正しくある前に楽しいを
こんにちは
こでかぱんつです。いつも見てくれてありがとうございます。
「正しくあろうとする前に、楽しくあるべき」
僕が大好きなアーティストのRepezenFoxxさんと、メンタリストDaigoさんの生配信の中で、Daigoさんが言った言葉です。この言葉は、非常に本質を捉えていると思いました。まだ社会に出ていない僕が言うのもなんですが、この社会はまず正しさが求められ、また人々も正しさを求めようとしている気がします。生きるためにお金を稼ぐ必要があるから、やりたくもない仕事を嫌々する。他人から後ろ指をさされるのが嫌だから、自分の好きな服や髪型をせず、無難なファッションをする。など、挙げればきりがないですが、私たちは正しくあろうとして、大衆に迎合してしまう傾向がある気がします。(迎合と傾向で韻を踏んだので、僕はHipHoperです)ですが、僕たちは正しくあるために生きているのでしょうか。もちろん、この世で生活する人々が生きやすくするためには、最低限の規律や正しさは必要です。しかし、人生は楽しくなければ意味がないと思います。たった一度の人生で、失敗や不安事は絶えないですが、誰しもわざわざ自ら不幸になる人などいないと思います。誰もが、少しでも人生を楽しくしようと、また幸せになろうとして、生きているはずです。そのために、勉強や仕事をすること、友人や家族と同じ時間を共有することといった社会生活を営んでいます。先ほども述べましたが、全員が生きていくためにはある程度の正しさは必要になります。しかし、その正しさを追求するあまり、自分自身の首を絞めていることがあまりにも多い気がします。これでは本末転倒ではないでしょうか。いつの間にか、生きる目的が、「楽しくある」ということから「正しくある」に代わってしまっているのです。
口で言うのはすごく簡単ですが、これは一生付き合っていかなければならない課題かもしれません。特に、僕自身も周りの目を気にして、世間一般の普通に合わせてしまいがちです。ですが、Daigoさんの言葉を聞いて、また、どれだけ周りから批判や誹謗中傷を浴びせられても、常に楽しんでいるRepezenFoxxさんの姿を見て、こうありたいと感じました。いくら勉強ができても、楽しくなければその学力は何も意味をもちません。いくらお金を持っていても、幸せだと感じなければそのお金の価値はありません。僕もまず、正しくあろうとせず、まず楽しむことを優先しようと思います。最近、書き始めたnoteも、文章や言葉の使い方は間違っているかもしれませんが、自分で考えたことを文章として可視化するプロセスがものすごく楽しいです。また、まだ何者でもない僕の文章を読んでくれる人がいて、コメントまでしてくれる人がいることが、とても幸せです。
現在、僕は留学中ですが、誰もが思い描くキラキラな留学生活は送れていないかもしれません。でも、みんなが思い描くキラキラが正しいのであるとするならば、僕は僕なりのキラキラを見つけておもいっきり楽しんでやろうと思います。
それでは
PS. Play Station
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