雨が降る日には和歌に触れたくなる
18日め。
雨が降る日は思うことが多い。
本当にいろんなことが蘇る。
おほかたに さみだるるとや 思ふらむ
君恋ひわたる 今日のながめを
『和泉式部日記』
一日中雨が降る日に思い浮かぶ和歌。
▶︎雨が表現するもの
古今和歌集と後撰和歌集。
勅撰和歌集であり、できた時期が近い2つ。
個人的に同じ女性心理としてわかりやすく
比較しやすそうだなと思い選んで研究した。
古今和歌集は繊細なものが多いと言われていて
手弱女ぶりとしてここからたくさん歌われる。
後撰和歌集も恋歌が多くれ歌われている。
お題として季節に関するものとか
何か指定があったけれど
私は直感で雨を選んだ。
比喩表現として涙=雨が使われているものを
目にする機会が多く私の中では印象的だった。
自然と心情。
日本人の特性なのか、とにかく四季を重んじる
傾向が強いと思う。
薄れていく風習・文化も多い中で
なんだかんだ、残っては物も多い。
それでも1000年近く経つ今でも
雨が降ると感情を想起する人間が
少なくとも1人はいるのだから
和歌って本当に素敵なものだなと思う。
▶︎じゃあ、雨の歌の変遷って
古今和歌集と後撰和歌集を比較して
こんなことを書いていた。
後撰集は古今集の時と同様に多くの
「時雨」の歌が詠まれている。(実際は表あり)
後撰和歌集に使用される「時雨」の抒情歌は
古今集の3倍の歌数。(なんでそんな多い?!)
しかし、「春雨」「五月雨」等の熟語として
使用される雨が極端に減った。(叙景歌に多い)
これは後撰和歌集にある抒情歌が
古今集の時と比較して2倍になったから!
つまりは、感情を歌う際に古今和歌集で
多く使用されていた「ながめ」と「長雨」を
かける歌などが減少しストレートに
雨そのものに恋の意味を持たせた歌が多い。
これは「雨」が源氏物語以降
「恋歌=雨」の概念が増えたことから
源氏物語のちょうど前後にあたる
古今集と後撰集にこのような違いが
見えてきたと言える。
さらに清少納言は「雨の美」
紫式部は「悲哀や場面転換」に
雨を用いることが特徴的であった。
作者の感情・着眼点によって
雨の使用法は大きく異なってくる。
…
現代まで「雨=涙」の認識が残っているのは
平安時代の和歌の美を受け継いでいるからだ。
▶︎たった31文字で伝える想い
冒頭に書いた『和泉式部日記』の歌。
長雨と眺め(物思いに耽る)という掛詞
もし、この時代にTwitterがあって
140文字も想いを連ねられたら絶対に
掛詞なんでなかったと思う。
Instagramがあって、写真におさめて
投稿をすることができたら31文字で
見ている景色を詠むことなんてなかった。
31文字でいかに思いを伝えるか。
今日はすごく想いを伝えたい日になった。