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HOCHONO HOUSE:細野さんの時間SF

細野晴臣の1972年ソロ「ホソノハウス」のリメイク「HOCHONO HOUSE(ホチョノハウス)」がとてもよい。

全体を通して明らかに新しい異質な良さにたどりついている。全曲の感想と、連想したことを書きます。

基本的にはHOSONO HOUSEも本作も両方聞いている前提です。
音作りに関するインタビューはこちら。
https://realsound.jp/2019/01/post-301617.html
https://realsound.jp/2019/03/post-328745.html

ジャケット

「ホソノハウス」と「SFX」が混ざっている。タバコの煙を浴びたら玉手箱のように、26歳だった細野さんが72歳になっちゃった。ということか。

1.相合傘 (broken radio ver.)

この"壊れたラジオ"はチューニングが奥行き方向に狂って1973年から2019年までを行き来するようだ。FEN(米軍の極東放送)を聞いてた若い頃とも繋がる。打ち込みと生楽器が交錯して、過去と今を往復するこのアルバムを象徴するオープニングになっていた。この後に続く曲群は細野さんのキャリアの色々な時代を喚び起こす。

2.薔薇と野獣(先行配信された曲)

都会育ちの細野さんが、当時暮らした狭山の慣れない山鳴りの響きに怯える、という心情が描かれる曲。

原曲はベースの和音と半音上昇エレピのかけあいで不安感を醸していたが、その怪しさはキープしつつも、新たな音像で表現されている驚き。前情報の「打ち込みでやる」とはこういう意味だったか、と先行配信で感動したが、その音は新しい香りのように説明ができない。インタビューでは低域の処理など最新の音楽を研究したことが明らかにされているが、それらとは違う味わいがある。コードや歌がちゃんとあるから?

このNew Ver.から感じる「薄闇の中の仄明るさ」「この世とあの世の境に漂う怪しさ」といった感触はやっぱり若い細野さんの中にはなく、年を重ねるごとに醸成された良さだったと感じる。原曲はソウル、ファンク路線にアレンジされて少しあっけらかんとしている。

3.恋は桃色

カバーも多いこの名曲も打ち込みに。軽いスネア(808?)とシンセのポコポコ、低音が今っぽいような気もする。正直にいうと、元が良ければ変えても良い」というくらいで驚きはない。スネアのフレーズがマーチ風で、幼少時、誰に教わらずともバチを持たされると「ダンツクダラツクツダッダダッダ」と小太鼓を叩いた、という細野さんのリズム神エピソードを思い出した。

twitterでイリシットツボイ氏が新アルバムを褒めてたが、昔、曽我部恵一氏がこの曲をカバーしたときツボイ氏がミックスで、この時も聞いたことない音像に感じたな。

90年代半ばに「ソリトンSIDE-B」で矢野顕子さんとこの曲を演奏した際は、まだご本人曰く「アンビエントの海」からポップスの地上に出てきたばかりの、後ろで束ねた長髪スタイルだった。その時は相反していたフォークとアンビエントが新アレンジで結びついた感もある。

ウェットな表現を避ける粋な細野さんにおいて、もっとも抑制から漏れたのが「おまえの中に雨が降れば僕は傘を閉じて濡れていけるかな」。
ご本人はリメイクで歌うのが恥ずかしかったそうだが、皆が細野さんを好きになってるのはやっぱりこの一節が効いてる、と改めて思う。

4.住所不定無職低収入(これも先行配信された)

こもった低音と軽いスネアだけでリズムが推進する。ほのかにシャッフルする同じ音程の繰り返しは波の上をふわふわ漂い続けるような感覚で、勝手に「海洋ビート」と呼びたい。この曲同様にくり返す同音程と「桟橋」など海系の歌詞がつく「ただいま」(HOSONOVA収録)も連想する。

原曲ははっぴいえんど3rdの「風来坊」と兄弟という感じもある。バンドが終わって立場が定まらず、行くあてのない感じが出た曲なんだろう。

本来コードチェンジの多い曲がならぶホソノハウスだが、今回のアルバムでは同じ音程を繰り返すフレーズが多用されてて全体がミニマルな印象になっている。ワンコードのループが多い現代のポップスと近づけたら「アンビエントR&R」になったということか。

5. 福は内、鬼は外

これがまさかのベストトラック。「ホソノハウス」でのお気楽カリビアンソングが、クラーベのリズムを保ちつつ民族音楽的おまじないソングになった。「鬼は外」は「鬼も内」に変わって福の神と鬼を両方迎え入れている。

同じ言葉を唱え続けると音楽の原初に近づくのか。細野さんがネイティブアメリカンの思想に入れ込んでいた90年代の呪術ファンク「aiwoiwaiaou」(メディスン・コンピレーション収録)や、環太平洋モンゴロイドユニット時代の神社での奉納演奏も思い出す。この曲にも入ってるが細野さんは鐘や鉄琴、ガムラン、スティールパンなど金属系の音の扱いがうまい。それが入ると、どこか神道系になる。(70年代のはらいそ「シャンバラ通信」あたりから脈々と続いてるものがある。)

ラジオ「Daisy Holiday」出演時の水原姉妹(のどっちか)がいった「神聖な場所にいるよう」という感想がぴったりくる。ただし、平常心で音楽神が福の神や鬼と遊んでいるというだけで、スピってはいない。「遊」いう字の由来が「神様の出遊」を表すという白川静「遊字論」が思い出された。遊びは別にハイテンションじゃなくても盛り上がれる。

細野さんはラテン、カリビアンが得意だし、中華街ライブ後には最近昔のラテンをカバーもしてるので「ホチョノ」情報前はそういうアルバムを作ってくれることを期待していた。次につくってほしい。ネバヤンの次は俺の意見を容れてください。

6.パーティ

ここで突然、HOSONO BOX収録の1975年、未発表ライブテイク。遠い音響でこういう入り方だと、72歳の細野さんの奥の方にある部屋に、若い長髪の細野さんが現れてピアノを弾き語っている、という感覚になる。デビッド・リンチの映画「イレイサーヘッド」のラジエーター・ガールが「In Heaven」を歌い出すようなサイケさがある。しかし歌もピアノもうまい...。

7.冬越え

「パーティ」からまた時間が戻るようなエフェクト。これもベストの1つだった。他の曲同様、アコーディオンのホガホガした同音程が続く。ギターとボーカルのニュアンスがかつてなく豊かで、音数が少ないのに重層的に感じる。3分の曲でもニュアンスが豊富でありさえすれば無限に聞けるというのがポップ・ミュージックの良さだ。この「季節の変わり目」にリアルタイムで聞けるのはとても嬉しい。

8.終わりの季節

期待してたのに歌わないのか!と誰もが思うインスト処理だけど、
これはこれでよく、ひと休みになった。こちらとしても、50周年だったり海外に評価されたりしてもまだ「さようなら」とは言わないでほしい。(最近うまくいきすぎてて、逆に心配になっている。)なおレイハラカミは生き返ってこのバージョンに歌をつけてほしい。細野版もハラカミ版も、ふだん飄々としてる人からたまにこぼれる情感こそグッとくるじゃないか。

9.チューチューガタゴト

ブギウギピアノをサンプリングしてループしたようなフレーズでやはりこの曲もミニマル化してる。機関車の石炭をくべるリズムは「シャベリング」
と言い、当時の音楽に影響を与えたと細野さんはラジオで言っていた。ただ、今回の汽車はリアルさを欠いて「銀河鉄道の夜」や「千と千尋の神隠し」の異界とつなぐ乗り物、といった感触も。 Connie Stevensが歌うかわいく元気な「The Trolley Song」(とても好きだ)に対する、それをカバーしたジョアン・ジルベルトのバージョンを思い出したりもする。(今、乗っているのではなくてその経験を思い出しているようなかわいさがある。)ダイナミクスが少ないのにグルーヴがあり、だんだん盛り上がってくる、というのはジョアンのアルバム「三月の水」からも感じたことだ。

10.僕は一寸・夏編

歌詞が原曲とかなり変わり、突然「今の細野さん」になった。暑い夏の終わりの夕暮れに「今の細野さん」がお茶を飲みながらこちらに話しかけてくれる。そんなことは今までなかった!

「時を刻むふたりの話」は細野さんと我々でもあるし、26歳と71歳の細野さんでもあろう。「日の沈む国に明日が来るはず」というフレーズで涙が出てしまった。ほんの一瞬で、自分が気づかないうちに毎日「日の沈む国」の将来を悲観していることがわかってしまった。細野さんはそんな皆にやさしい声かけをしてくれたと思う。

元々この曲は、狭山の地から日本語ロック論争から離れてみたり(黙るつもりです)「日の出ずる国の明日のことなど」考える歌だったはずだけど、換骨奪胎されてもっと大きな歌になった。このバージョンは「ベルリン/天使の歌」のブルーノ・ガンツのようにもっと高い「丘」から、みんなの営みや、来し方行く末を見おろしているようだ。

「ここに生まれ幾年月」からは「喜びも悲しみも」が枕詞のように連想されるし「アメリカから遠く離れた空の下で」と歌った初期はっぴいえんどからの道筋を思ったりもする。

「枝が分かれて無限の道が見える」は、上空から見下ろした人々の様々な暮らしでもあり、開けている未来への可能性でもあるけど、自分も歩んだかもしれない過去の選ばなかった道、とも捉えられる。そのパラレルな道には、元曲の中で「彼女と二人で」住もうとした「白い家」がみえる。普通泣くよね?

「この道はいつか来た道」は北原白秋だけど、これから起こることは過去にもあったこと、という諦観と励ましを感じる。嵐もまた楽しいし「きっと景色が変わる」といってくれている。

この曲は、ホソノハウスの時に憧れていたザ・バンドの「ビッグピンク」に違うかたちで到達したように思う。俺たちのための「I shall be Released」になったんじゃないか。

11.ろっかばいまいべいびい

よい映画が終わると、エンドロールに感動的な1曲が流れる。たとえば映画「スモーク」のトム・ウェイツ「Innocent When You Dream」や「未来世紀ブラジル」の「BRAZIL」とか。ピュアな曲であるほどそれまでの複雑さが引きたつ。

打ち込みが使われているからといって昔の「SFX」ジャケット引用は、最初は安易に思えた。しかし聞き終わってみると、これは確かに時間SFのサイケ感があった。「どんどんさかのぼっていったら未来に辿り着いたようた作品」という星野源氏による評は的を得ている。

皆がしているように、このあとは続けてホソノハウスを聞きます。

あと15年くらいは新作聞きたい。50周年おめでとうございます。

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