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【小説/短編】知る街への旅

 美しい冬晴れとなった年の瀬、私は帰省のために新幹線の三列シートの真ん中に座っていた。通路側に座っている夫は、発車してすぐ眠りに落ちた。寝ようとして寝たわけではないらしく、テーブルには操作途中だったと思われる、画面の明るいスマートフォンが載っていた。年末に休暇を取るために、昨日まで残業を続きだったので、疲れていたのだろう。

 窓側に座っていた息子の悠斗が座席の上に立とうとする気配を察知し、靴を脱がせる。一歳半になる悠斗は、最近どんなものの上でも乗りたがる。靴を脱がせた悠斗を座席の上に立たせてあげると、高速で流れていく窓の外の景色を声も出さずに眺めていた。その後ろ姿に思わず微笑んでしまう。

 お盆は夫の実家で過ごし、年末年始は私の実家で過ごす。結婚して二年目にそう決めた。あの頃二十五歳だった私は三十歳になった。夫の実家は車で一時間もかからない場所にあるので、新幹線には私の実家に帰省するときにしか乗らない。夫と二人暮らしだった頃は、国内外様々な場所に旅行に行ったが、悠斗を産んでからというもの、小さな子供を連れて公共交通機関を利用するのが億劫になってしまい、車で行ける範囲にしか行かなくなってしまった。時々ふと旅に出たくなるが、まだ我慢かな、と思っている。子供がもう少し大きくなれば、家族旅行もできるようになるだろう。私はそれを楽しみにしていた。

 そのうちに悠斗は外の景色に飽きてしまい、座席の上でジャンプをし始めたので、慌てて座席に座らせ、たまごボーロをあげた。どんなに不機嫌でも、どんなに興奮していても、たまごボーロを食べさせると悠斗はおとなしくなる。幼児ならではの単純さがひどく愛しい。

 そうこうしているうちに、車内アナウンスが地元の駅名を告げる。まもなく到着するようだ。頭上の棚にあるスーツケースを取ってもらうために、夫を起こす。体を軽くゆすると、夫はぱちりと目を開けて
「俺、もしかしてずっと寝てた?」
と言った。
「うん、発車するころにはもう寝てたよ。とりあえず、荷物おろしてほしいな」
そう返すと、ばつの悪そうな顔をしてスーツケースを下ろしてくれた。悠斗が不思議そうな顔でその様子を眺めている。荷物を下ろして席に着いた夫に、
「お疲れさま」と言うと、さらにばつの悪そうな顔になってしまった。皮肉っぽく響いたかな、と少し反省した。

 新幹線の改札を出ると、父が迎えに来てくれていた。昨年会った時よりも頭髪に白いものが増えている。父は夫と形式的なあいさつを交わし、悠斗のほっぺをつついた。初孫がかわいくてしょうがないらしい。父の車には、新品のチャイルドシートが乗っている。年に1回しか帰れないから中古の安いのでいい、と言ったのに、孫に何かあったら怖い、と高い新品のチャイルドシートを買ったのだ。ありがたいことだと思うが、同時に孫バカぶりに呆れる。
 父は運転中もバックミラーで悠斗の顔を見てはニコニコしている。昔は割と怖い父だったが、そんなものは空想の産物ではないかと思うほどの変貌ぶりだ。

 父の車で1年ぶりに帰った実家は、花壇の柵が買い替えられて奇麗になっていたが、それ以外は何も変わっていなかった。玄関のドアを開けると、母がパタパタと走ってきた。
「いらっしゃーい。悠斗くーん、おばあちゃんですよー」
 こちらもこちらで悠斗を溺愛している。時々悠斗の写真を送ると、光の速さでうれしそうなスタンプが返ってくる。

 私は悠斗を母に預けた後、荷物をリビング場で運び、大きく深呼吸をした。実家の匂いだ、と思う。ここで暮らしていた頃は、認識できなかった実家の匂い。たまに帰ってくるようになると、それが分かるようになった。今では、その匂いを嗅ぐと不思議な安心感が私を包む。
「長旅で疲れたでしょ。ごはんの前にお風呂入ってきちゃいなさいよ。悠斗君は私たちが見ててあげるから、ゆっくりどうぞ」

 母にそう言われ、甘んじて風呂に入ることにした。いつもは悠斗と二人で慌ただしく入浴を済ませているため、一人でゆっくり入る風呂は格別だった。気持ちがほぐれ、湯気と一緒に緊張感が放出される。小さく息をつくと、温泉街に旅行に行きたい気持ちがむくむくと湧き上がってきた。面倒くさがらずに頑張って悠斗を連れて行ってみようかな、と少しだけ思った。

 風呂から上がると、母と父が悠斗に絵本を読んであげていた。夫は少し離れたソファに座ってそれを見ている。その光景に、妙な違和感があった。そしてすぐに、その違和感の原因は母たちが悠斗に読み聞かせている絵本だと気づいた。
「あれ、この絵本、家から持ってきてたっけ?え、この本、古い?」
母が呆れたような顔でこちらを見て
「何言ってるの。これはこの家にあった本よ。あなたが小さいころ大好きだった絵本じゃない。覚えてないの?」
と言った。私は驚いた。
「全然覚えてなかった。私ね、その絵本を先月、悠斗に買ってあげたの。そしたら悠斗、すっごく気に入っちゃってそればっかり読んでるの」
「ああ、だからね。」
「だから?」
「悠斗君、この絵本読んでってすごくせがんだの。あなたも一緒だった。まったく、血は争えないのね。」
それを聞いて、なんだかひどく照れ臭くなった。それと同時に、とても得難いものを得た気分になった。それは、旅行先で何か新しいものを発見した時と同じような感情だった。

 二十代前半は自分を広げるために旅に出ていた。もう三十歳だ。そろそろ、自分を振り返る旅があってもいいかもしれない。そう思えば、帰省は一番自分のルーツに迫れる、立派な旅だ。私は、自分が生まれた町をもっと深く知りたいと思い始めていた。
「ねえ、悠斗。ママが子供のころ大好きだったレストランがあるの。そこなら悠斗が食べれる、とっても美味しいものもあるよ。明日、一緒に行かない?」 
ママの今年最後にして最高の提案を、悠斗は完全に無視して絵本にかじりついていた。苦笑いしながら夫のほうを見ると、彼は優しい笑顔で「いいね」と言ってくれた。


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