【第72回】逃げるが勝ち(タイ王国旅行記Vol.2)
え、電車が来るまで、あと1時間もあるの?
タイ国鉄の切符
タイ国有鉄道(以下、国鉄)のドンムアン駅で切符を買った僕は呆然としていた。時刻は朝の8時10分。電車が来るのは9時24分らしいので約1時間は待たなければいけない。
仮にも国際空港と直結している電車で、そんなことがあるとは露程も思ってもいなかった。
ビールを飲み終えた僕だったけれども、異国に来たという興奮のせいか、あまり寝付けずに朝の4時半頃に目が覚めてしまった。0時過ぎに寝たので4時間程度しか寝られなかったことになる。
そこからネットを見てダラダラしつつ、日が昇ったところで朝シャンをして提供された無料の朝食を食べて、チェックアウトして駅までやってきたのだった。
無料で提供された朝食。
この他にもカップ麺が食べられた。
時刻表を見ると7時36分に電車が出発していたので、せっかく早起きをしたんだったらちゃんと時間を調べておくべきだったと少し後悔したが、終わってしまったことはしょうがない。
せっかくなので駅や空港付近を探索して時間をつぶすことにした。
屋台街散策
昨夜は閉まっていたので気が付かなかったが、駅の付近にも屋台がたくさん出ている。
日本では屋台と聞くと夜のイメージだけれども、朝食を取る場所としても機能しているようだ。
空港の職員なんかも食事を取って職場に行く姿が見える。
せっかくなので、僕もなにか食べようかと思ったけれども、ゲストハウスで朝食を取ったのでやめておいた。普段、朝食を食べるという習慣がないので全く腹が減っていないのだ。
現地の生活が少し垣間見ることができて楽しかった。
ドンムアン駅
電車の発車時刻が近づいてきたので駅へと戻る。
改めてみるとすごい駅だ。改札なんてものは全く存在しない。買った切符は車内でチェックされるようだ。
駅自体はホームと線路が同じ高さの位置にある構造をしている。日本では路面電車くらいでしか見ない構造だ。
近くにあったベンチに座り電車を待っていると3分遅れほどで電車が到着した。よくタイの電車は遅れるらしいが、この程度の遅延は誤差の範囲内だろう。
早速、電車に乗り込むと、まるでタイムスリップしたような光景が、そこにはあった。
タイ国有鉄道
エアコンがなく窓が全開の車内。天井に取り付けられた扇風機
お世辞にも新しいとは言えない車内。すべてがレトロだった。
経験したことのない写真の中でしかみたことないような昭和の時代に来てしまった感覚に襲われる。
ドンムアン空港からバンコク市街地までは国鉄の列車に乗り込む以外にもアクセスする方法があり、ダイヤもよく狂ってしまう国鉄には乗らない人も多いらしい。けれども風情を味わいにきた僕にとっては最高だった。
それにドンムアン駅から終点のバンコク駅までは1時間半ほどかかるが、運賃は5バーツ(当時のレートで約17円)なので、その破格の安さも魅力の1つだろう。
驚いたことは、ただの普通列車なのにも関わらず車内販売があることだった。車内販売と言っても国鉄の職員ではなくおばちゃんの販売員が弁当やらジュースやらを交代交代で売りに来る感じの簡単なもの。
結局買うことはなかったけれども、結構買う人がいて見ていて新鮮だった。
また車窓も見ていて面白い。
電車の中は「昭和」という印象なのだけれども、窓の外は「The 東南アジア」といった光景が広がっているのだ。
国鉄の車窓から。
当たり前のように線路に人がいるが
向こうでは線路を通り抜けるのが普通のようだ。
ごちゃごちゃした電線、バンバン走る車やバイク、どこか独特な植物達。
そんな光景を見ていると、暑さも相まってどこか夢を見ているような気がしてきてしまう。朝早いこともあって眠くなってきてしまったのだけれども、日本と同じようにウトウトしてしまうと何が起こるかわからないので必死に起きていた。
バンコク駅
あっという間に終点のバンコク駅に到着した。1時間半という長さではあるものの、6時間のフライトを乗り越えた僕にとっては一瞬のようなものである。
このバンコク駅もレトロな雰囲気で非常に僕好みの見た目をしている。ドーム状の屋根のある光景がいい雰囲気をしている。日本における東京駅と同じく国内の各路線へとつながる起点駅であり多くの人でごった返していた。
さて、先程から「バンコク駅」と書いているが実はこれ通称でしかない。正式名称はクルンテープ駅というらしい。また通称もバンコク駅以外にもフアランポーン駅などがあるが、英語での通称が「Bangkok」なので僕もバンコク駅という名前を採用している。
この表記ゆれのせいで、切符を買った際に「クルンテープ」と言われたのをタイの隣国マレーシアの首都「クアラルンプール」だと勘違いして、混乱してしまった。そんなわけは絶対ないのにだ。
話を戻そう。
バンコク駅に併設されたコンビニで水を買った。
海外では当たり前のことだけれども生水や水道水は絶対に口にしてはいけない。日本ほど上水道の設備が整っていないので腹を下す危険性があるからだ。
このあと僕は王宮と呼ばれる場所に行こうとしていた。タイ国王の公的な住まいが、そこにあるらしい。経験な仏教国であるタイの歴代王の建てた寺院も中にありタイにいったらぜひ訪れたい場所の1つのようだった。
公的な住まいとは言っても現在の国王は、そこにはいないそうなので、日本で言うところの京都御所に当たるような場所だろうかと勝手に考えていた。
ここで問題点がひとつ。
ここバンコク駅から王宮までは5キロほど離れており歩いていくには、かなりの距離がある。
そうなるタクシーを拾うか、トゥクトゥクと呼ばれる東南アジアで普及している三輪タクシーを使うのが一般的だ。しかし、これら2つの乗り物にはぼったくられたり、意図しないところに連れて行かれたりしてしまう可能性がついてまとうのだ。
特に駅やホテルといった場所で出待ちしているような乗り物には、そういった危険性がより高くなってしまう。
しかし、幸運なことに僕はタイミングがよかった。
以前、バンコク駅以西には走っていなかった王宮エリアにまで2019年7月29日からバンコクの地下鉄MRTが延伸したのだ。バンコク駅に併設されているMRTの駅のフアラムポーン駅から最寄り駅であるサナームチャイ駅で降りれば1キロほどで王宮へとたどり着くことができる。
それだけでも観光客に随分と優しくなったように感じた僕は、MRTに乗り込むべくバンコク駅から地下のフアラムポーン駅へと向かった。
フアラムポーン駅
「フッ、ハハハっ」
変な笑い声が出た。
フアランポーン駅へと降りていくエスカレーターの速度が想像の1.4倍くらい早かったからだ。
見た目は日本のエスカレーターとあまり変わらないように感じるのに速度だけ早いものだから、そのギャップに笑ってしまう。この変な笑いは地下鉄に乗るたびに起こった。
エスカレーターを下り切ると、金属探知機による持ち物検査が行われていた。以前上海を旅行したときも似たようなことがあったけれども、ここの検査はあのときより簡単なもので素通りすることができた。
このMRTは日本から技術提供を受けて作られたものらしく、それを示す看板をあちこちで見つけることができた。
日本人としてちょっと誇らしくなる。別に僕がなにかしたわけではないけれども。
券売機を操作して切符を買う。言語は英語を選択できるので特には困らないが、目的地の地名を探すのがちょっと大変だ。
出てきたのはコイン型の切符だ。改札にタッチして入場し、出場するときは改札の穴に入れればいいようである。
日本の切符と違って目的地が書いていないのので降りる駅を間違えないように気をつけたほうがいいだろう。
改札を抜けホームに降り立つと、日本の地下鉄とかなりそっくりだった。転落防止の自動ドアが設置されているのも先程乗った国鉄と比べると安心である。
電車に乗り込むと、かなり洗礼された印象を受けた。日本の電車よりも広く、広告もディスプレイに映し出された映像だけであり、ぶら下がっていたり壁に貼り付けられていない。日本もこうだったらいいのにと思う。
バンコクの中華街ヤワラート
王宮に行く前に行っておきたい場所があったので、サナームチャイ駅ではなく、フアラムポーン駅から一駅行ったワットマンコーン駅で下車した。
バンコクの中華街ヤワラートである。
え?タイにまで来たのに中華街?と思われるかもしれない。
敢えて僕は言いたい。だからこそなのである。
中国人は世界各地へと移住し、様々な場所で中華街を作っている。こういった中国人のことを華僑と呼ぶが、移住するからには何かしらその国の文化に影響を受けているに違いない。
現に大阪屈指のディープスポットでコリアンタウンとしても有名な鶴橋では、韓国文化に加えて戦後の闇市を始めとする昭和の文化にも大きな影響を受けているように感じた。
日本にある横浜と長崎の中華街は訪れたことがあるし、なんなら上海だけではあるが中国本土にも行ったことがある。上海から帰国後、横浜の中華街に足を運んだ際は、やっぱり日本文化に影響を受けた街だなと思ったので、タイ文化と融合したバンコクの中華街も見ておきたかったのだ。
さっそく改札を抜け地上へと出ると、何やら細くていい雰囲気のよさそうな人通りの多い路地を見つけたので突入してみる。
駅から降りた時点で、もう中華街の中に入っていたのだろう。路地の両脇の店で売られているのは中華風のものばかり。ところどころに漢字を見ることができる。
野菜や魚などの生鮮食品、お茶の葉や煮物などの乾物、香辛料などが雑多に売られている。どう見ても観光客向けの場所ではないけれども、ローカルな雰囲気がまたいい。
あとから調べてみると、この路地はイサラーヌパープ通りという名前だったようだ。
人通りが多いのでスリに警戒しながら歩いていたが、200mほどであっという間に大通りに出た。
────そこには異世界が広がっていた。
直感的に感じたのは迷い込んではいけないような世界に来てしまった感覚。
本当に僕はここのいてもいいのだろかという謎の焦燥感と胸の鼓動の高まりを感じた。
中国文化の荘厳さと東南アジアのカオスさが絶妙に混じり合い独特の雰囲気を醸し出していた。
この感覚を伝えるのは非常に難しいのだけれども、例えるならばスタジオジブリ作品「千と千尋の神隠し」で、不思議の街に迷い込んだシーンを初めてみたときの感覚に近いと思う。伝わるのか?この表現。
とにかく僕は一瞬でヤワラートの虜になってしまった。
当初はちょっと見て帰るつもりだったのだけれども、気がつくと1時間以上も特に目的もなくフラフラと街歩きしていたと思う。
途中でワット・マンコン・カマラワート(龍蓮寺)という中国寺院に寄ってみた。1871年に建立されたらしくバンコクにある中国寺院の中で古いものらしい。
中は撮影禁止だったの写真は撮っていないが、これ以降に見るタイ寺院とも日本のお寺とも異なる独特の豪華絢爛さが印象的だった。
VS.詐欺師
「カオサン通りに行きたいんだって?まだやってないよ。みんな寝てる」
そんなわけあるか。
ヤワラートの観光を終え、MRTに乗り込み、サナームチャイ駅から北上して王宮を目指して歩いていた僕は海外の観光地でよくある詐欺師に声をかけられてしまった。
タクシーに乗らないか?トゥクトゥクはどう?といった呼び込みを無視して歩いていたのだけれどもつい「どこから来たんだい?」というにこやかなほほ笑みを浮かべた男の声かけに足を止めてしまっていたのだ。
「日本からだよ」と答えると「コンニチハ〜」と言った片言の日本語で挨拶をして握手を求められる。
反射的につい応じてしまったので、ペースは、完全に相手のものになってしまった。
「どこへ行くの?」という問いかけに怪しいと思った僕は「カオサン通りだよ」と嘘の目的地を告げていた。
カオサン通りとは王宮から少し北に行ったとこにある安宿街のある場所だ。バックパッカーの聖地とも呼ばれている。
そこで王宮を観光した後の昼食にガイドブックに載っていた美味しそうなトムヤムクン(タイのエビのスープ)を食べるつもりだったので、あながち嘘でもないのかもしれない。
そんな飲食店も立ち並ぶ世界的に有名なカオサン通りがやってない?しかもみんな寝てるって?そんなわけがない。
「みんなが起きるまで、王宮付近の名所を回らないか?今なら10バーツ(当時のレートで35円)だよ!」
怪しい。こいつら詐欺師だなと思ったとき、出国前に見たバンコクの王宮付近でよくある手口を思い出した。それとそっくりなのである。
「そのツアーは遠慮しとく」
そう僕が答えると男は、
「なんで?」
と食い下がってきた。しつこい。
こんなに安いのに参加しないの?と言った白々しい驚きの顔をしている。
そこで僕がとった行動は…走って逃げることだった。
日本には昔から「逃げるが勝ち」ということわざがある。詐欺師相手に無理に戦う必要はないのだ。
「おいおい、どうしたんだよ」といった感じの後ろの声が妙に腹が立ってしょうがなかった。
王宮
詐欺師から逃げて、なんとか王宮までたどり着いた。
あの詐欺師は全く追っかけて来なかったものの、それからも何人かの人が「どこへ行くんだい?」とか「どこから来たの?」と声をかけてきたので、「ワタシゼンゼンエイゴワカリマセン」といった顔をして振り払った。
これだけを書くとタイ人が悪い人ばかりのように思われるかもしれないが、そんなことは一切ないわけで。現に王宮の入り口がわからなくて困ってると「あっちだよ〜」と教えてくれる優しい人達もいたのである。
王宮の入場料は500バーツ(当時のレートで約1800円)。タイの物価基準だと、かなり値は貼るけれどもせっかく来たので入る。こんな遠くまで来てケチってもしょうがないのだ。
更に200バーツで音声ガイドを借りることができた。タイ語は全くわからないのでこれはありがたい。
どうも王宮と呼ばれるだけあって、この辺りは白い制服を来た近衛兵が警備にあたっている。日本では見たことのない銃剣を手に持った兵士達が、ものすごく怖かった。
もしここで僕が暴れまわったら、あの銃剣が使われるのかなと思ったが、もちろんそんなことはしない。善良な観光客でいたいのだ。
そんなくだらない妄想をしつつ、王宮の敷地内に踏み入れると歴代王の建てたきらびやかな寺院が並んでいる。
飾りの一つ一つが小さな仏像。
集合体恐怖症の人は閲覧注意。
アンコールワットの模型。
技術力を示すために作られたらしい。
行ったことはないがよく出来ているように見える。
ここで初めてタイの寺院を見たけれども、かなりきらびやかだ。日本のお寺や仏像はは木造で良く言えば侘び寂びの世界、悪く言えば地味なのだけれども石や金属、宝石で出来た寺院の数々は圧巻であった。
タイに行ったらぜひ王宮も訪れてほしい。
はじめてのトゥクトゥク
王宮を堪能した僕は、カオサン通りを目指して歩いていた。
時刻は既に15時近く。腹も減ったので早く昼飯を食べたいのだけれども、1つ僕にはやりたいことがあった。
トゥクトゥクに乗ることである。せっかく行ったのであれば現地の乗り物に乗ってみたいという気持ちが強かったのだ。
現在では市民の足というよりは観光客向けの乗り物という位置づけにシフトしつつあり、料金も観光地価格を請求されることが多いらしい。それに加えて先程の詐欺師のようにな人たちと結託しているトゥクトゥクもいる(現に先程の詐欺師の隣にはトゥクトゥクが止まっていた)ので大変だ。
地球の歩き方 D17 タイ P.59よりトゥクトゥクの紹介。
そこで王宮からカオサン通りという比較的短い距離を乗ろうと思ったわけだ。タクシーと違って短い距離でもトゥクトゥクは断られにくいらしい。
もちろん安全のために流しのトゥクトゥクを止めることにした。これがなかなか捕まらない。そもそもぜんぜんトゥクトゥクは走ってないのだ。もしかしたら王宮付近に集中しているのかもしれない。
さらに一度止めようとしたら「無理だよ〜」といった感じて手を降って断られてしまったのだ。
すでにカオサン通りまであと半分といったところまで歩き、半ば諦めかけていたときに、やっと捕まえることができた。
ちなみ、トゥクトゥクの止め方は。道路に向かって斜め下に腕を伸ばせばいい。タクシーも同様である。理由としてはタイは頭上に神様がいるらしく頭より手を上げてはいけないからだそうだ。
早速、運転手と値段の交渉をする。
「カオサン通りまでお願いします」
「50バーツ(当時のレートで約180円)ね」
あ、安い。相場では徒歩10分くらいの距離だと30バーツ〜50バーツくらいらしいので、相場と同じくらいだ。
交渉の必要はないと判断して、そのまま乗り込む。
こうしてトゥクトゥクに揺られ。僕はバックパッカーの聖地カオサン通りへと向かったのである。
ちなみにトゥクトゥクの名前の由来は独特のエンジン音らしいが、僕にはまったく「トゥクトゥク」とは聞こえなかった。
最後に
2日目もやっと半分が終わりました。
このペースで書いていくと完結はいつになる…?
続きます。
>>前の話はこちら:【第71回】ゲストハウスでの攻防戦(タイ王国旅行記Vol.1)
>>次の話はこちら:【第73回】「断れない日本人」にはなりたくなかったのだ(タイ王国旅行記Vol.3)