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今”ここ”から世界をどう読み解こう? 雑誌が私たちに問う身体性と、情報の多様性について考える。

ニューヨークを拠点に活躍中のアートユニット「exonemo(エキソニモ)」千房けん輔さんをゲストとして迎えた創刊記念イベントを10月16日に開催しました。
インターネット黎明期よりネット上におけるコミュニケーションやメディアを観察しその新たな形を模索・表現をしてきた千房さんと、「255255255」編集長 神谷が、小さなメディアとなりつつある雑誌の役割や情報そのものと人との関係性についてを語り尽くしたイベントレポートをお届けします。

profile.

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千房けん輔
アーティスト/アートディレクタ/プログラマ
1996年より赤岩やえとアートユニット「エキソニモ」をスタート。インターネット発の実験的な作品群を多数発表し、ネット上や国内外の展覧会・フェスで活動。またニューメディア系広告キャンペーンの企画やディレクション、イベントのプロデュースや展覧会の企画、執筆業など、メディアを取り巻く様々な領域で活動している。アルス・エレクトロニカ/カンヌ広告賞/文化庁メディア芸術祭などで大賞を受賞。2012年に東京よりスタートしたイベント「インターネットヤミ市」は、世界の20以上の都市に広がっている。2015年よりNYに在住。「Video Print」を標榜するNY発のスタートアップ Infinite Objects でアートディレクターを務める。
http://exonemo.com/


便利じゃない情報をどう読み解くのか

千房) 雑誌タイトルと表紙、どちらもギークな雰囲気がありますね。どうしてこうなったのか気になります。

神谷)ずっと循環していくような変化の様を、デジタルとアナログの白という2つのミーニングで捉え直していこうという意味で「255255255」になりました。
リアルな白ってなにもない、透明、まっさらとかいう印象だけど、デジタルではRGBの最大値のかけ合わせるが白になる。同じ白でもデジタルだとたくさんのエネルギーが最大値で掛合わさっているのが面白いなって。

千房)絵の具だとドドメ色になるけれど、デジタルだと色を全部混ぜると白になる。真逆のアプローチですね。

神谷)変化も同じことだと思うんですよね。過程で色々と混ざり合ってカオス状態になるけど、そこを突き詰めていくとリセットされて真っ白になる瞬間がやってくる。そしてまた新しいものが創造されていく、その繰り返しがこの世界なんじゃないかと。
表紙はコンセプチュアルにデザインされる藤田さんという方が良い感じに仕上げてくれました。「なんだこれ?」と感じた人に手にとってほしくて、最終的には人を選ぶような面構えになっていました。

千房)情報がないですもんね、このコードを知ってる人しか意味を読み取れない。

神谷)例えば絵を見るとか自然を感じるとかって、目的があってというよりも裸のままに転がっている情報をどう読み解くかっていうことじゃないですか。役に立つようなわかりやすいハウツーものではなくて、生っぽい情報を本屋に転がしてみたかったのかもしれません。

千房)確かに、どういう情報がゲットできるかわかる表紙の本を買って、予想がつくものを読んで、知っていることを補強するってことになりがちですよね。そうしたことへのカウンターとなる雑誌なんですね。

身体が常に取り残されている情報社会

千房)雑誌の企画が始まったのはいつ頃なんですか?

神谷)コロナの問題が顕在化してきた1月頃です。飲食店が食材の仕入れに注力する、デリバリーを始める、みたいな話がニュースになっていました。それを見ながら、外的な要因が今までの当たり前を破壊しながらも、表面だけを変化させて本当に大事なことは残したままに生き残りをかけていくことが世の中にたくさんあるよなあとか考えてて。コアバリューは変えずに新しいビジネスを展開したりとか、企業でもあることだなって。

千房)どうピボットできるのか、その機動力はすごく問われる時代になっていますよね。「新陳代謝する場所」というテーマになったのは?

神谷)オフィスに人がいなくなって、なんのためにこの場所に集まるんだっけ?って考えさせられたことがきっかけかもしれません。
これって長い時間の中では地方では既に起きていたことじゃないですか。過疎化とか、地方に人が集まる要因がどんどん薄れていくとか。それで調べてみると元気な地方ももちろんあって、どうやっているんだろう?と興味を持ちました。それで取材をしたところ手がかりとなりそうな「新陳代謝」という言葉が浮かび上がってきました。

千房)ネットの世界の新陳代謝はものすごく早いですよね。どんどんアップデートして、どんどん便利になっていく。だけどこの雑誌で言ってる新陳代謝は身体的なことなのかなと。コロナでストップしたのも人の移動とか対面での交流とか身体性の部分が多い。新陳代謝のスピードが加速していく情報社会の中で、身体は常に取り残されていることに対して注目する視点があるのかなと感じました。

神谷)おっしゃる通りです。地方に行くと物事の動きが遅くて新陳代謝も鈍い。だけど仕組みの力で活性化している地域もたくさんあるんです。今回、特集でその仕組みを紐解いていたら、千房さんがおっしゃるような身体性を持った場所としての新陳代謝の作り方が見えてきました。

千房)身体に限って言うと、妨害やノイズが身体性への気付きとなってアップデートしていく方向に意識が向くことがありますよね。
私が今住んでいるNYは汚いし、歴史的な建造物が残っていて不便さがある街です。停電や水道がストップすることもある。だけど色んな不妨害に直面する度に身体性を自覚させられて、活性化していく感覚があるんです。
日本は全てがスムーズにいくようになっているじゃないですか。それが逆に身体のアップデートを阻んだり、反射神経が鈍らせてしまう側面があるんじゃないかな。もしかしたら雑誌も妨害とかノイズみたいな役割があるのかもしれませんね。

多様性と個性を発揮できる自由なメディア

SPBS司会)個人的に雑誌というのはつまづきのメディアで、ほつれていて手触りがあるからこそ面白いと思っています。同様にSPBSは住宅街にある書店で、街にささくれを作っているというか、立ち止まったり考えるきっかけになる場所として機能しているのかなと。

神谷)奥渋ってSPBSができてからだんだんとカルチャーの色濃いエリアへと発展していったという印象があります。SPBSの周りにあるレストランってみんな主張が強くて個性的なのも、まさにSPBSがささくれになっていて、同じスタンスの人たちを集める源になったからではないでしょうか。
SPBSがなかったら儲かるからこういう業態で集まろうみたいな経済原理がベースののっぺりした飲食街になっていたかもしれませんね。

SPBS司会)そうですね。書店の魅力は様々な分野、あらゆる考えや興味の方向性が集約されている雑誌的な場所であって、便利な情報を得るとか経済原理に乗っかるというのとはまた違いますね。

千房)時間の過ごし方も違いますもんね。ネットにはないセレンディピティや偶然とランダムに出会う可能性にあふれている。

神谷)ネットの中って人も均質化している気がしませんか?リアルな本のほうが自由なことを書けるからか、SPBSのような本屋に行くとみたこともないテーマや判型の本がたくさん置いてある。ネットより多様性も個性もあって面白いなあと思っています。
それに、本を取り巻く環境やカルチャーも変わってきていますよね。文喫さんとかは入場料を払うとたくさんの本を読めるし、買えるし、ワークスペースとしても使える。長野にある栞日という本屋さんは宿泊できるんです※。生活の中での本との出会いを体験させてくれるような価値提供をされています。

千房)過去に雑誌の連載をしていた中で、かなり実験的な連載をやっていたことがありました。MdNという雑誌の「デザインサイコメトリー」という連載では、ひらがな・カタカナ・英単語でフォントが全部違っていたり、見開きで左右反転したページを掲載したり。

インターネットを舞台とした仕事をやりながら雑誌連載をやっていて思ったのは、雑誌には好きなことを言える安心感のようなものがある。ネットだと炎上リスクが高いので、一つのことでも言い切らないようにするとか、固有名詞はぼかすとか、極端な意見を言えないとかテクニックが必要になります。雑誌から炎上するってこともあるけれど、断然自由なメディアなんだと思います。

溶けていく情報と身体の境界線

SPBS司会)SNSやウェブメディアに雑誌が取って代わられてると言われていますが、お二人はどう見てますか?

千房)ネットはいいねとかいきなり何千何万と拡散してくとか、人間の快楽神経を直接刺激する仕組みができてますよね。むしろそこに特化してきている。ある方面では便利かもしれないけれど、それだけだと情報のバランスが悪い。

神谷)情報摂取って日常的にやっていることだから、1日中何も考えずに終わるっていうことがザラに起きてしまいますよね。世の中のニュースに脊髄反射的に反応するとか、その連鎖で世の中が動いていくことに対しての健全性が気になります。

千房)スマホで常時ネット接続ができるようになり、情報と身体の距離が非常に近くなりました。では身体とはどこまでなのか。その境界線を考えると、もはや皮膚で線引できないほどネットワークの世界にまで身体は拡張しています。スマホやデジタルデバイスを身体の一部と考えると、バーチャル空間の中で操るアバターも身体の一部みたいな感覚に捉えることができますよね。はっきりとした境界線があるのではなく、お互いに侵食しあってるんじゃないでしょうか。

神谷)宇野さんの寄稿の中に、とある神社の柱には応仁の乱の時に受けた矢傷があり、そのことを知らずにいると神社はただの神社でしかないけど、応仁の乱の矢傷だと知った時に場所のリアリティが深くなるというお話がありました。
こんな風に歴史という過去に遡る多層化もあるし、リアル店舗がオンラインも展開しているようなバーチャル空間への拡張という多層化もある。その両方を理解できると、今の世の中ってすごい面白く見ることができそうです。そのためには歴史を勉強したり、デジタルに詳しくならなきゃいけませんが、でもその中心点は今”ここ”のリアルな場所であることには違いない。地層をみながら歴史の移り変わりを読み解くのか、デジタルツールを使ってオンライン上に伸びている空間を感じ取るのか、リアルを豊かに見る手段がたくさんある時代だと思うと、この世界って結構楽しいですよね。

千房)情報として知っているということと、実際に見るリアリティの違いは重要ですよね。情報がないと成立しないし、情報が現場に接続されることで補強されることもたくさんありますね。

今”ここ”から未来予測は可能か?

千房)「あいちトリエンナーレ2019」と今年開催したエキソニモの個展「UN-DEAD-LINK」両方で展示したスマートフォン越しにキスをしているような作品があるのですが、コロナ前後で意味や捉え方が一変しました。コロナ後には今を象徴しているというような感想を貰ったり、これをきっかけに「アートは未来を予測できるのか」という見出しの取材を受けたり。

これは私のパートナーが言っていたことですが、「アーティストというのは常に予測できない角度のことをやっていて、未来というのは予測できない角度からやってくるから、アーティストがはまる瞬間がある。アーティストが未来を予測できるかはわからないけれど、アートをみているとそこに未来のヒントはある」という風に話していて。経済原理で考えていくとみんな同じ予測にたどり着いてしまうので、限界はあるのでしょうね。

神谷)私もアートはあくまでも可能性を提示することしかできないと思っています。経済原理で導かれる予測も一つの意見として、多様な可能性を提示できるような社会であるべきですよね。その点、本屋に行くとみんな自由なことを言ってるなあと安心します。

経済原理から外れてしまった「255255255」

SPBS司会)「255255255」もかなり経済原理から外れたところがありますよね。255円という。

千房)雑誌の編集方針ってあったりするんですか?

神谷)割とマイナーな方向でまとまりましたね。マイナーに縛りをかけてるわけでもないんですけど。このテーマにした時に「会いたい人に会いに行く」ということを素直にやりました。

千房)今後のテーマの選び方はどうしていくんですか?

神谷)コレクティブな作り方にすごくこだわっていきたい。WHITEメンバー4人に加えてSPBSの外部メンバーがいて、打ち合わせでは和気あいあいとフラットに意見を出し合うことができました。そのおかげか、それぞれの良いところがぎゅっと詰まった創刊号になりました。次のテーマはこれだ!って私が強権発動していくのではなく、またみんなで会議をやって多様な意見の中から選んでいけたら良いですね。

千房)チームがセンサーのように機能して、世の中に反応したものが雑誌に反映されていくんですね。

神谷)個人メディアの時代とも言われていますが、多様性のあるチーム単位で敏感に反応していくことで起こる化学反応もあります。それを引き続き、雑誌を通じて体現していきたいと思っています。

(おわり)

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