週報:メイク・サム・ノイズ
話題になっていたので『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んだ。面白かった。
タイトルが自己言及的で良いなと思う。話題書になってなくてもいつかタイトルだけでジャケ買いした気がする。
大丈夫ですか。これ読めたということはあまり真面目に働いていないってことの証明になりません? 『読んでない本を堂々と語る方法』って本と一緒で、それ読んだって宣言するってことはあなたさぁ、と査定に響いたりしませんか。
閑話休題。内容もかなり面白かった。
頻繁に例えとして出てくる主題の象徴的なエピソードとして、『花束みたいな恋をした』のパズドラのくだりが随所で登場するんですが、まったく同じ箇所が似たような話題でオモコロウォッチでも参照されていたので、図らずも予習したみたいになっちゃってウケてしまった。ぜいぜいなんだよこっちはァ!
「情報にノイズがあってこそ知識となる」とする見方が面白いと思った。
ネットサーフィンして得た情報よりも、なんかしらの経験に紐づいた知識の方が身につく……みたいなことは実感としてわかる気がするが、その差になっている「具体的な経験・歴史や文脈」を大枠で「ノイズ」と捉えるのが大胆な見方だと感じた。裏返しの「”情報”は、自分のコントロールできる範囲の内容に留まっている」という捉え方が新鮮だったというべきか。
読書というのは(小説であれ技術書であれ)自分を知らなかった情景や情報を取り入れることで、”遠く”へ連れて行ってくれるような効果があるのだけど、その”遠さ”は人生にすぐ貢献しないしコントロールもできない。
現代人はノイズを受け入れる余裕すら労働で失ってしまっていて……よくないぞ、と。本来ノイズなんてたくさん溢れているし、受け入れてこそなんだけど、じゃあどうあるべきか? その答えを導くために「そもそも我々はなんでこんな働くようになったのか?」という背景にも迫っている内容。
面白かった。面白かったんだけど、たまたま僕は読める程度には仕事に全力じゃないから読めたわけだし、本書を本当に読んでほしい層にはこの本は届かないのでは、という気もする。
個人的にもそもそも社会が定義する「疲れる」の基準が厳しすぎるとは思っていて。「健康的で文化的な生活」の前提となっている健康が、週5日8時間労働に耐えらえる心身を指しているの、モーレツ過ぎませんか。なんでみんな文句言わないの?
本書の「全力で労働するのやめませんか、お互いにちょっとずつサボりませんか」という主張に僕は賛同するんだけど、それ職場で言ったら査定が大変なことになるのは容易に想像できるし……もちろん大いに意義がある提言と思うんだけど、大きすぎる問題って運命と見分けがつかないですし。
あと、ちゃんとノイズと向き合え、という話でもあるので耳が痛い部分もあった。
持論として「ビジネス会話で人の目を見て話すのはマナー違反」というのがある。純粋な情報のやり取りであるビジネス上のやりとりにおいて、目による情報を読み取ったり与えたりするのはむしろフェアじゃない、マナー違反だ、という……まぁ陰キャ側による屁理屈なんですが。逆に情報だけの交換はかなり楽だ。Twitterで毒にも薬にもならない雑学やネタ投稿を摂取しているときがそれに近い。
ちゃんと人と向き合うのって、疲れるんだよなぁ。まぁでも、本来やらないといけないことだよなぁ……。
そんな感じの問題意識をぼんやり添えながら過ごしていたせいか、以下の2曲が特に印象に残ったのだった。
労働で消耗しきった毎日のやるせなさと怒りというか。歌詞の終わりは「この日々をまだ愛せるだろうか」と終わるんだけど、ここに込められているのは共感だけではない気がする。
「まだ愛せるか」の問いを受けて、「愛してみせよう」と踏み出す人へのエールにもなっているような気がするし、「すまん、もう厳しい」となってしまった人も無理に叱咤激励せず受け入れている気がする。懐の深い曲だなぁ。
缶コーヒーのジョージアのCMソングらしい。同じ商品のCMソングが十数年前は『明日があるさ』だったことを思うと、なんていうか、元気のない方向に時代が移り変わったんだなぁと感じれて切ない。
一方で、苛烈なまでに「生きろ」と説き伏せてくるのが『UNDEAD』だった。
YOASOBIが大ヒットアニメの主題歌を連続して担当しているのは知っているが、Ayaseさんが化物語の大ファンであることはこの機会に知った。改めて歌詞をまじまじと読み込み、理解した。きっとあの日の神原に忍と一緒に怒られた人なのではないかと思った。
そして何より苛烈なメッセージだとしても、アニメの主題歌としてなら、ましてやその歌い手が斧乃木余接なら、きっと受けれてもらえるだろう狙いも込められているらしい。そりゃたくさん主題歌作ってほしいわ。
言うてる間に今年も残り2カ月半。やっていきましょう。また来週。