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「こんなはずじゃなかった」って、人のせいにするのはもうやめようよ。結局、その道を選んでいるのは自分なんだよ?

 昨日書いた内容では、ちょっと説明不足だったなと思って。この話に至るまでの、私の「逃げ」人生をちょっとだけ書こうと思います。

自分の意思は”親の意思”の次だった

 別に”自分の意思”がなかったわけじゃないんです。親が怖かったわけでもない……というと、ちょっとウソになりそうですが。ただ、昔から我が家は「縦社会」だったから、何事においても”父親が一番”だったわけで。父親の決めたことが”絶対ルール”の家庭。令和の時代には、ありえないよねぇ。

 どちらかと言えば、私はそういう「抑圧」があったから、逆に人よりも自己主張は強かったと思うんです。何かを主張して、人から反対されれば、「なんで?」「どうして?」と詰め寄ることもあったと記憶しています。

 そうそう、ここで1つお伝えしておきます。「抑圧」という表現を使っていますが、私は両親を”今は”恨んでいません。その当時は当たり前の風習だったと思っているし、そういう教育をする背景には、父と母の育ってきた環境も関係しているとわかっているし、それぞれが苦労人だったことも周囲から聞いて知っているので。”今は”と書いたのは、当時は恨んでいたと思うからです。

 話を戻します。幼少期から、私はやりたいことがあるとすぐに主張する子でした。でも、それが両親の「良し」とするものでない限り許しはもらえず、逆に私が嫌でも両親が良しとするものであれば、させられたと記憶しています。


進学した高校を選んだ理由

 私はとある女子高を卒業しているのですが、その高校も両親が決めました。理由は2つです。

1つ目は、「公立=お金がかからない」という理由。

 私は父、母、兄、私の4人家族でした。父は私が中学2年生の時に定年退職となり、それに合わせてマイホームを建てたようです。でも、父が体調を崩して入退院を繰り返し、とにかくお金がなかったと母は話していました。まぁ、どこの家庭も「お金がない」と言うらしいので我が家がどの程度なかったのかはわかりません。

 だから、とにかく公立に進学してほしかったのだそうです。

2つ目は、「地元で有名な進学校」という理由。

 小学卒業までは、東京に住んでいました。都会では「私立」に対してそれほどアレルギーはないと思いますが、田舎では「私立=学力の低い人が行くところ」みたいな固定観念が強くて。両親の世代からしたら、アレルギー反応が強いというか。それに加えて、「世間体を気にする」地域でもあったので。

 「○○さんとこの△△ちゃん、◎◎高校へ行ったんですってよ~」みたいな。ホント、くだらない話。その、両親の「見栄」のために、私はそこへ行かされたわけで。私が本当に行きたかった高校は、電車とバスで約60分のところにある、短期大学付属の私立高校でした。まぁ、お金を出すのは親なのでね、親に従わなければならないこともわかっていましたよ。ちゃんと。


就職先を選んだ理由

 進学校に進んだのに就職した理由は、前回の話を読んでいただければわかると思いますので省略します。

 最初、自衛隊を受験することになるんです。父親が自衛官だったからって理由なのかな?「公務員安泰思想」というのかな?とにかく、私の意志ではないんですよね。でも、やりたいこともなかったので、とりあえず受験するんですよ。友達と。

 受けるからには受かりたい気持ちもあるんですけど、言いなりになりたくない気持ちもあって。「陸上自衛隊」を受けるように言われたのを、勝手に「航空自衛隊」を受けて。で、落ちるんですよ。残念な気持ちと、ほっとする気持ちがあって。笑えます。

 卒業が間近になった頃で、2月だったかな?進学クラスに居ながら、私だけ就職希望を出していたわけですが。クラスメイトは皆、センター試験が終わってひと段落していたと思いますが。進学校だったけど7クラス中2クラスくらい就職クラスもあって。そのクラスの方々は、とっくに就職が決まっているんですよ。学年で私だけ決まっていないんです、就職先が。2月なのに。

 担任も両親も焦っていました。私は夢をかなえる道(進学)を閉ざされたので、何もやりたくなかったため、何も考えずに過ごしていました。そんな時に舞い込んできたのが、某製薬会社の工場勤務(正社員)の話。

 担任も両親もやっきになって。担任は、「とにかく就職させなければ」という責任感があったようですが、両親は違いまいした。「製薬会社だったら公務員ではないけれど安泰だ」という考えだったようです。

 とりあえず、入社面接とテストの勉強を、何だかなだ言いながら父としたのを覚えています。無事に合格し、就職できたわけですが、その後の3年間は、精神的に苦しみました。これも、前回の話に書いてあるので読んでいただければと思います。


受け入れた時点で自分で選択したことと同じ

 製薬会社に3年間務めた後、自分の意思を貫いて生き始めることになるのですが。その「意志を貫く決断」をせずに、両親の価値観の元、両親の言うがままに生きていたら、きっと私は恨み続けていたと思います。両親を。そして、自分の境遇を。友人を。世間を。世界中のありとあらゆるもの全てを。

 「あなたは優しかったんだよ、両親思いだったんだよ。」と言ってくれた人もいました。が、違うと思います。ただ、自分で決めることを恐れて逃げていただけだと思うのです。

 自分で決断し、「自分で責任を取る」ことを恐れていたのです。言いなりになることで両親に「責任を押し付けて」「自分に言い訳をして」「自分を正当化して」「妥協して」生きていたんだと思います。

 でも、冒頭の「抑圧」という言葉を使って伝えるとすれば、

 例え誰かから「抑圧」されて生きていたとしても、その「抑圧」を受け入れたのであれば、それは「受け入れる」という選択を行ったということ。つまり、自分で「抑圧された人生を生きる」ことを選んだということです。

 だって、その生活が本当に嫌なのであれば、それを反発することもできただろうし、そこから逃げ出すこともできたはず。まぁ、その術を知らなかったこともあると思いますが。ただ、その勇気がなかっただけだとも思うのです。「人のせいにして生きる」という「楽な人生」を選んだだけ。


それもまた”あり”だと思う

 ここまで書いてきて、こんなことを言い出すと「何なの?」って思われると思うのですが。

 どんな人生を歩んでも、それはそれで”あり”だと思うんです。

 いつだって、誰だって、自分の思い通りに生きられるわけじゃない。そんなことは、私だって分かっています。だから、自分の意思に従って生きられない人達を否定する気は、全くありません。

 ただ伝えたいのは、自分の意思じゃないから・・・って、人のせいにするのはやめようよってこと。人の意見に従っていきる。それも”あり”なんです。でも、その「従う」ことを選んだのは自分なんだから、結局最後は、「自分の選択した人生なんだよ」って話。

 こう書きながらね、自分と自分の過去に「意味」を持たせようと必死なわけですよ。でもね、「こんなはずじゃなかった」って嘆く暇があるなら、まずは受け入れて、その先を考えようよって伝えたくなって。だって、手を差し伸べてくれる人は、どこかにいるはずだから。

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MM(まみーた)
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