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連載小説|寒空の下(4)

 回数は少ないけれど、アルバイト経験がないわけでもなかった。特に覚えているのは初めてアルバイトをした日だ。あの日、俺は派遣バイトのスタッフとして引っ越し作業をした。まだ高校生の時だった。

 その日、派遣会社から指定されたコンビニまでは電車と徒歩で向かった。片道1時間半の道のりだった。集合時間は朝の7時だったから起きたのは4時頃だった。集合場所には荷台のへこんだトラックがあり、中には小太りの作業員でリーダーらしき男と、短髪で背の高いイタリア人が乗っていた。リーダーから雑に命令され、俺は荷台の中で端の方に放置されていた黒ずんだ白い制服に着替えさせられた。ほどなくして2人に挟まれる形でトラックに乗り込み、現場に向かうことになった。

 向かった先は古びた団地で、そこで待っていたのは引っ越しなどという生半可なものではなかった。現場に住んでいたのは体全体にカビでも生えているのかと思わせるくらい肌荒れした小男で、彼は死んだ両親の遺品から、3LDKの部屋中にぶちまけられた大量のゴミまで、全てを段ボール箱に詰め込むことを要求した。

 リーダーは食器など丁寧に梱包しないといけない箇所を担当していた。俺はずっとイタリア人の男と一緒に作業をしていた。埃だらけの雑誌、埃だらけのPC、埃だらけのゴミ。入居をしてから1度も掃除をしていないと言われても不思議ではなかった。洗濯機の受け皿になっていた土台には何10年も放置されてきた抜け毛や埃がヌメヌメになって固まり、黄色に変色していた。マスクをしていても俺は気持ち悪くなった。それはイタリア人の男も同じだったようで、何度もえずいていた。

 家の中の半分も片付かないうちにお昼になった。住人の小男はお金だけは持っていて、俺たち1人ずつに3000円を手渡した。リーダーはケチだったのでその金を使おうともせず、持参した弁当を食べるといって近くの公園に消えていった。俺とイタリア人は上機嫌になって近くのファミレスまで少しだけ豪勢な昼食を取りにでかけた。

「俺、日本人きらいだよ。だって、女の人、お金とかブランドであからさまに態度変わるからね。地位とか立場で人を見ようとする」イタリア人の男は言った。
「そうですよね。今日の家の人だってお金はあるかもしれないけど家の中はひどいですもんね」
「そう、お金だけあってもいい男とはかぎらない。オレみたいにお金はなくてもやさしい人間のほうがよっぽどいいよ」イタリア人の男はものすごく上手なウィンクをした。

 昼食を終えてからは夜の9時まで休むことなく作業が続いた。最悪としか言いようがなかった。埃まみれの部屋でゴミなのか荷物なのか分からないものをダンボールの中に詰め続けた。ずっとしゃがみ込んでいたから腰は抜けそうになるし、膝や腿もおかしくなりそうだった。1番おかしくなりそうだったのは精神だった。もしイタリア人の男がいてくれなかったら俺は完全にイカれてしまっていたかもしれない。10分ごとに送られてくる彼のウィンクは俺の中にある何かをこの世につなぎ止めてくれた。

 とにかく、俺の仕事嫌いはそこから始まっているわけであり、母親とした約束のために、新しくアルバイトを始めたところできっといいことにはならないという確信があった。少なからず、イタリア人みたいなイカした同僚ばかりではないだろうから、俺は人との関わり合いを最小限に抑えられる仕事をしようと思った。客商売なんてもってのほかだ。「お客様ですよ」みたいなデカい顔をして上から物事を命令された暁には何をしでかすか分かったものではない。

つづく

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