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60年前を探して ~生まれ故郷『和歌山県橋本市』を訪ねる
還暦を迎えた日に生まれ故郷を訪れる
6月28日で私もついに還暦を迎えた。
戸籍は両親の籍である宮崎県都城市に残したままであるが、
出生地は『和歌山県橋本市』である。
ただそこで産まれたというだけで、思い出はおろか記憶などは一切ない。
還暦にもなって生まれ故郷のことを全く知らないまま人生を終えるのもなんだかもったいないような気分になって、ふと思い立ち、同地を訪れてみることにした。
私が現在住んでいるのは大阪府吹田市。
1970年に開かれた万国博覧会の会場となった場所だ。
ここから橋本市まではJR、南海電車と乗り継いで、およそ1時間30分ほどで行くことができる。
特急など利用せずとも案外気楽に行ける距離だった。
勝手に、遠い彼方の地だと想像していたのだが。
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橋本の地に
南海電車快速急行に揺られることおよそ1時間ほどだろうか。
高野山を訪れるであろう外国人観光客数人とほんのわずかな乗客を乗せて終着駅である『橋本』駅についた。
駅では、橋本市にゆかりがあるという漫画家、楳図かずお氏のキャラクター『まことちゃん』像が出迎えてくれた。
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雨降りだったこともあるだろうが、まことちゃん像は色褪せていることもありとても寂しそうで哀愁を感じさせた。彼のギャグである「グワシ!」のポーズもなんだか悲しげだ。
そしてちょうど昼食時ということもあり、駅前の商店街にあった「力うどん」さんを訪問した。
うどん屋『力うどん』さん
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よそ者を受け付けないような独特の外観で、一瞬入るのを躊躇したのだが、メニュー看板にあるホームランうどんの文字に惹かれて入店することに。
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夫婦お二人で経営されているよう。
その世界はそのまま昭和。
大雨ということもあってか、客は私一人だった。
女将さんはのんびりとテレビを観ている。
そんな女将さんに声をかけ、看板メニューであろう「ホームランうどん」と「親子丼」そして瓶ビールを注文した。
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美味しかった。
ありふれた表現だが、まさに家庭の味という感じで出汁がとてもよく効いていた。親子丼も、自分が求めていたものがすべて入っていた。
さて、これからどうするか。
めぼしい観光名所もなく、しかも大雨の日。
なにも考えずに身体がは、商店街の南側の紀ノ川方面に向いた。
・・・しばらく歩いた後に眼前に姿を現したのは、雨で増水して唸っていた紀ノ川と、荘厳な紀伊山地の山並みだった。
紀ノ川方面へ
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雨はますます激しくなる。
傘もほとんど役に立たないほどになる中、ずぶ濡れになりながら私は紀ノ川に架かっている「橋本橋」を渡ってみることにした。
橋本橋を渡る
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9億1千万円の事業費で昭和53年に竣工したこの橋は、国道370号線で紀ノ川を横断する重要な橋だ。
大台ケ原を水源とする紀ノ川において、従前の橋は幾度も流されたこの橋を、およそ7年かけて水害に強い鉄骨造の橋に架け替えたもので、おそらく市民全員がその竣工を喜んだことだろう。
橋を渡ってより近くから見上げた紀伊山地の山々は、やはり荘厳で、激しく振り続ける雨の中立ちすくむ光景はまるで黒澤明の映画のような迫力があった。
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記憶には全くないはずなのに、その山々や紀ノ川を見るとなぜか懐かしい気持ちになるのは何故だったのだろう。
母親の胎内にいたときの“胎内記憶”というのは本当にあるのかもしれない。
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居酒屋『タマちゃん』へ
夜の帳が近づいてくる時間になった。
私は小さな赤ちょうちんに魅かれて暖簾をくぐった。
カウンターだけの路地から外れた飲み屋さん『居酒屋タマちゃん』
還暦の私よりも人生の先輩たちが常連さんとしているようなお店。
「たこぶつ』『きゅうりの糠漬け』『厚揚げ』『瓶ビール5本』をいただいた。ビール5本のうち一本は、今日誕生日だと知ったその常連さんが奢ってくれた。
ビールはとても冷えているのにとても暖かい気持ちに・・・
ほろ酔いのまま帰路に就く。
次回来るときには、どこか宿をとって泊りで来たい街だ。
必ず来よう。
そして、私がこのnoteを作成するきっかけというか目的は、生まれた60年前と今の私、そしてとりまく環境がどれだけ変わったのかということを記録するためだ。
そこで60年前の同日に起こった出来事、気象の記録や主な出来事等を文末に記していきたいと思う。
昭和39年(1964年)6月28日
【和歌山】
最低気温:21.3度
最高気温:29.3度
天候:雨
【大阪】
最低気温:19.9度
最高気温:29.6度
天候:降水なし
令和6年(2024年)6月28日
【和歌山】
最低気温:21.9度
最高気温:25.1度
天候:雨
【大阪】
最低気温:21.2度
最高気温:25.3度
天候:大雨