【第22回】シャボン玉式マインドフルネスで世界は平和になるかもしれない。
久しぶりにシャボン玉で遊んだ。
きっかけは久しぶりに後輩に会いに部室に行ったときにやろうと誘われたこと。
昨年までは部室での暇つぶしといえばグラウンドに出てキャッチボールをやったりすることが一般的だったのだけれども、僕が今年の3月で引退してからシャボン玉も加わったようだ。
僕たちの代よりも女子の割合が増えたことが原因か、それとも新しい部長の影響か。組織の長が変わると組織の雰囲気がガラッと変わるものだと思う。
最後にシャボン玉で遊んだのはいつだっただろうか。そんなことを思いながら後輩から手渡されたシャボン玉を吹く。
息を吹き込まれ生まれた小さなシャボン玉達が風に乗って空へと登っていた。
今回使ったのは市販のプラスチックでできた容器に入ったシャボン玉だったけれども、それよりも手作りで作って遊んでいた記憶がある。というか今日、後輩と話すまでシャボン玉をどこで買えるか知らなかった。普通に100均で売られているそうだ。
当時は作り方なんて全然知らなかったから食器用洗剤と水を適当な割合で混ぜたものを、先を切って膨らみやすくさせたストローで吹いてシャボン玉を飛ばしていた。
もちろんこんな適当な作り方をしてるからシャボン玉は当然大きくならないし、すぐ割れてしまう。
それでも、ものすごく楽しかった思い出がある。
昔から不器用だったけれども何かを作るが好きだった。自分で作ったシャボン玉というのがどこか誇らしかったのかもしれない。
ちなみに調べてみたのだけれども洗濯のりや台所用洗剤、砂糖などを上手く活用すれば簡単に作れるようだ。
それにしても昔を思い出しながらシャボン玉を吹いていると懐かしさも相まって楽しくなってきた。
楽しさのせいもあり「しゃぼんだまとんだ やねまでとんだ」で始まる童謡も好きだったので自然と口ずさんでいたようだ。その時に動画を撮られたのでちょっと恥ずかしい。
楽しさから思い出したのだけれどもシャボン玉の中に入って空を飛べたらと妄想したことがあるような気がする。こういった昔やった遊びは連想式にいろいろなことを思い出させてくれる。
高校のころの文化祭で、とあるクラスが「シャボン玉の中に入れる」という体験コーナーをしていた。まさか飛べるとは思わなかったのだけれども少しわくわくしながら、その展示に訪れた記憶がある。
ただそのコーナーではシャボン液で満たされた子供用のプールから大きな輪を持ち上げて筒状のシャボン玉に入れるだけだった。上から体のすべてが包まれると想像していた僕はがっかりしてしまったわけで。ただしょせん公立高校の文化祭でやる展示なんてこんなものだろう。
展示の関係でクラスごとで行動することになりやすい文化祭でクラスにほとんど友達の居なかった僕は、結局そのクラスに居座り時間までぼーっとシャボン玉を見続けていたような気がする。
気がつくとかなり長い時間シャボン玉で遊んでいた。実はノスタルジーに浸っていたのは最初だけで、残りの時間は無心で笑いながら吹き続けていたと思う。
あの天下のGoogleも仕事効率化のためにマインドフルネスという宗教性を排除した瞑想を取り入れている。何も考えずに呼吸だけに集中することで、雑念が消えリラックスできたり集中力が高まるらしい。
もしかしたらシャボン玉もそうなのかもしれない。何も考えずにシャボン玉を吹き、その動きに集中する。シャボン玉が弾ける姿は雑念が消えゆく様を表しているのかもしれない。
「みんなシャボン玉をやればいいのに」と思う。
Google社員も一斉にシャボン玉を吹く。ベンチャー企業の社長も大企業の役員も。安倍首相もトランプ大統領も文大統領も習近平国家主席もプーチン大統領も。おとなもこどもも、おねーさんも。
みんながシャボン玉を吹いたら世界はもっと平和になるかもしれない。
君も始めよう。シャボン玉式マインドフルネス。