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30代の立ち位置

久しぶり。です。
何と2年ぶり。2年たつといろんなことが変わっている。
仕事、家庭、友人、社会・・・

あれから何か成長しただろうか。
時が過ぎていくほどに自分の抜け殻が増えていく。

子どもが一人増えた。かわいい娘だ。
家族は4人になり、上の子は3歳、下の子は1歳になった。

家族が増え、支えるものが増えてくるといろんな悩みが生じるようになった。


30代になり、父親としての顔を持ち、仕事ではそれなりの要求をされてくる。仕事と家庭の板挟みになり、自分を消費し続け、本当の気持ちがわからなくなる、なんてことに悩んでいるのは自分だけだろうか。

世のお父さんはどんな気持ちで毎日を過ごしているのだろう。
自分は興味の持てない仕事をただひたすら繰り返し、目の前の締め切りに追われて気づけば終電2本前、帰りに駅の自販機のコーンスープを飲んで・・・なんてことが日常だ。

生きるために働く?働くために生きる?
目標を持たないとダメ?効率よく利益を生み出さないとダメ?
ビジネス感覚がないとダメ?・・・

人間はどうも不足しているものばかりにフォーカスしてしまう。
自分も他人を見るとき、そうなのかもしれない。

家族に対してもそうだ。
自分なりに子どもに精一杯尽くし、家事もやる。
それでもあれやこれが足りない、もっとやれって・・・

正直生きるのがしんどいよね。
自分のための人生がいつの間に他人のための人生に置き換わっちゃった。
気づけば誰かのため、会社のためって、献身的な態度はすばらしいのかもしれんけど、それでは自分を見失ってしまうよ。

結婚して出産して家があり、仕事もあって食うのも困らない。
給料も決して高くないが、毎月収入がある。
両親は幸いにもまだ生きているし、義理の両親もいろんな面で(口うるさいけど)サポートしてくれる。
ごく一般的な「幸せ」はある程度手に入れたのかもしれない。

でも、どこか自分は幸せを感じられない・・・。
決して妻や両親などには言えないが。

そうか、自分は求めている幸せは世の中一般でいうところにはないのかもしれない。
愛がいらないわけではないし、子どももめちゃかわいい。それに嘘偽りはない。
しかし、それと自分の幸福が一致するわけではなく、いつも自分のなすべきことや、こうありたい自分像との葛藤が生じる。

どうやら自分は他人との関係性を重視するよりも自分の生き方や価値観にひどく固執しているような気がしてならない。
社会から見た自分、をイメージするよりも矢印は常に自分から社会に向かっている。✕社会→自分 〇自分→社会

自己愛が強いのだろうか。でもここ数年自己肯定感は人生史上最低を記録している。これについてはまたどこかで書きたいが、自分で自分を認めてあげることが困難だ。

仕事をしながら家族を大事にし、たまに両親や友人たちのことを思う。
いろんな感情が入り混じり、今日という日が終わる。

幸せはあるはずなのに、それを実感できないもどかしさ。
これからどうやって生きていくの・・・?

30代の父親、世にはあまりフォーカスされないかもしれないけど、大変な時期であることは間違いないだろう。

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