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「若者の政治参加」のために民主的かつ不安定な全学連を建設せよ!:学園探求ものろーぐ(#6)

皆さんご存知(と決めつける)全学連の正式名称を言える人は少ない。
今時全学連を知っているような人間は小学生の頃からソビエト社会主義共和国連邦という正式名称を覚えて自慢していたような人間が多いはずなので、言う必要もない気はするのだけど、一応「全日本学生自治会総連合」が正式名称であることを覚えていただきたい。

今回は六〇年安保闘争を通じて海外でも知られたZengakurenとしての「全学連」ではなく、あくまで全日本の学生自治会の総連合について語りたい。

「全学連」を知ろうにも、現存する全学連は5つあり、どの全学連が正統とも言い切れない現状がある。一応革マル派系全学連が1948年以来の組織を維持しているため"正統"と言えないこともないが、それは謀略などの成り行きがたまたま上手くいっただけという感がある。

私個人としては全学連はあくまで全日本の学生自治会の総連合であるべきだと思うタイプの人間なのだが、この原則論を忘れた全学連ばかりが目立つ。

全学連はそもそも共産党系の大衆組織であったから、歴史的にも真にフラットな学生自治会連合(考えの異なる様々な学生自治会が混在している、つまり普通の議会のような)であるのは難しいのだが、それにしても度が過ぎている。

民青系全学連を例に取ると、日本共産党/日共(前衛党)-日本民主青年同盟/民青(「日本共産党のみちびきをうける青年の全国的な組織」)-日本学生自治会総連合/全学連(大衆組織)という関係性があり、この関係性は革共同系や共産同(ブント)系の新左翼にも基本的に受け継がれている。
あくまで"前衛党"と大衆組織は別物なのだ。

私はこの建前をそれなりに大切にしていて、理屈偏重の左翼のクセに全学連の組織原則を尊重しない現状を好きになれない。

有坂賢吾『新左翼・過激派全書』にもあるように、民青系全学連はSEALDs登場のあたりから活動停止している可能性があり、他の活動的な全学連もあくまで有名な「全学連」としての活動ばかりで、自治会連合という建前が軽んじられている。

その最たるものはX上で2024年に開設された「東北大学全学連」のアカウントで、全国学生行動連絡会委員長の檜田相一氏(東北大生)もX上で批判していた通り、組織原則に反している。

これに関しては檜田氏も当該ポストへのリプライに応える形で認めた通り、当人らが「全日本学生自治会総連合(中略)で活動する東北大生のアカウント」としていることから、"間違い"ではないものの、しかしそれでも「京大全学自治会同学会再建準備会」のように学生自治会の再建を目指しつつ全学連の活動に参加するのが筋ではないかとの批判は成り立つ。

やはり、これは時代が下ることにより建前が形骸化しつつある証拠ではないか。その点革マル派系全学連は一番学生自治会の連合としての組織を維持している(『新左翼・過激派全書』より)らしいが、その実態はよく分からない。中核派ほどネット上での広報に力を入れていないためである。

ところで私が何故学生自治会の連合体としての全学連に拘るかといえば、それは「層としての学生」に拘っているためである。
実のところ全学連の歴史にとって不可欠な狭義の政治活動は全学連にとっては不要であるとすら私は考えており、むしろ学生としての主体性を失わせる前衛党による引き回しには反対したいくらいだ。

全学連は学生自治会による民主的な連合体であるべきで、民主的にある結果としてAという方針を発した1年後にBというAと真逆の方針を発したとしても構わないと考えている。
求められるのはそこに学生という(階)層としての思想と行動、そしてそれに至るまでの議論や言説を見出すことに他ならない。

(要はそういう真に民主的な全学連があると「学園批評」にとっていいことづくめだ、と言いたいわけなのだ)

この際全学連は過去に囚われすぎず、自民党や立憲民主党に対する圧力団体となってもよいと思う。18歳の人にまで選挙権が認められた今なら少子化が深刻化しているとはいえ、無視できない勢力になるだろう。

よく「若者の政治参加のために何をすべきか」という命題が提示され、それに対して啓蒙活動が提案されるが、これがあまり功を奏していないことは誰もが薄々勘づいている。
(この記事においては若者≒学生というノリでいく)

「若者の政治参加」のためには何らかの強制が不可欠だと気がついた人は大抵投票に対するインセンティブの付与や棄権に対する罰則の法制化などを提案しがちだが、私は投票率の上昇が政治の質を高めたり、「若者の政治参加」の表れであるとは考えない部類の若者であるから、この考えには与しない。

そもそもテレビや学校教育で与えられたような問題意識ばかり振りかざすことを暗黙の前提とする「若者の政治参加」なんか失敗した方が国のため社会のためである。

あくまで自分ひとり、身近なところに端を発する問題意識に基づく「政治参加」が求められる。その過程において生活の中にあまりにも〈政治〉がありふれていることに気がつくだろう。

(これは日々の買い物で消費税率を意識するだとか、物価高からウクライナの戦争に思いを馳せるなどといった意味ではほとんどない)

この真なる(?)政治参加の際に必要なのが職能団体や労働組合、宗教団体や生活協同組合、そして学生自治会などの中間団体ではないか。
近しい属性同士による議論こそが求められる。

中間団体とその連合体の圧力団体化こそがその代表する属性(層)の利益擁護の手段となり、学生が自らの手で属性について当事者として深く考える契機となる。

いっそ法律か何かで学生(短大生や高専生なども含む)の自治会参加を義務化し、さらに学費を減免するかわりに自治会費を倍額以上に値上げするのもよいだろう。
このことで全学連が政府(今のところは自公連立政権)に従属的な存在となることを危惧する向きもあるだろうが、弁護士全員加入制の日本弁護士連合会(日弁連)が政府批判をしていることなどから、まぁそれ程心配せずともよいのではないか。

しかし、この学生自治会の再建と民主的な全学連の建設に対しては否定的意見も多いだろう。

この新全学連はラジカルな運動や政治運動の障害物となると考えられるが、これについては学生が加盟自治会の他に全共闘でも外山合宿でも自民党学生部でもSEALDsでもマル学同でも街宣右翼でもなんでもやればよいのであって、新全学連それ自体が悪いのではない。

それに社会的に未熟で、しかも給料取りの正規雇用者と比べればあまりにも無責任な若い学生達に莫大な予算を与えれば腐敗するということも想定される。私の母校でも250万円くらいの学生自治会における使途不明金を問題化したこともあったが、 私としてはそういう混乱もよいと思う。むしろそうなった方が面白い。

現代における学生自治に対して無関心な学生が多く、学生自治会自身もまた単なるイベント屋に身を堕としているのは学生自治の裁量権があまり認められていないため無風状態となっているからであって、学生自治という"場"において力を発揮できると多くの学生が感じられるようになれば、学生自治への感心は勝手に高まるだろう。もちろん学生自治で儲けようとする輩(荒岱介『新左翼とは何だったのか』がそのあたりに詳しい)も出てくるが、それはそれで様々な才覚やドラマを見られるのでよい。

真に影響力のある存在は"悪"を為す存在でもあり、混乱と陣取り合戦と議論と批評は真に民主的な全学連(胡乱な学生自治会の胡乱な総連合)にとって切り離すことの出来ない存在である。

「若者(学生)の政治参加」のためには学生のみで構成される場の否応ない政治化が欠かせない。
私はその混乱と民主化を渇望してやまない。

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