感情記号化されても

・平日、何も書けることがないな。
書くことがないではないく書けることがない。
とりあえず更新週を稼ぐための投稿はする。
強いて言えば、職場の給湯室にコードネームGが出たらしくて、自分は見ていないけど給湯室に行くたびに戦々恐々とするようになってしまった。
今の職場(フロア)には出ないと信じていたのに…
過去には小さいGが出るようになったためバルサンを焚いて駆除したということはある。
小さいのは平気だけど大きいのは無理。たぶん境目は2センチ。

・久しぶりにプールで遊びたいなと思って検索したけど近場に良さそうなところが全然ない。
50メートルプールしかなくて、ただ泳ぐだけのレーンで泳ぎたいわけではない。
できれば流れるプールでだらっと流されたい。
川遊びもしたいけど大人が一人で行ってボーっとバシャバシャやれるだけの場所はなさそう。
もっとどうでもいい泳ぎ場があればいいのに。


・思考のメモその1。
友人が「インサイド・ヘッド2」を観て感動したと言っていた。
インサイド・ヘッドはDVDで見たけど、根本的に自分の思想と違うところがあってあんまり呑み込めなかった。

・インサイド・ヘッドの基本設定として、人間の頭の中には「喜び」「哀しみ」「怒り」「嫌悪」「恐れ」の感情がそれぞれ擬人化された状態で存在している。
この「一人の中に複数の人格がある」みたいなのが自分にはどうも合わない。
感情ごとに区切られた人格(擬人)は、その感情しかないのか?

・自分は、自分の中には自分ひとりしかいないと思っている。
その自分が、いろんな感情や人格や振る舞いを切り替えたり演じたりしている。すべて自分の中のグラデーション。
そんな自分を一時的に同時並行的に存在させることができる(かもしれない)、というくらい。
表現としては「1日外出録ハンチョウ」の大槻が脳内サミットをやるのが近いかもしれない。
あれも常にああいう状態ではなく一時的にという制限付き。一人舞台みたいな。
ペルソナの「自分とは違う人格(神格)が存在している」は呑み込める。あれは特殊能力だから。
むしろペルソナほしいな。スタンドでも可。

・切り分けられた感情ごとの擬人というのが自分の基本思考とどうにも合わないなと感じる。
またその擬人化された感情が主人格たる本人の意思とは無関係に動くのもよく分からない。
アンコントローラブルなものとはいえ、暴走する擬人感情には「お前は誰の何なんだよ」という気持ちになってしまう。

・あと、主人公の少女ライリーに辛くて悲しいことが起こって、それを本人が自分の強い意志で打破するのが主題ではなく頭の中の擬人キャラクターがドタバタするっていうのがなんかモヤモヤしたから。
単純に誰かが辛い目にあって状況に流されるみたいなのが見てて辛いんだよな。
歳を経るごとに創作物のそういう如何ともしがたい哀しみに対する耐性がなくなっている。

・2がどんな話かは分からないから見ないと判断できないけど、根本の設定でムムと思うので見るまでのハードルが高い。


・思考のメモその2。
記憶とは物質なのだろうか。

・昔、空想科学読本だか何かに、ドラえもんのどこでもドアの仕組みとして「通ったもの(ヒト)の分子構造を分解し、行き先で全く同じ物質で再構築する」というのがあったのを急に思い出した。
まったく同じ物質(分子?原子?素粒子?)で全く同じ構造で再構築した場合、外見や機能は全く同じヒトが発生するというのは感覚として理解できる。
ただ、そうなった時、蓄積されていた記憶はどうなるのだろうか。
記憶も再構築される?でも直感としてはピンとこない。記憶は分子や原子の構築には関係なさそうだから。
PCのようなハードとソフトとして考えた場合、ガワ(ハード)は全く同じに構築できても記憶(ソフト)は構築されないのと同じような。
でもこの喩えは結論ありきの都合のいい飛躍した喩えな気がする。実態としては近いのかもしれないけど。
じゃあ記憶って何だろう。
電気信号?電気信号は物質ではない?
物質と物質の動作(たとえばピンボールのような)で発生する衝撃のようなもの?

・難しい文献を読めば答えはあるのかもしれないけど、探究する余裕は今のところない。
あくまでも自分の中の思考として。

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