山代温泉の八咫烏伝説を追う(写真編)
ここでは特に考察はしない。八咫烏と関係のありそうな物を適当に並べるに留まる。関係なさそうなのも撮る。それは一種の観光録とでも思ってくれ。
以下を参照されたし。
源泉公園に何故か3枚もある案内看板は、其々言ってることが微妙に違う。
3枚目黒い看板はよく読むと「足湯の岩場に立っているのは八咫烏」とは言っているが「温泉を見つけたのも八咫烏」とは言っていないな。
やましろ街事典によると「お湯だす烏」特に八咫烏とは書いてない。
ネットなどでは「よく見ると三本足」とあったが、よく見ると二本足である。
次、薬王院温泉寺の看板等
3枚目「温泉寺略縁起」は多くの山代八咫烏伝説の典拠となっているが、その表現は曖昧である。霊鳥とは何か?それは八咫烏とも取れるし、温泉発見の功を讃えて霊鳥と呼んだだけにも見える。或いは八咫烏以外の霊鳥でも良い。
現状最古の縁起(俺が見つけたものに限る)、加州山代温泉縁起。なかなか見つからなかった山代温泉並薬師縁起、山代温泉並薬王寺縁起はこれを指しているのかもしれない(末尾に「右山代温泉並〜」の一文あり)。薬王院の設立〜「この他に縁起書伝えなし」より、1649〜1706か?
「行基が見つけたよ!」だけだね。
行基像にはカラス等居ない。
服部神社の手水舎のトリはしばしば「八咫烏だ」と言われているが、このクチバシの形はカラスじゃ無いと思う。また、二本足。
温泉寺はカエルだし、あまりここに伝説を絡めても仕方ないのではないか?
これは魯山人の描いた「暁烏」(大正初期)を基にしている。現物も所有しているらしいが、「みーせて」と言うのも気が引ける。
二本足だねぇ。
多分、「行基が見つけたよ」と書かれている。
年代は不詳。えぬのくに49号p91によると明治9〜16年の間。
フリーソフトのAI任せなので粗があるかもしれないので注意。とりあえず鳥類は見当たらない。但し「右上のは擬人化した八咫烏」なんて事も想像できる。温泉寺住職は「カラスは描かれていない」と言っていた。
源泉瑠璃光と源泉烏湯が同じものに見えたが、見比べると違うもののようにも感じる。
現「源泉足湯」の少し古い状態。根元に岩はあるがカラスは居ない。
こちらも「行基」のみの言及。
二本足。また、八咫烏とは書いてなかった。
1300年記念祭にキャラクターを作るとなって、「じゃあ八咫烏だな」とはならなかったのか。このキャラ最近見ない気がする。
次、地元中学校美術部の作による町中の絵画
数は多いが八咫烏らしき個体は見当たらない。右上の白い奴は「神秘的なトリ」と言う点で少し怪しい。八咫烏が定着していないか、その姿が認知されていないと考えられる。
これの描かれた年代を推定するために、隣の絵を参考にする。
この2枚がほぼ同時期に描かれたとして考察するに、「桜井&松潤(嵐)」「w-inds」のデビューは1999年及び2000年。2024年現在、解散や脱退はあるが個別に活動は続けているので2024年に描かれた可能性も否定はできない。
よって2000〜2024年のどこかの時期の美術部の中学生は八咫烏を知らなかっただろうと想像できる。
次、マスコットキャラクター
すぱクロくんは2011年命名、山代八咫は2018年公開とのこと。この頃になると山代と言えば八咫烏と定着したように感じる。余談だが宝生亭の八咫ちゃんは本来サイン入りだそうだ。写真はサイン無しバージョン。
八咫烏無関係キャラとして先述の「おもてなしの天女」と「ゆげ太郎」もいる。ゆげ太郎の写真も撮ってこなきゃ。
次、街で見かけた八咫烏
それぞれいつ頃からやってんのかは調べてない。新しい感じがするとだけ。
全くどうでもいいが、駅伝は二人三脚にした方が良くね?
その他
エロ売りを隠さないのは好感が持てる。なお、「前田の殿様が来た頃にできた」とかなんとか書かれてたが温泉縁起は特になし。
伝説によく出てくる地名、吸坂からの眺望。画面中央の白くてデカいのは……多分山代のホテル百万石かな?まあ、その辺が山代だ。
鳥だから撮ったけど、まあ関係あるまい。「平成の発展と皇太子結婚の記念に作ったよ」とあるが、天皇関係なら八咫烏でも良かったのではないかと思わなくもない。
この場合の八咫烏はJリーグの他のチーム全てを示したものだろう。ツエーゲンの敵役らしい。
そういやコレ何なんだろう?カラス的なものは見当たらず。
広報やましろ(2013.1.p2)によると生水を守護させる目的で作った地蔵とかなんとか。