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香港の海鮮料理店のおじちゃんの一言で、転職を決めた話

「すみません……お茶のおかわりください」

辺りをキョロキョロ見渡しながら、私は慣れない広東語でホールのおじちゃんに声をかけた。

日本との時差がたった1時間なんて信じられないくらいの別世界・香港にある小さなレストランで。

外国語を使うのは、とても勇気がいる。
賑やかな場所で、大きな声を出すのが嫌だからか。日本人であることを、なんとなく隠したいからか。もし間違っていたら、恥ずかしいからだろうか。

「はいよー! さっきと同じポーレイ茶だよね? 今持って行くよ!」
おじちゃんは大きな声で返してくれた。これ以上ないくらいの、満面の笑みだった。
恥ずかしいと思った自分が、恥ずかしくなった。

ここは、母が大のお気に入りの海鮮料理店だ。
ガイドブックに大きく載るような有名ホテルでも三つ星レストランでもない。日本人が初めて来たら少し躊躇いそうなくらい、お世辞でも綺麗とは言えないし、お茶碗だってたまに欠けたのが混じっている、そんな店。

でも、とにかく、料理がおいしい。
シャコも鮑もマテ貝も蒸し海老もお魚も炒飯も肉料理もハトも……口に入れたらいろんなことがどうでも良くなるレベルで、おいしいのだ。

ただ、その日はいつにも増して、私の眼にはその店が魅力的に映っていた。
芥蘭のオイスターソース炒めを口いっぱいに含みながらもぐもぐその理由を考えていると、あることに気がついた。

店内は現地のお客さんを中心に、超満員御礼状態。
奥の大テーブルでは、10人もの大家族がメニューをぽつりぽつりとオーダーしはじめたところ。左には、ビールのおかわりをお願いしようと身を乗り出している男性5人組。向こうのテーブルには、おそらく初めて来た外国人が見よう見まねで洗い用の椀を使いながらお椀をくるくる回している。一階からも、新しい注文が数件入ったらしい。ああ、厨房からメインメニューも上がってきた。

ホール担当のおじちゃんは大忙し。
それでも、ずっとニコニコ笑顔で走り回っている。
その表情を眺めていると、新鮮でプリプリな海老がプリッップリに感じるくらい、幸せな気持ちがお腹の底からわいてくる。

そうか。
このお店の魅力は料理だけじゃない。
それに気づけた自分が、ちょっぴり嬉しい。

私の母は、若いころ仕事を一度パタリと辞めて香港に留学し、香港人の父と出会い、日本に連れて帰ってきたというスーパー母ちゃんだ。
大学の同級生との再会を楽しみながら、時間をかけて次々と美味しそうなメニューを平らげていく。
母たちが御手洗で席を立つと、私はテーブルにひとりぼっちになった。はち切れそうなほどパンパンに膨らんだ胃袋とは裏腹に、急に心細くなる。

「オイシカッタデスカ?」
膝のナプキンに落としていた視線を戻すと、さっきのおじちゃんがぴたりと横に立っていた。

日本語で話しかけてくれたサービス精神に驚きながらも私は大きく頷いて、
「とってもおいしかったです。好食!」と返した。
それから、お酒の力をかりて質問を1つぶつけてみた。
「どうしてこんなに忙しいのに、あなたは笑顔なんですか?」
広東語がわからなかったから、英語で聞いた。

「ドウシテ? ウーン……ウン。シゴトガ、トテモタノシイカラ!」

心の奥の方がズキン、と鳴るのがわかった。

お店を出てからも、ホテルに帰ってからも、観光スポットで写真を撮っている間も、アフタヌーンティーで癒されている間も、飛行機に乗ってからも。

この時の言葉を、何度も何度も、頭の中で反芻した。

新卒で入社した会社で迷いながら働いて、2年目。

一度も感じたことがなかった。
仕事が楽しい、なんて。

♢♢♢

大学3年の頃、私はとある理由で満足な就職活動ができなかった。
なんとかスケジュールが合って応募でき、内定をいただいた会社の1つに入社することを決めた。

正直、社会人として知識のない私を雇ってくれるなら、どこでも良かった。修行するくらいの気持ちで働こう。そんな考えだった。
第一志望で受かったやる気に満ちあふれる同期や、落ちて涙を流した人のことを思うと申し訳なくもなるけれど、それでも、何かしらのご縁で繋がった会社だと思うから。できるだけ一生懸命やってみよう。そう思っていた。

配属されたのは、損害保険会社のサービス部門。自動車事故の示談交渉を担当する部署だ。
事故の受付センターではない。お客さまに寄り添いながら過失割合の交渉などを行い、解決まで一連の流れを担当する。
今思えば、車のメーカーすらよくわからない私がよくそんな仕事ができたものだと思うのだが、
(セダンもワゴンもわからなければ、フォードはしばらく外国のお客様の名前だと思ってフォードさまと呼んでいた)
当時はとにかく必死だった。
朝は誰よりも早く出勤し、少し掃除をするところから始める。先輩になるべく迷惑をかけないように、電話は一本でも多く取る。時間があれば約款を読んで、積極的に技術さんに質問もした。
職場の先輩方は優しく丁寧に、かつ間違ったことはきちんと教えてくれる素晴らしい人が多かったことが、唯一の救いだった。

電話応対やメールの送り方、優先順位のつけ方、敬語の使い方。これらはこの2年で鍛えられ、私の社会人人生で大事な基盤になったと今でも思う。

ただ、扱っているのは「自動車事故」だ。
内容は重い。
新人の私が全ての案件をうまく対応できるわけがない。担当案件が100件を越えた時期もあった。
「いつものすずきだよ!あの件どうなったか早く答えろ!」という電話に、
「大変申し訳ございません。どちらのすずき様でしょうか」と返して2時間怒られたこともあった。
(当時、すずきさんを同時に7人担当していた)
ここに書けないくらい、ものすごい罵声を浴びせられたこともある。
相手方ではなく担当者の私個人を攻撃するために、職場に乗り込んで密室でみっちり説教されたこともある。説教されている間、自分が悪い理由がわからず、謝ることができなかった。(適当にすみません、と言うことは簡単だけれど、私の正義が許してくれなかった。それに、謝っても説教は続いていたと思う)

そもそも私の力で過失割合や契約内容、車の修理金額、ましてや法律が変わることはない。
どうにもならないのに、ただただ言われ続ける。大きなサンドバッグになった気分だった。

これはもうキャパを越えそうだと思ったある日、私は上司に相談した。
「仕事ってどうやってやれば良いんでしょうか。私にはうまくできません」

その時の上司の答えは、こうだった。
「あなたは、よく頑張ってるよ。この前も、表彰されたでしょう? 周りの先輩たちもよく褒めてる。ただ、あまり感情移入しすぎてはいけないよ」

無理だ、と思った。

事故を起こしたことはないけれど、当事者たちが怒ったり過失割合に納得いかず、どこにぶつけていいかわからない思いを私にぶつけてしまう気持ちも、なんとなくわかる時がある。
それに、買ったばかりの新車をたった10分運転しただけでぶつけられてしまった人が電話口でさめざめ泣いていると、せめて今ここにあるチョコレートを電話からあげられる機能があったらいいのに、と思うこともあった。

向いてないな、と思った。


長期休暇から戻ってきた翌日、香港のお土産を先輩達のデスクに置きながら、私は、あの言葉を思い出した。

「シゴトガ、トテモタノシイカラ!」


辞めようと悩んでいることを、当時の上司は勘づいていたと思う。
数週間後、上司に肩をトントンと叩かれ会議室に呼ばれる様子を、周りの先輩達が目を丸くして見ていた。本人は、至って冷静だった。

異動の辞令が出た。
働く場所が変わる異動だった。仕事内容は変わらない。それでも、新人にしては少し早い辞令だったと思う。環境を変えたら新しい見え方があるかもしれない、また頑張れるかもしれないという願いも込めて、上司が取り計らってくれたのだと思う。

新しい担当者に手持ちの案件を全て引き継ぎ、一度異動をしてから、また新たな担当を受け持つ前に、私は会社を辞めた。
辞令から、3週間後だった。

次の働き先は、まだ決まっていない。

決めたことは、たった1つ。
「笑顔になれる仕事しよう」 
ただ、それだけ。

♢♢♢

まずは転職サイトに登録しながら身体を休め、ハローワークに通った。

はじめてのハローワーク。
どんな場所なんだろう。
たったそれだけのことでワクワクできる自分が、なんだかおかしい。

窓口のおじさまに書類を提出すると、私の経歴を見て目をまんまるにしている。
つい「あの……何か間違っていましたか?」と聞くと、思わぬ言葉が返ってきた。

「あなたは、本当に仕事に一貫性がないね」

今度は私が目を丸くした。
「この書き方だと、良くないでしょうか?」

「いやいや、驚いてしまって。営業だったら営業一筋、接客なら接客を貫く人も多いから。早稲田の文化構想を出て、野球場のビールの売り子にカフェ、それから文章を書く仕事、事故の示談交渉?大手の会社を辞めてきたんだねえ。好奇心が旺盛なのはいいこと。あなたはまだ若いし、きっと大丈夫だよ」
おじさまは柔らかく笑ったあと、その後の書類の書き方や手続きについて丁寧に教えてくれた。

窓口はいくつかあったけれど、この人に当たってよかった、と思った。
「大手の会社を辞めるなんてもったいない」
色々な人から散々言われていたのに、大丈夫だよと優しく背中を押してくれるような言葉に、少し救われたのだと思う。

転職先が決まったのは、それから約3ヶ月後。
最後のハローワークの窓口も、偶然、同じおじさまだった。

「次の仕事が決まりました」
「おめでとうございます!次の仕事は……なるほど。今度は企画と広報か。前職とは全然違うことにチャレンジするんですね。応援しています」

おじさんに会ったのはそれが最後だったけれど、今思えば、あの人も、香港のおじちゃんに表情がちょっと似ていたかもしれない。


転職することを地元の友人に伝えると、夕飯でもたべながらお祝いしよう、と言ってくれた。
新大久保の韓国料理店で、美味しいご飯をいただきながらお酒を飲んだ。

嬉しいはずなのに、何故だか、私にはほんの少しだけ迷いがあった。
大手の会社を辞めてまで転職して良かったのか。あのまま続けていた方が、ゆくゆくの給料は良かったのではないか。最低でも3年働かないと身にならないという話は本当なんじゃないか。

そんなことをぐるぐる考えていたら、若い店員さんが、レモンサワーを出しながら声をかけてくれた。

「お2人は、いつからの友人なんですか?」
「もう、地元でずーっと昔からの友人です。今日は、この子が転職が決まったからお祝いに来たんですよ」
「わあ!転職!おめでとうございます!」
満面の笑みで、まるで誕生日会のように手を叩いてくれたものだから、照れくさくなってしまった。

「いやあ。でも、転職が正解だったかはわからないから、おめでとうかどうかも、まだ……どうかな?ははっ」

少し不安そうな私を見て、店員さんはキリッとした瞳で真っ直ぐにこう返してくれた。

「そんなことないです。転職をしたいしたい、って言う人は多いけれど、実際に行動に移すのはすごく難しいじゃないですか。だから、あなたは凄いです。新しい場所で新しいことが始まる。だから、おめでとう、です」

初めて会ったばかりの私に、こんな風に断言してくれる人がいるなんて思ってもいなかった。
私はこの言葉に、最後にぽんと背中を押されたのだと思う。

帰り道は、さっき飲んだレモンサワーと同じくらい爽やかな気分だった。

もう、迷いはない。

♢♢♢

「転職してから、忙しそうだけど楽しそうだね」
私を良く知る友人たちは、久々に会うと口を揃えてこう言ってくれる。

前職とは全く違う場所と仕事内容で、日々勉強しながら働き、今はもう5年目だ。
レジャーサービス業界の企画と広報。聞こえは良いけれど、泥くさい仕事も多い。

熱心に書いた企画書がボツになったり、担当したイベントの準備が間に合わず残業が続いたり、土日休みの友人と気軽に会えなかったり、チラシデータの間違いに入稿直前で気づいて冷や汗をかいたり、テレビの生放送に出るために急遽台本を覚えたり……
やっぱり大変なことは山ほどあるけれど、それでも、それを上回る「楽しい」の瞬間がある。

担当したイベントの初日、目をキラキラさせながら長蛇の列に並んでくれたお客様を見たとき。何日も考えて作り上げた企画書が、通ったとき。アイデアで賞をもらえたとき。緊張しながら迎えたテレビ放送を、友人たちが観て連絡をくれたとき。それから、"とても辛いときにこのイベントがあるから頑張ってこられました"と書かれたアンケートを読んだとき。

この瞬間があるから、私は働くことをやめられない。


転職の面接で、どうしてここで働きたいかと問われたとき、私は「恩返しがしたい」と答えた。

これまでの人生でどん底まで落ちて辛いとき、そうでなくとも少し落ち込んだとき、私はエンタテインメントやスポーツに救われてきた。
楽しいことを創り、多くの人と共有できるこの会社で、私は恩返しがしたい。悩んだり苦しんだりしている人たちが、ここに来て少しでも笑顔になってくれる、そんなものを創る仕事がしたい。

今でも、この気持ちは変わっていない。


地球温暖化の原因が二酸化炭素の温室効果によるものだということは、今では当たり前のように語られているけれど、それを発見するきっかけは金星探査だったそうだ。
他の天体を調査したことによって、初めて自分たちの星・地球について理解した事例の1つ。

地球規模でさえそうなのだから、初めての就職活動で、しかも短期間で自己分析をして結果を出すなんて難しすぎる、と私は思う。

人間だから、日々成長するし、変化する。
好きなもの、苦手なものだって変わることもあるだろう。

今自分の仕事に対して迷っている人がいたら、試してみてほしい。
レストランでもカフェでも、近所のスーパーでも遊園地でも、どこでも良い。
「こんな風に働きたいな」と思う人を見つけてみる。それから、自分が働いているとき、どんな顔をしているだろう?と思い出してみる。
そのとき、ふっと笑えたら、きっと大丈夫。
もし、あれ?と思ったら、何かを変えるチャンスかもしれない。

新しいことにチャレンジするのに、遅いことはない。
未来の中で一番若いのは、いつだって今だ。

変わりたいと思うだけなら簡単だけれど、変わるために行動する人はあまり多くない。
一歩踏み出すのにもし勇気が必要だったら、私がぽんと背中を押してあげたい。


私が自分を顧みるきっかけをくれたのは、間違いなく香港の海鮮料理店のおじちゃんの笑顔だった。

自分が笑顔になるために働きたいと思い、迷いもがいていた。
けれど、誰かが笑顔になってくれるものを創ることで自分が笑顔になれると気づいてからは、今の仕事を、より愛おしく思えるようになった。

そして、いつかは私の創る仕事が、香港で出会ったおじちゃんやハローワークのおじさま、韓国料理店の若い店員さん、それから私を支えてくれる家族や友人たちまでどうか届きますように、と願っている。
そのためにもっともっと努力して、人間としても社会人としても、成長したい。


今、もし見知らぬお客さんから、
「どうして笑顔なんですか?」と聞かれたら、
私はきっと、こう答える。

「仕事が、とても楽しいから!」と。


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りりあ
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