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「やられたら、やりかえせ!」が教えだった・・・。

 前回の投稿に書いた通り、私は悔し泣きしかしてこなかった。その場ではなく、帰宅してから泣いていたため、家族からはよく泣く子どもだと認識されていた。

「やられたら、やりかえせ!」は父の教え

 私が自宅で泣いてばかりいたので、その理由を問われることが多かった。そんな時、私はいつも似たようなセリフを吐く。

「○○ちゃんに、髪の毛を引っ張られた・・・」とか

「△△くんに、叩かれた・・・」とか。

まぁ、大抵は喧嘩が原因だった。喧嘩をして、負けて、悔しくて、自宅で泣く・・・という構造が、私の中に出来上がっていた。

 そんな時、父はいつも言った。

「悔しかったら、やり返してこい!やられたら、やりかえせ!」

 でも、私はできなかった。自分で言うのもなんだが、私は実に慈悲深く、優しい人間だからだ。誰に教わったかも覚えていないが、

「自分にされて嫌なことは、人にしてはいけない。」

という教えが、いつも心の中にあった。

 だから、自分の子育ての方針に「やられたら、やりかえせ!」は含めなかった。その代わり、「よく耐えたね。手を出さずに、偉かったね。」を追加した。その甲斐もあり、我が子達は皆優しい。

今は別の意味で「やられたら、やりかえせ!」を使う

 それは何か・・・自分が受けて嬉しい優しさ・心配り・恩は、必ず返すということ。けれど、それをくださった方に必ず返せるわけではないだろう。だから、こうも告げている。

「恩送りをしよう!」

 恩送りとは、恩をくださった方に恩返しができなくても、誰かほかの人に良い行いをすること。つまり、受けたご恩を誰かに送るということ。これを皆がしていけば、世の中が素敵なことで溢れかえる。私は、そんな世の中になることを願っているのだ。

小さなことから始める

 今の時代、近所の子ども達に挨拶するだけで不審者扱いだったり、近所との関係が薄く、挨拶をすることが無かったりする。挨拶をしても無視をされたり・・・実に悲しい世の中だ。

 けれど、私は諦めない。挨拶をし続ける。なぜなら、「自分がされて嬉しい」からだ。「笑顔の花」が咲くからだ。こんな小さなことでも、きっと私の他にも喜んでくれる方がいる。そう信じて、今日も挨拶をする。

 当たり前と思われていることも、当たり前ではない。駐車場の警備員さんが誘導してくださることも、狭い路地で道を譲ってくださることも、傘がぶつからないように斜めにしてくださることも、レジの方がすごいスピードで会計してくれることも・・・全てが尊いことだと感じている。だから、感謝の気持ちを込めて、笑顔で「ありがとうございます」を伝える。

 本当に本当に些細だと思われることにも感謝し、恩送りをしていきたい。そして、やはりそんな優しさで包まれた世の中に憧れてしまう私がいる。

もしもあなたの琴線に触れることがあれば、ぜひサポートをお願いいたします(*^^*)将来の夢への資金として、大切に使わせていただきます。