりわけ札幌雪祭りがタイ人旅行者の人気の的であるという話も聞いたことがある。
これを裏付けるように、オムコイ近辺でもわざわざテントを張ってキャンプをしているタイ人家族や若い衆の姿を見かけるようになった。
こうしたアウトドア・ブームの背景には、冬でもバンコクなどの暑い南部では身につける機会のない派手な模様の毛糸の帽子や手袋、各種防寒着のレイヤード(重ね着)といった冬季ファッションを楽しむという要素も加わっているのだそうな。
半袖姿で寒さに震える村の衆にとっては奇妙奇天烈、実に訳の分からない都会の風俗なのだが、きっかけは何にせよ、とりわけ若いタイ人たちが素顔の山岳民族の暮らしに触れることは決して悪いことではあるまい。
都会にはまだまだ、山岳民族に対する謂れもない偏見や差別が残されているのだから。
(次号に続く)