【第45回】瓶コーラと牛乳瓶と郷愁。
生まれて瓶コーラの自販機を体験した。栓抜きが自販機取り付けられていているアレだ。
ピンとくる人もこない人も両方いると思う
現代ではほとんど見られないし。平成生まれの僕は初めて使ったのだけれども昭和生まれの人達は懐かしいと思うかもしれない。
そもそも昔はジュースはビンで売られるものだったそうだ。ペットボトルが日本で初めて清涼飲料水に用いられるようになったのは1982年のことだから本当につい最近のことだと思う。
まあ瓶は開けてしまうと飲みきる必要があるし重いし割れたら危ないしでペットボトルが急速に普及したのも頷ける。だって便利だもん。
瓶に関して思い出したことがある。そういえば幼稚園の年中くらいまでのころは給食に出る牛乳は瓶に入っていた。しかも今ではまったくといって見られない紙蓋の。
年長になってから紙パックになったと記憶している。牛乳瓶から紙パックに変わる直前くらいに先生がビンを割ってしまったことがあったので、ある程度大きくなるまで、その出来事がきっかけで変わったんだと思いこんでいたと思う。そんなわけがあるか。牛乳瓶が給食に登場してから日本中で見られた光景だっただろうに。
牛乳がビンなのか紙パックなのかは都道府県や地域によっても違い、現在でもビンが使われているところもあるそうなので意外と知り合いや友人と話しをしてみても面白いかもしれない。
最近の趣味は銭湯&サウナなので風呂上がりにビン入りの牛乳を飲んだりするけれども流石に紙蓋の牛乳瓶は見ないので、ものすごく久しぶりに飲んでみたいものである。
これが瓶コーラに対して昭和生まれの人達が感じる感情と似ているのかもしれない。もう少し年を重ねればわかるようになってくるのかも。
最近では復刻版として瓶コーラの自販機が各地に置かれているようだ。きっと僕が使ったのも復刻版のものだったに違いない。キレイだったし。こういった復刻版も人々のノスタルジーが呼び寄せるものなのかなと思った。
個人的にはノスタルジーには2種類あると僕は思っている。
1つ目が自分自身の経験したことに対する郷愁の念。これはイメージしやすいと思う。昔を懐かしむやつだ。さっきの話でいうところの牛乳瓶の方。
2つ目が自分自身の経験したことのないことに対する郷愁だ。言語化しにくいのだけれども廃墟などを見て感じるノスタルジーのようだと思う。廃墟を見て決して住んでいたり利用した経験はないのだけれども胸の奥で湧き上がるデジャブのようなノスタルジーだ。知らない世界に思いを馳せるノスタルジーさだと思ってくれればいい。伝わってるのかなこれ。さっきの話で言うところの瓶コーラの方だ。
まだ僕は20年そこそこしか生きていないので、どちらかというとノスタルジーは2つ目の方を味わっていることのが多い。
よくやることは町の中にあるレトロな外観の定食屋にふらっと入って、いろいろ思いを馳せたりその空間を持つ郷愁を味わったりするのだ。瓶コーラを飲んだのも実はそういった行動の一つだったりする。
けれどもいつしかきちんと自らの経験した過去に対して郷愁を感じられるような渋い大人になりたいと思っている。もちろん過去にすがるようなみっともない人にはなりたくないけれども。
ちなみに瓶コーラはなんでかわからないけど美味いと言われてる。たしかにちょっと美味しく感じた。なんでだろうね。