鶏口牛後
私は個人的には寄らば大樹の陰よりは鶏口となるも牛後となるなかれ派。
就活でこれ言い方間違えたら「うちの会社は永遠に牛にはなれず鶏ということですか?」ってブチ切れられそうだなと今思った。でもシチュエーションと表現は選ぶけど私にとって大学生活はまさに鶏口牛後という感じだった。
誰も名前の知らないような大学に行って、そこで何が成し遂げられるか。すごく設備が整っていてもう何でも制度がきっちりしてて就職、サークル、授業、奨学金どんな問題でもドンと来い!な大学ももちろん環境面としてはすごくいいと思う。でもそういうところって大抵は平等性に長けていて、言うなれば限りなく全員に近い生徒が100の恩恵を受けられる環境。私がいる大学は、求めない人は100得られないけど、求める人は1000、いやそれ以上が獲得できる環境。まあ教育機関としてあるべき姿は前者だろうけどそんなものが完全に実現できるなら学校自体に私立も公立もあったもんじゃないので。こう考えるとほんとに環境は好みっていう部分も大きいなと感じる。
これが就職にどう関係するのかと言うと、私の考えでは鶏だってレベルアップして能力を引き継げるということが言いたくて、鶏Lv.1と牛Lv.1なら牛の方が強そうだけど鶏Lv.10と牛Lv.1ならどうなるか分からないよねって話で、鶏のおしりからスタートして口までたどり着いたら、本当にできる人って口で終わらずレベルアップという手法を使ってレベルが一個上の鶏のおしりに向かうと思う。そこでまた口を目指して、またおしりに戻って、それを繰り返すと思う。そのスピード感で行くと牛よりも遥かに早くレベルアップのサイクルは回りそうだなと感じる。かと言って牛が悪い訳ではなく、牛の場合は1回のレベルアップには時間がかかるけど、質という面が保証されていて、レベル1→2だけで鶏の1→10くらいの価値があるかもしれない。
まあ限られた人数にはなるけれど、話を聞いた限り、大手行ってやっぱりベンチャーを選ぶ人はやっぱり鶏口牛後的な考えの人多いなと思う。でもそこで終わったらもったいないよね、鶏が牛になることは難しいから、じゃあどうやったら鶏は牛に勝てるのかを考える、それがもっと大切な観点だと思う。その具体的なアプローチ方法は人によるだろうなぁ。
鶏の積み重ねによっては牛に匹敵することも有り得るでしょ、自分から見たら鶏は永遠に鶏で牛は永遠に牛だけど、外から見た場合に鶏が牛に見えるようになるかもという勝手な解釈が込みで、私は鶏口牛後という言葉が結構気に入っている。