教員を辞めて、貸切ゲストハウス始めた理由。
3年前までは特別支援学校の教員で
したが、今、
愛知県で4軒の貸切ゲストハウス
を営んでいます。
「どうして学校の先生を辞めて貸切ゲストハウスを始めたの?」とよく聞かれます。
それはこんな理由です。
以前から旅行が好きで、よく国内外を家族で旅していました。ハワイに旅行に行く時は、家(バケーションハウス)を借りて1週間ほどゆっくり過ごすしていました。特に子どもが小さい時は、昼寝をしたり、離乳食を食べたりするので、たくさんの洗濯をしたり、調理をしたりできるバケーションハウスは便利でしたし、
家族だけで気兼ねなく過ごせる
のでリラックスできました。その頃は日本の貸切宿はバンガローくらいしかなく「日本にも一軒家を借りてゆっくりできる所があるといいなぁ」と思っていました。一軒家でしたら我が家のようにゆっくり滞在できます。
また肢体不自由特別支援学校の教員時代、修学旅行の事前調査で、障がいもつ児童たちが旅行体験がほとんどなく、また親類の家以外の場所で泊まったことがないことを知り、
「障がいのある子どもも家族で気兼ねなく過ごせる宿があればいいのになぁ」
と感じました。貸切一軒家だったら、他のグループに気遣うことなくゆっくり過ごせりし、新しい体験することで子どもたちの世界も広がります。
自分が旅行好きのこともあり、貸切ゲストハウスを作って、障害のある人たちにも旅行などで利用してもらえたらいいなと漠然と思っていました。ちょうどその頃、日本で民泊ができるようになり、自分でも貸切ゲストハウスができるかも?と考え始めました。そして賃貸住宅を借りて民泊を始めようと思いましたが、なかなか民泊用に家を貸してくださる方がいなくて進みませんでした。また公務員だったので、副業が禁止されており、
「思い切って早期退職して貸切ゲストハウスをやってみよう!」
と考えるようになりました。
そこで地元の信用金庫の起業塾に入り、起業するためにどうやって進めるのかを学びました。
同時に、駅近で旅館業で貸切ゲストハウスを始めることができる家を探し始めると、まさに希望通りの家が見つかり
「これは貸切ゲストハウスをやれ!という天の導きだ!」
と解釈してさっさと退職届を出し、その半年後に貸切ゲストハウスを始めることになりました。
バスルームやトイレなどに手すりをつけたり、スロープを作ったり 快適に過ごせるような備品を準備したりして、障がいのあり人もない人も、
リラックスして過ごせる貸切ゲストハウスを目指し
て、日々ゲストハウスを整えています。
夢は叶う!と感じています。
今日も皆さまにとって素敵な一日になりますように😉
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