【第82回】僕はそれ以来、歌うのをやめた。
とにかく金が欲しい。
おっと、ついつい初っぱなから本音が先走ってしまったのだけれども、これにはちゃんとわけがある。別にいきなり金の亡者になったわけではないので安心してほしい。
大学生活も残りあと少しになってきた。悔いのないようにするため、持てる全ての力を注いで大学入学当初からやりたかった海外旅行を繰り返している。
この生活、一見優雅に見えて結構大変だ。
そんな生活をしていると、自分でも笑っちゃうくらいに金が消えていく。貯金などもちろんしていないので費用を捻出するために日々の生活の大半をバイトに費やすしかない。
しっかりと海外に行くという目的を定めてバイトしているから、なんとかモチベーションを保ち働くことができているものの、大変なものは大変だし辛いものは辛いわけで。
そういった事情もあって冒頭に至るわけだ。お金があれば多少楽になるのだけれども。ああ、前澤氏のお年玉企画当たんねーかな。
しかし、どんな状況でも辛いと思い続けることなかれ。ただでさえ虚無の時間が精神的にダメージを受ける負の時間となってしまうからだ。だからこそ、バイト中にいかに気を紛らわすかが重要になってくる。
そういう時は歌を歌おう。歌を歌っているうちは余計な雑念は消え去るし、好きな歌なら、ついでに気分も上がる。
歌うことは、最高の気晴らしなのだ。
──ついこの間まではの話だが。
盛者必衰の理あり。流行は必ず廃れゆく。
気晴らしとしての歌はある日、唐突になんの前触れもなく役割を終えてまった。
いつものように僕が歌を口ずさみながらライン作業に勤しんでいた時。代わり映えのしない普段と同じ中、唐突にそれは起こった。
突然斜向かいの男性の怒鳴り声が。何事かと思って僕がキョロキョロしていると、「おんなじ歌を何回も何回もっ!!!!」といったボヤキが聞こえる。
どうやら僕のことを言っているらしい。 ひたすら同じ歌を繰り返し口ずさみ自分の世界に没頭していたことで、知らず知らずのうちに声が大きくなっていたようだ。
「すみません…」
僕には蚊の鳴くような声で謝ることしかできなかった。
こうして僕はそれ以来、歌うのをやめた。
非常に申し訳なかったと思っているし、ノリノリでリズムに乗っていた自分を客観視すると枕に顔を埋めジタバタしたくなる。
それからというものバイト中は、ひたすら数を数え心頭滅却して、ただひたすらに時間が過ぎ去るのを待つ日々だ。