今回から諸事情のために2頁のみの号と号が連続している時はまとめて一記事の中で扱うこととする……つもりだったが、次号の第5回十月祭(改名後初の十月祭)特集はしっかりやらねばならんな……と思ったので、結局今回はまだ号を分けないことにした。
北海学園大学新聞第20号(1956年7月15日発行)見出し一覧
※毎月15日発行 二頁十円 四頁二十円
一面
・学生会に改組決議
→六月/二十一日/学生総会開かる
・学生会三十一年度予算/百十三万に決定
・(論説)参院選をおえて
→憲法改正は阻止出来た、だが平和と民主々義を守/るための闘いはこれからである。
・(論説)再び諸兄姉に
・道私学学生連合会/準備会結成さる
・道地区体育/大会
→本学優勝か
・学生ホール設置
→九月より開く
・学園の問題(1)図書館の現状
・政治主義を再確認/全学連大会終る
・大会宣言(要旨)
・【解説】
・私学連との合同は困難/私学協事務局会議
・原水爆禁止大会/八・六長崎で開催
・サマー・キャンプ/支笏湖モーラップで
・九全委の方針確認(=全学新大会=)
・講演会開かる
→石原慎太郎について 風巻教授
・文協加入問題で/もめる
・「息子」を上演/八月下旬の予定
・晴好雨奇
二面
・雇用と失業(中山伊知郎)
・▽日本経済の問題
・▽日本の失業状態
・▽潜在失業者
・▽雇用
・▽雇用をつくる力
・▽日本経済の性格
・(家庭訪問)X線に没頭(小林助教授の巻)
→共同研究を強調
・日本経済の分析問題(山田雄三)
・蔵王連峰を縦走=学院大と交歓=(山際広昭)
・(映画評)人間愛の美しさ「空と海との間に」
・(同友会だより)南高会発足
・夏季休暇
①学生会に改組決議
全文引用―――。
常任委員長 早坂久良
副委員長 村上正夫
書記長 山崎晋一
じ、自治会がなくなっちゃったーーーー!!!!!!!
というわけではないのだが、とにかくこの時の改革はひたすら実務をなめらかに進行せしめるためのものであったらしく、中央評議委員会の人数の削減などは2年後の12月12日に発行された第37号の中で「その結果は自治意識の向上はおろか、完全に学生から浮き上った状態におち入ったことは勿論である。早坂氏の熱意が学生の中に深く浸透して行かなかった事は、自から作った機構上の不備にあったようだ。」とまで言われてしまうこととなる。
自治会から自治の字を取っ払った人間に対する「自治」を重んずる立場からの評価としては妥当なものであるかもしれない。
②私学連との合同は困難 私学協事務局会議
両者の違いがわかりません!
③文協加入問題でもめる
全文引用。
令和の公式サークルや上部団体には(活動してなくても)アホほど金をくれる今の自治会とは隔世のなんちゃらである。がんばれー。
④学園の問題(1)図書館の現状
全文引用!
高校中学と共用って大丈夫?大らかな時代っぽくて俺は好きなエピソードだけどさぁ……と思ったが、そもそも高校の校舎に住み着いてた大学さんサイドに図書館から高校生を追い出せるはずもなかった!ムネン!
ちなみにこの当時の「図書館」は現在の北海学園大学2号棟(1953年竣工)のこと。北駕文庫(石倉のアレ)に隣接しているのは図書館だったからなんだね~(今更気付いた)
⑤雇用と失業(中山伊知郎)
内容について言うことはない。問題は末尾の「(一橋大学教授・理論経済学)」の箇所だ。なんと、単なる学園教員かと思ったら天下の一橋大学の教授であったのである。というかシュンペーターに学んだ学長さんだったとか。
しかし、考えてみると案外不思議なところもない。何せ当時の本学は経済学部のみの単科大学。今の小樽商科大学と大差ないところで、一橋大学も少し前まで東京商科大学を名乗っていたのだから、案外キャラが被っていた時代だったのである。ほら、前々号の「奇遇」で上原学長が一ツ橋大学の山城教授と一緒に歩いてたでしょ?
ちなみに記事冒頭には「東京神田の一橋講堂で、六月五日から一橋大学学術講座が開かれた。この諸講座のうち、比較的一般性のある講演の要旨を次に紹介します。この講演の内容は同文館より出版されるが、ここにまとめた要旨は一橋大学新聞の提供になるものです。」とある。なるほど~。ですます調とである調を混用するのはよくないぜ!混用防止のコツは俺みたいにいっつも雑語りすること、以上です!
⑥晴好雨奇
一部引用しよう。今回は一部を引用するということに大事な意味があるんだよね……
今回もよくあるおもんな道徳説きマジメくんコラムだが、内容ではなく続きを見てみよう、画像で。書き起こすと気が滅入るから。
さて、何度「ゴミ」と連呼しただろうか。
なんと13回である。「ゴミ箱」も含めると15回。
ただでさえ普段より狭くなっているコラムスペースを埋めるためにゴミみたいなコラムを書いたんじゃ、それこそ「ゴミ」ではないか。「ゴミ」自身のためにも早く取り除こうではないか…あ、20年後に取り除かれてた。
⑦同友会たより 南高会発足
本学にたくさん南高出身者おったの!?!?
と思ったが中心は旧制庁立札幌第一中学校出身の教員ららしく、中島広吉教授、相沢教授、高岡周夫助教授、阿部助手らが顧問として名を連ねているらしい。