肉だんごスープの独裁者

あれは確か小学校4年生の時だったと思う。担任の先生に後にも先にも無い位、しこたま怒られた事があった。


その日、私は給食当番でスープを盛り付ける係になった。今日のスープは肉団子の入ったコンソメ味のもの。お味噌汁とわかめスープで組まれた日々の給食ローテーションの中、たまに代打で登場する肉団子スープは、お肉というだけで嬉しさ倍増の小学生にとってはスープ界のスターのような存在だった。

しかし、スープに入っている肉団子はもちろん数が限られている。釜の底から無限に肉団子が湧き出してくれば皆ハッピーなのだが、そんな夢みたいなことはドラえもんに頼まない限りは起きるはずもない。だが、給食センターから運ばれてきたスープ釜の中に入っている肉団子の数なんて数えようもないし、献立表に但し書きで1人○個とも書かれていない。つまり肉団子の数が有限だということは誰もが知っていたが、何個入っていて、1人何個食べられるのかということは誰も知らなかったのである。

素直で優しい子がスープ係になっていれば、きっと先生に「1人何個ずつ肉団子を入れればいいですか」と聞いていただろう。しかしその状況をシメた!と思っていた私は、肉団子を采配する全権限はスープ係であるこの私が握っている、と独裁者のような考えを抱いたのであった。

そんなちびっ子独裁者が考えた政策もまた恐ろしいものであった。
なんと肉団子をよそう時に簡単な○☓クイズを出題し、合っていれば肉団子3個、間違ったら1個という施策を実行したのである。しかも、その○☓クイズというのも「私の好きな食べ物はくるみである、○か☓か。」のように自己本位なものばかりで、どれも「そんなの知らねーよ」と言いそうになるものであった。

私と仲がいい人は答えられるような質問ばかり出していたので、仲がいい人は3個もらっていった。一方であまり仲が良くない人や私に興味もない人はことごとく外していった。そんな状況をゲーム性もあるし、クラスの皆もなんだか楽しそうにしていたので、私はいい企画を思いついた!と誇らしげに思ってしまったのである。

しかし、一部ではやはり不満の声が上がっていた。その声をあげたのはクイズを外し1個しかもらえなかったY君。我慢ならず、先生にその状況を報告しにいったのである。

私が相変わらず楽しくクイズを出しながら肉団子をよそっていると、背後から「かえで!!!」と怒った先生の声が聞こえた。私はビクッとした。鈍感な私は何かマズイことをしたのか、とその状況を理解できずにいた。

「あなた、配る肉団子の数をクイズの結果で決めてるらしいじゃない。なんでそんな差別をするの!皆平等に割り振らないといけないじゃないの!クイズはよそでやりなさい!!!」

コテンコテンに叱られた。それはもうコテンコテンに。先生の怒りは止まらず、給食後の昼休みも教室で一人説教された。さすがに落ち込んだ私は、放課後トボトボと家に帰り、何がいけなかったのだろうと一人で考えた。

私の中では、肉団子はクイズに正解したご褒美として配布していたので、肉団子の数に差をつけるのはそれ相応の対応だろうと思っていた。だって授業でも多く正解した人が、多くキラキラシールをもらえるわけだし。


けど、先生はそれとこれは全然違うと言っていた。

ご褒美というのは、頑張って努力した人に、それだけの成果を認めますよ、ということであげる印のようなもの。頑張った人のためにあげるものなのだと。

対して私の肉団子のあげ方は、頑張った人じゃなくて、私と仲が良い人や、私にとって都合のいい人だけに多く配っていた。それは自分のことしか考えてなくて、友達やクラスの人のことは全く考えていないよ。そういうのはご褒美とは決して言えないのだ、と教えてくれた。
(あと給食は皆が同じお金を払っているから同じ分だけもらえないと不公平だ、とも教えてくれた。)

クラスの人が楽しくなるだろうと思って思いついたことだけど、結局は自分のことしか考えてなかったんだな。自分が楽しくても、必ずしも他の人はそうとは限らないんだな、と小学生の私は学んだ。

それから15年も経った訳であるが、褒められた記憶は悲しきかな、全く覚えていなくて、怒られたり注意された記憶ばかりが思い出される。けど、それはその出来事がそれだけ自分にとって衝撃的なことで、自分の考え方とか行動を見直すきっかけになったということである。

先生、私は先生に怒られて以来、楽しいだけでものを決めてはいけない、私が発信したことによって傷つく人もいるのかもしれない、ということを考えるようになりました。あの時よりは自己本意ではなくなったと思います。

けど自分に対するご褒美については、今でもまだ自分勝手なままです。変わらないものは変わらないんですね。

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