他人の不幸の捉え方
はじめに
自己紹介にある通り,私は「シャーデンフロイデ(Schaden Freude)」について研究しようと考えております。ドイツ語で「Schaden」は「害,不幸」といった意味で,「Freude」は「喜び」といった意味です。
マキャベリアニズム,自己愛傾向,サイコパシー傾向からなるダークトライアドという社会的に嫌われる特性とシャーデンフロイデは関連するという研究もあり,皆さんのイメージ通り不幸を喜ぶ人の印象は良くないですよね。
今回は人間が「善人」,「偽善人」,「悪人」,「普通人」という4種類のタイプに分けられるものと仮定し,話を進めていきます。
それぞれの特徴
まず,私が思う4種類の人間についてのイメージを記します。
あくまで私個人の考えですので,この4種類というのは何の論文にも基づいていない,ただの仮説の1つに過ぎないということはご了承ください。
①善人 嫌いな相手でも,その人の不幸を心から同情する。全ての自分より優れた人に対しては,憧れ・賞賛の気持ちを抱く。
②偽善人 表では,嫌いな相手の不幸に対して同情を装い,自分より優れた人に対して憧れ・賞賛の気持ちを装うが,内心は不幸を喜び,優れた人全てを妬む。友人・知人に対しても関係なく妬むこともあるが,親しい人にはその内心を打ち明けることがある。
③悪人 おおっぴらに他人の不幸を喜び,優れている人全てを妬む。
④普通人 ①~③に該当しない人(気分や相手によって不幸を喜んだり,同情したりする人)。
これで大体の分類は分かったかと思いますが,具体的かつ対比して特徴を深堀りしていきます。
話を進めていく前に,「妬み」の種類についてお話しようかと思います。
「妬み」という一見ネガティブなワードには「良性妬み」「悪性妬み」の2種類があるとされています。「良性妬み」は「妬み」という怪しいワードがついていますが,憧れ・賞賛など,相手と比較して,「この人みたいになりたい」,「この人のように自分も頑張りたい」などの状態を指します。「悪性妬み」は「この人は成功してて憎たらしい」,「自分はそうじゃないのに,なんであいつだけなんだ」などの状態を指します。
上述の些細な言葉の違いを見極めた方は,お気づきだったかもしれませんね。
4種類の人の見極め方
繰り返しますが,この4種類というのは私個人の仮説ですので,考えの一部として楽しんで頂ければ幸いです。
それでは,分かりやすい事例で見極めていきましょう。
『Aさん(※イケメン,高身長,高収入,眉目秀麗な彼女持ち)がたった一人で起業し,成功した。軌道に乗っていたが,事業拡大にあたり,違法な手段を使い,明るみに出て逮捕』
※女性の場合は眉目秀麗,スタイル良い,高収入,イケメン彼氏持ち
この場合、善人は「せっかく全てを手に入れて努力もしていたのに、惜しいことをしたなぁ」と思うでしょう。悪人は「ふん、いい気味だこの野郎」と思うと同時に外へこの感情を発信するでしょう。普通人はこう思ってもこの感情をあまりおおっぴらに外へ発信はしないでしょう。偽善人は人の前では「惜しいことをした」と思わせつつ,実際は「いい気味だ」と思うでしょう。
(匿名で発信することのできるSNSにおいては,特に悪人がどうしても目立ってしまいがちですが,この話は機会があればその際に…)
嫌な奴
悪人にあたるひとは,あからさまに他人の不幸を喜んでおり,その姿を見たり聞いたりするとただでさえ不快な思いをしますが,その対象が自分自身,あるいは自分と親しい人ならばなおさら不快です。ただ,競争の観点からみると,相手の不幸を喜ぶことは理にかなっていないわけではありません(おおっぴらに喜ぶ行為はまた別として)。
例えば,100M走にて競争相手が序盤にこけたとします。走る自分は競う相手がいなくなり,必然的に勝利はぐっと近づきます。相手の不幸(失敗)が自分の幸せ(得)につながるケースもあるので,場合によっては他人の不幸を喜ぶことは理にかなっているとも言えます。この状況下での見極め方の話にはなりますが,善人は競争者の立場でも「こけるなんてもったいないな」と思うでしょう。悪人は競争者の立場,それを傍観する立場共に「いい気味だ」と思うでしょう。偽善人はこけた相手が敵にあたる人であればその人に対して「惜しいことをしたね」と思ってもいない情けの言葉をかけるでしょう。普通人は,競争者の立場であれば,「よし!」と思うことはあっても,傍観者の立場であれば,同情に近い感情を抱くでしょう。
個人的には,悪人も偽善人もえぐい性格をしていると考えており,どちらも質が悪いなって認識です。
まとめ
他人の不幸を喜ぶことは,聞こえは悪くても,そう感じても仕方ないと思う場面も少なからずあるんだと感じて頂けましたでしょうか。ただ,不幸を喜ぶこと自体は仕方ないにせよ,道徳的に考え,不幸を喜ぶ姿を人前で出すのは,はっきり言って嫌われます(笑)。自分が嫌っている人であれば,仲間意識が芽生え,そういった人を嫌うことはないにせよ,更にそれを見た人が嫌うかもしれません。そういった観点から,他人の不幸をおおっぴらに喜んだり,声を大にして「○○は嫌い」などの発言はしないように生きていくのが無難かもしれませんね…
おまけ↓
「嫌い」というワードが出たので,今後どこかで「バランス理論」についてご紹介できればなと考えています