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言葉の重みを知った話

 私は受験生だ。正確には、「だった」と言うべきだろう。
 無事に進学先が決定したため、その期間のことを思い出として記録する。

6ヶ月に渡る大学受験期間、幼稚園からエスカレーター式に進学してきた私にとって、受験生という肩書きを持つのはどれほど短い期間でも厳しいものだった。
初めての受験だった。幼稚園受験さえせず生きてきた。
贅沢な生活をさせてもらっているものだと思う。
私なりに努力を重ね、自信を身につけるため過ごした6ヶ月は決して無意味なものではなかったと考えているが、何か一つ鮮明に覚えていることを挙げろと言われたら、受験前日に一瞬だけ見た親友の姿しか出てこない。
私の記憶力の問題だろうか。流石にそうじゃないと信じたいが。

 友人の大半は高校系属の大学に進学予定で、私の親友もそこを進学先にしている。

お互いに違う道に進むが故、忙しい時期が違う。

ただそれだけでこんなに会えないし話せなくなるものかと思ったことを覚えている。それは今も変わらない。

 仲の良い友人たちと違う動きをしていると、やっぱり孤独を感じる。
LINEやらDMをしてもリアルタイムで連絡はつかないし、同じ学校にいても、同じ校舎の同じ階で生活していても会わない友人もいた。話した時に共通の話題で盛り上がることはごく稀で、「へえ、そうなんだ」「そんなことあったんだ」ってどこまでも初耳の情報だったような気がしている。
そんな関係の友人たちに親友も含まれており、今では中々会えないことが日常になりつつある。初めは違和感と寂しさを間違いなく感じていたし、余計なことを考えては心配やら嫉妬やらをしていたというのに、いつしか思考しなくなった。この環境に慣れただとか、そういうんじゃない。単に疲れてしまったのだ。

 小さい頃から今まで「異性を好きになる」ことから疎遠な生活を送ってきた私にとって、その分の愛情を向ける相手はいつも同性の友人だった。世間一般で言われる友情に比べたらとんでもなく重たいという自覚があるし、あの嫉妬も過度な心配もそれゆえに起きていたものなんだろう。
でもその感情は時に相手を困らせ、相手に迷惑をかける。そのことに気がついたのは中学生が終わる頃のことだったような気がする。

だからできる限り抑制することにした。大切な友人たちだからこそ、自分の感情よりも相手の気持ちを尊重したくて。
ただこれがどうも自分の身を削る。いや、わかっていたけれど。
普段から周りの目や意見を気に留めすぎない、比較的欲求に素直に生きている分、こういう我慢はどうも長続きしない。馬鹿正直に生きているけれど、友人を相手にすると突然周りの目が気になるのだ。
とにかく自分の中で消化する。私と友人の関係を見た誰かからの評価が、「あの二人ほんとに仲良しだよね」「〇〇ってュちゃんに愛されてるよね」程度で済ませてもらえるように。

 そんな生活と人生で初めての受験期が重なった。
両親・姉にとって、娘・妹が受験をすることも初めてだった。
正直プレッシャーだった。ここで受からなければ、学校の先生からも、友人からも、家族からも見放されるような気でいた。
どちらかといえば合格するだろうという自信はあったが、それ以上に「合格しなきゃいけない」という義務感・責任感の方が強かった。

だから自ら受験にしか集中できないような環境を作った。人と話すのが好きだから、あえて周囲を人のいない環境にした。歌うのが好きだから、あえて大声を出せない環境で勉強した。

似たような隙間を親友と私の間にも、故意に作ったのだ。

話して嫉妬するなら話さない。親友の充実した日常を見て寂しくなるなら見ない。何事も極端な私は自発的に関わることをやめた。
休み時間はトイレと教室の行き来のみ。クラスメイトたちとも最低限の関わりでいた。放課後はHRが終わり次第自習室に駆け込むか、同じ受験形態で(別大学だが)挑む一人のクラスメイトと空き教室でそれぞれの作業をするかの二択だった。
インスタも消したし、Twitterも消した。唯一残したLINEはただの連絡用で、家族としか会話を交わさなかった。親友と連絡をとったのは急用、時たま息抜きに遊ぶ予定を立てる、ぐらいだったかもしれない。

怖かったのだと思う。
たくさんの人に愛されて大切にされている親友にとっての”私”という位置を揺るがしてしまいそうで。「ュは優しいね」「ュには敵わない」と言ってくれていた親友を幻滅させてしまいそうで。

あれは自衛に見せかけた私のエゴだったのかもしれない。

 思い返してみれば、私が成人を迎えた日にそばにいたのは親でも姉でもなく、親友だった。
受験を翌日に控えた私に誰よりも大きな自信を与えてくれたのは親友だった。
サポートしてくださった先生方よりも志望校のHPを見てくれていたし、当日なんて私より緊張していたかもしれない。
合否を伝えて私より泣いて喜んでくれたのも親友だった。
いつもそばにいてくれた。気にかけて、大切に思ってくれていた。
”合格”の文字を見て一緒に喜んでくれる友人たちの姿を見ては、あの時孤独を感じていた自分をアホらしく思った。
一人なんかじゃなかった。ふと会った時にかけてくれる言葉に何度も救われていたじゃないかと、受験を終えて初めて気がついたのだった。

 何もかも言葉にして伝えないと気が済まない私にとって、日本人特有の「言葉にせずとも伝わる」という感覚にはどこか寂しさを覚える。
愛情も不満も、何もかもはっきりと口にしてほしいのだ。細かく、明確に。
遠回しに、ぼかして言うこともなかなか苦手だから。

だが不思議なことに、受験前日のあの時、親友が手紙を渡しにきてくれた時。
親友は、私にあまり時間を取らせないようにと、渡す時に「絶対大丈夫」と一言だけ添えて去っていった。
手紙には彼女の応援の気持ちと力強いエールが細かく書き記されていたものの、それを開く前から「大丈夫」という確証もない親友の言葉に強く背中を押された。
まだまだ未熟なことばかりで、何も完璧ではなかったけれど、あなたがそういうなら大丈夫なんだと思えた。
私はこの時、改めて人の言葉の影響力に圧倒されたのだ。それがどの種類の言葉だとしても、大切な人が発する言葉はその人の心に強く刻まれることを再度理解した。

 受験を終えて親友と残りの高校生活を謳歌するための予定を立てていると、距離感がわからなくなる。出会って早5年以上が経っているのに、空白のたった6ヶ月間が邪魔をする。何気ない言葉でその隙間が埋まったり、再び距離感を掴めなくなったりする。何においても言えることだろうが、考えながら行動するって、難しい。
 高校を卒業して大学に進学してしまえば、今以上に会えなく、話せなくなってさらにこの隙間が開くことも、容易に想像ができる。仕方がないのだろう。まだ18年しか生きていないからわからないが、人生における人との関わりって案外そんなものなのかもしれない。
その隙間を気に留めないほど強く結ばれた縁が私と親友のはざまにはあると信じている。

大好きだから、大切な人だからこそ、その人の言葉に一喜一憂する。
親友がそんな意図で言うはずがないのに、とわかっていても、変な解釈をしてはどんより落ち込むことも、何度もある。つい最近だってあった。
でもその度に、大切なその言葉を真っ直ぐ受け取れる人間であろうと思う。
いつだって自分の首を絞めていたのは他でもない自分自身だったのだから。

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