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血よ

青葉市子のアルバム「アダンの風」収録曲「血の風」は沖縄の言葉で歌詞が書かれている。どんな意味か気になって、インタビューなどを色々みた。(mikikidaisy holiday七尾旅人LIFEHOUSE)以下は「血の風」から抜粋

チヨチヨ(血よ、血よ、)
フーヤメ ヤラワン(疫病あれど)
ウトゥルシヤ ハミドゥル ヤラワン(激雷あれど)
ヤミユ ヤラワン(闇夜あれど)
ナー ミチミチ ンカイイキ(己の道をゆけ)

沖縄県宜野湾市の民俗学者・佐喜真興英による「シマの話」(1925年)に収録されたおまじないの言葉をアレンジし、「2020年の今もきっとおまじないとして響くと思って」書いたとのこと。血、およびその本体の人間に対して「困難があっても自分の道をゆけ」と語りかける感じになっている。もちろんコロナも想起させつつ。

しかし着想の元になった「シマの話」では「血よ血よ」のあとは

白血(病名)であろうとも
フェーガサ(病名)であろうとも、
タンガサ(病名)であろうとも
ウシガサ(病名)であろうと
腫れ物であろうと
己が行く道へ行け

となっている。こちらは人間ではなく、単に「血そのもの」に対して「滞留せず、ちゃんと流れよ」と説いている印象がある。以下全文読むと、行かないならこの刃物は鋭いぞ、と何やら脅してさえいる。



比べると市子さんの創作がどう働いたかわかって面白いが、新旧の「血よ血よ」は、両者ともに「自分の血」を「コントロールできないが話しかけることのできる他者」として捉える意識がある。自分なのにひとごととして扱う加減がなんとなく好ましいと思う。

ナウシカと血
昨年末「風の谷のナウシカ」がテレビ放映されていたが見れず、コミックスを読み直した。ナウシカの青い衣は王蟲の青い血で染まるが、コミック版では人口生命体である「シュワの墓所」の青い血によってさらに濃く染まる。「墓所」は清浄な地を作る計画をしているとされていて、その内部では「穏やかで賢い新人類」が胎動している。おそらくその血も青い。計画を拒否したナウシカは墓所を破壊して汚染とともに生きることを選ぶ。困難があってもゆくという「血の風」もちょっとそんな印象がある。

自分の血
おととし喘息になって漢方治療をうけた際、医者に「血液が熱く煮た中華料理のとろみのようになっている」と言われた。そのせいでアレルゲンに敏感に反応してしまう、喘息のみならずアレルギー性鼻炎なども同じ原因だ、とのこと。様々な臓器と血をクールダウンする必要があるとの話だった。その血の原因は、忙しさやストレスとのこと。

ふつう喘息ならハウスダストなど外的要因を消したり、ステロイドなど対症療法が一般的と思うが、根本には「血の熱さ」があり、しかもストレスなど意識の問題から生じるというのは新鮮だった。賢くない人間は怒ると血を淀ませてしまうらしい。血よ血よ、流れてろ、と声をかけておいたほうがいいのかもしれない。


ところで「血の風」は、歌も血のように風のように流れてつながっている。冒頭の字は「血よ血よ」の音程にあわせて書いてみた。


脚注

シマの話が読めるとtwitterで教えていただいた。「アダンの風」で使った楽器だとラジオDaisy Holidayで話していた「シュタイナーの鐘」も。福岡の店で買ったと言っていたがおそらく「ペロル」だろう。
https://twitter.com/HCO_2932/status/1345760471660384257?s=20
https://twitter.com/HCO_2932/status/1343148446023217152?s=20



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