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シェアハウスとアーカイブ星

こんにちは。もえのおと、ご覧いただきありがとうございます。

つい昨日、

「2階に住んでたAちゃん、8月いっぱいで引っ越すから寄せ書き書いて」

そんなLINEがきたんです。

LINEの主は私が半年ほど前まで住んでいたシェアハウスの住人。
Aちゃんとは旅行に行ったり、飲み会をしたり、キャリアのことを話したり、
大切な仲間であり、あこがれのお姉さん。

大好きなシェアハウスを離れるときは
もちろんとてもさみしかったけど、
大好きな空間を一緒に作っていた人がいなくなるのは
その場を離れた今だって寂しい。


そんな普遍的なもので悲しくなると、
もう15年以上前に話題になった「いま、会いにゆきます」という作品を思い出す。

作品のなかでは
なくなってしまった人はどこへいくのか?
というやり取りがある。

地球上の誰かが亡くなった誰かを忘れない限り、
その人はアーカイブ星で暮らすことができる。
地球上に憶えている人がいなくなれば、アーカイブ星から去らなくてはならない


大好きな場所を離れて、
その大好きな空間を作っている人がいなくなり、
大好きな空間とは違うものになってしまったら

私を覚えていてくれる人がいなくなってしまったら
そのシェアハウスの住人だった、と言えるのだろうか?

と不安になる。

でも、思うんです。

そんな場所や空間がなくなったって
ともに作った空間は私のなかにたしかにあって、
ともに過ごした時間はきっと仲間のなかにもある。

だから、そのときの時間や場所はアーカイブ星にいってしまったけど、
アーカイブ星ではまだまだ現役なんじゃないかって。

そして、時間や場所を超えるものなんだろうなって。


あーあ!また、シェアハウスに住みたいな。
今度は家族で!

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もえのおと
iPadの購入費用として使わせていただきます(経年劣化によりハードディスクを外出ししたノートパソコンで作業をしていますので…)