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詩ったのはあなたじゃない
オリンピックが始まって間もないね。
自分が生まれた国のみならず 今 この世界で生きているアスリートの共演。
あえて競うことには触れないでおく。
人生は 誰かとの比較や競い合いで気付きは得られても それはメインストーリーではなくサブストーリー。
戦う相手は常に1秒前の自分とだ。
視覚や聴覚からもたらされる表向きの情報は いかにも誰かと誰かの争いに見えやすいよね。
『トップ』と呼ばれる 今回で言えばアスリートだが 世の中のあらゆる『トップ』と呼ばれる そうである人達の心は 常時 自分がどうするかを問い質していると あたすは感じている。
あたすも『トップ』には遠く及ばないにしても 歌い続けていたから。
引き際を言い訳にして勝手に退いておきながら 好き勝手に邪推したわけじゃない。
これは肌と心で感じてしまったことだ。
歌いながらも 色んな生き方をしている誰かの想いを聞きながら寄り添うことを止めれなかった。
自分の想いや願いを貫くだけが美しさだとは思えなかった。
随分 蛇足してしまいましたが。
オリンピックで戦っているのは 本人なわけでして。
まぁ 例のごとく賛否両論っていうんですか。
あたす個人としては『賛論』だけでいいと考えていまして。
考え方はそれぞれ。
色々な意見があることも。
「やってないやつに語ることなんて存在すらしねぇよ。」
とだけ伝えたいのよね。
誰も皆 批判されたり 肯定されたりし合っている。
あたすは否定されて嬉しかったことは殆ど無かったりする。
傍に居て 普段から想いを知り合っている場合を除いてね。
度々ニュースに並ぶ姿を見せない罵詈雑言のサイレントナイフは 本当に脳を事実という呪縛に囚われさせているようにしか感じられない。
長編映画のフィナーレでヒロインが流した涙の意味を知らないようなものなんだけどな。
あたす達は その涙に至るまでのストーリーも本人が越えてきた壁も知らない。
それなのに語れることなんてあるわけがない。
これはあたすが生きてきた中で見つけた真理。
知らないなら語らず まずは耳を傾ける。
知らない誰かに対して あたすはその誰かについてビギナーでしかない。
上手くいかないのは 自分だけのせいでもないし 自分以外のせいだけでもない。
吐き出したいなら 自分の心に向かって叫んでほしい。
喉を鳴らして放つ声と心の中で叫ぶ声を判断して 場所を選ぶ。
ひと1人の胸の真ん中にあるモノの数は たくさん持ちたくても なかなかに限られてくるとも感じてるから。
誰かをネガティブに捉えるだけ 自分もネガティブになるループに突入させている気がしてならない。
含み笑いもストーリー性があって好きではあるけども。
どちらかといえば 屈託の無い笑顔を見つめていたいし そんな笑顔でいたい。
『他人は自分を映す鏡』
サイレントナイフで傷付けることが常習化した 今日このごろを見てると そんなことを思う。
素直に感嘆して。
喜びを心に灯して。
あたすは そんな日々を描いている。