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やりたい時に、やりたいことを、やりたいだけできる幸せ。

つい最近大きな決断をしました。
自分の気持ちを大切にしようと思って、
フットケアでお世話になっていた人とのお別れ。

すごいね、心に余裕が生まれる。
なんでもできちゃう。

いつもこんな風にゆっくりのんびり考えて行動してたい。
どうしよっかな~って迷いたい。
で、自分が好きな方を選びたい。
当たり前に行動できていることがたくさんあった。

言いたいことは遠慮なく伝えたい、
お願いしたい、
助け合いたい、
学びあいたい、
笑いあいたい。

でも、だって。
言い訳はいらない。
わかってもらえないのに、
この罪悪感は何?

やる気がないんじゃないんだ。
やりたくないんだ。

遠慮して最後まで言えなかった。
伝えられなかった。
伝える自信がなかった。
聞いてもらえると思えなかった。
信じられなかった。

フットケアと同時進行で、
訪問看護の職場でもいろいろ大きな変化がありました。
見事にリンクしてくるからおもしろい。

法人の基本理念が、キリスト教精神に基づく使命。
だからなのか、
訪看のスタッフたちはびっくりするくらい利用者さんに尽くす。
尽くしすぎ。

そして、
こんだけ尽くしているのにクレームが多い。

え、なんでそうなるの?
ちゃんとやってくれなかったってクレーム何?
ちゃんとって何?
感謝の気持ちが足らんのんちゃうん?って私は思っちゃう。
感謝の反対は当たり前。
当たり前禁止!!!って私が叫ぶ。

いいのよって笑う所長さん。
仕方ないわよ、許してあげてって言われちゃいました。

器、広いわ。
私、無理だわ。

大丈夫、できてるわよって。

できてませんできてません。
やりたくないやりたくない。

そう言いながらも、
いつの間にか許している自分を発見。

あ。

なんだろ。
きっと、自分もやりたいこと自由にできるようになったから?
思ったこと言えるようになったから?
やりたくないことはやらないって決めたから?
だから?

許してあげるのは、
利用者さんじゃなくて私自身。
自分を許せたら、
相手も許せるのか。

なんだか久々にスッキリした夜。

いろんなことが起こりすぎて、
気持ちがついていかない。

私自身は間違いなくいい方向に進んでいるんだけど、
自分ではない誰かのことを心配している。

そんな誰かと比べている。

やりたい時に、やりたいことを、やりたいだけできる幸せ。
比べているのは行動ではなくて意識。

自分の思うままに夢中になれる自由が羨ましかっただけ。
自分が正しいと思って遠慮なく意見をぶつけられる強さが欲しかっただけ。
他人の意見をまったく受け入れず、
全力で自分を認められる前向きさに惹かれただけ。

私にないものを持っている、
だから憧れたんだ。
でも、
そうなりたいかと聞かれたら、
なりたくはない。
の、矛盾。
1人でがんばってきたからこその強さは、
誰にも頼れない弱さでもある。

この関係が、
今自分がやりたいことの大きな壁になっていると気付いてしまった。
私は自分の人生を楽しい努力でいっぱいにしたい。
無理や我慢を押し付けられたくない。

そう、それは昔の私。
子どもに自分の無理や我慢を押し付けていた。
あなたのために。
言われてきた言葉は、すべて昔の私が子どもに伝えていた言葉。
自分の嫌な過去を思い出すから
余計に辛かったのかもしれない。

それも私で、
今の私はまた違う。
ありのままの自分で、
たくさんの笑顔とつながりたい。

あ~私、成長したなあ。
そこに気付けたことにも価値がある。

そのタイミングで、新しい憧れの存在があらわれる。
たくさんあらわれて、
あっという間に私を自由にしてくれた。
チャンスの神さまの前髪をつかむのは得意。
そうか、これが新しいステージか。

今までのやり方では前に進めない。
新しいやり方で、
新しい自分になる。

がんじがらめを手放したら、
きっと、
もっと、
新しいやりたいことがきっと見つかる。

いや、すでに見つかっている。

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