昨日博士論文を提出しました。提出すると決めた日に「人生で最もスリリングな4か月間になる」って言った4か月が終わりました。落ち込んだり、逆に舞い上がったり、感情の起伏が激しかったって意味で、ほんとにスリリングだった。いらんこと言うもんじゃないですね。じゃあ、試問までの1か月は、「人生で最もハッピーな1か月になる!」って言っておこう。実現しろよ!いや、して下さい。お願いします。
そう、まだその試問があるからか、全く晴れ晴れとした気持ちにはなれない。特に最後の一週間はしんどいとか、つらいとか、焦りとか、あまり感じず淡々とパソコンに向かって何かやってました。何やってたかは全然覚えてない。ランナーズハイみたいな感じだった。だから、今ゆっくりできることに、まともな時間に寝てもいいことに若干戸惑ってる。ちょうど、明日も研究会で、資料をつくらないといけないって思い出したときはなぜかほっとした。また、机に向かって作業できる口実ができると思った。
ちゃんと切り替えて休めるってことも大事な能力だと思う。だから、今日はこれを書くことにした。
自己肯定感が低いと自分でいう奴は、たぶんそれが低いんじゃなくて、プライドが高いだけ。自分がもっとできる奴だって思ってるわけだから。他人に言ってもらって気づくことだからね。自己肯定感が低いってことは。でも、それを分かった上で自分は自己肯定感が低いって言っている私は、ほんとに自己肯定感が低いのであって、それが幸せになれない原因なんです。
って、おとつい思ったわけ。論文を出しに行く途中で。で、この論文も、この話みたいな訳の分からん内容だなあって思って。
いろんな人に支えてもらって提出できた訳です。自分の力なんて微々たるものです。書かせてもらった、提出させてもらったのです。だから、そういういろんな人たちの顔を思い浮かべると、ほんとに感謝の気持ちでいっぱいになる。涙も出ます。でも、やっぱり自分に対して、「頑張ったね」って言ってあげられない。これって一生続くのだろうか。何をしてもダメなんだろうか。指導教官に、あれほど厳しい人に、「結論」おもしろかったよって、言ってもらえたんです。「頑張ったね」って言ってもらえたんです。でも、やっぱりダメなんですね。自分で自分を許せない。それを言ったら、もう前に進めないということなんだろうか。解放されないんだろうか。自分からは。自分を責め続けているのは誰なんだろうか。私は誰に責めさいなまれ続けているんだろうか。でも、その人が自分を前に進ませているんだろうか。それは確かに前なのかも知れないが、正しい方向に向いているのだろうか。立ち止まってはいけないのか。立ち止まって、空を見上げてはいけないのだろうか。ヘンな雲の形を見てちょっと微笑んだりしちゃいけないのだろうか。ずっと歯を食いしばって下を見ながら生きて行かなきゃいけないのか。幸せになっちゃいけないのだろうか。とりあえず今は。試問が終わるあと1か月は。でもずっとそう言ってきたのではいだろうか。今すぐ、ここで、幸せになりたい。肩の荷を降ろしたい。ちょっとでいいから休みたい。自分であることをやめたい。
こういう話を聞いてくれる友人もいないわけ。だから、自分でなんとかするしかないよね。明日もどうしてもしんどかったらまた来ます。


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