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『タイトルの魔力 作品・人名・商品のなまえ学』 佐々木健一著
【概要】
元東京大学美学科教授で、日本を代表する美学者である著者が2001年に上梓した論考。主に芸術作品のタイトルについて、商品のネーミングや人名のつけかたとの比較や、そこに表れる近代的美学の影響まで含めて広い視野から論じている。最終的には、芸術作品のタイトルの本質が、作品のメタテキストとして作家がその自作に内包した芸術に関する「理論」であることを導き出す。
さらに作家が作品にタイトルをつけない(無題)や商品のようなネーミング(作品の説明ではなくタイトル自体に趣向をこらす)といった現在のタイトル付けの現象を、近代的美学が終焉した新しい時代のひとつの帰結であるとして論を終える。
【感想】
もう30年近く前、大学院にいたころに佐々木さんが授業をもってくださっていた。そのころ「表題の美学」というタイトルで美学会で研究を発表したことは知っていたし、それがのちに一冊にまとめられたこともなんとなく知っていた。(調べたところ、 1995年の美学会だった )たまたま古本でみつけたので、読んでみたところ、いかにも佐々木さんらしい、厳密な思考と現実の芸術現象の分析が特徴の論考だった。
そうした個人的な思い出や著者についての回想はともかく、美術雑誌の編集者としての関心は、作品にとってタイトルがどの程度重要で、制作者である作家や受容者である鑑賞者・読者にとって意味があるかということだった。
本書によれば、例えば絵画では、近代以前には作品にタイトルがついてないことは普通のことだった。したがってのちの時代に「◯◯の風景」「◯◯を描いた静物画」などと呼ばれてそれがタイトルになった例も多い。ひとつひとつにタイトルが要求されるようになったのは、サロン展など、多くの作品が一堂に展示され、競われる場面で分類の必要が生まれてからであり、タイトルは単に内容を機械的に解説するだけでなく、解釈を誘導し、さらに芸術的理論をも含むことにこそ本質があることが論じられる。
また現代さまざまな美術家が使用する「無題」は現代の現象であり、そこには一種の解釈の拒絶がある。さらにシリアルナンバーやID番号のような記号のみのタイトルや商品ネーミングのような作品とはかけ離れたイメージのみのタイトルに、現代のタイトル喪失の時代が表れているという。
そうだとすれば、私が日々雑誌で紹介する作品、とくに現代アートの作品にありがちな「無題」(untitled とわざわざ英語での表記を求められることもある)は、解釈されることの否定であり、分類されることの拒絶であり、さらに作家すら鑑賞者の鑑賞を誘導するものではないという意見表明であり、究極的にはこの作品について理解を求めないということではないかと思う。作品の自立を求めるあまり、作品は孤立し、だれからの影響も受けない代わりに誰にも関わらなくていいということになってしまうのではないか。それを理解した上でなおなんらかの意思をもって無題とするならよいけども、単にかっこいいからとか考えるのがめんどうという理由で無題にしているのだとしたら、それは理解の助けにならないどころか鑑賞の妨げでしかない。そもそも端的に不便である。
逆に、いいタイトルは作品の解釈どころか評価までも変える力をもつ。コンクールの審査ではこの力を発揮する作品がある。作品を的確にあらわすタイトルやそれ自体が面白いタイトルは、作品への関心をひくだけでなく、魅力をいっそう引き立て、評価を変える。作品だけでは分からない作品の意味や作家の意図がタイトルによって初めて明確になる場合もある。
もっというとタイトルには、プロフェッショナルとしての姿勢や画家としての矜持までもが投影される。若い画家はぜひ自覚しておいたほうがいい。
中央公論新社 922円