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連載小説|寒空の下(5)

 母親と電話をしてから5日後くらいには伸弘とまた同じ喫茶店にいた。座席も前と同じところだった。伸弘は新しく気になる女の子を見つけた。連絡先を交換したことを自慢気に話すためだけに俺を呼び出した。その子は伸弘と同じゼミの後輩で肌が白く、顔は童顔だった。俺も写真を見せられ、かわいい子だとは思ったが、羨ましいとは思えなかった。俺はといえば、その日新しく始める仕事の面接に行く予定だった。

「今度ぜひご飯に行きましょうだってよ、この子」伸弘が言った。
「そりゃよかったじゃん」
「お前も会ってみるか?」
「いや、別にいいよ」

 いつものウェイトレスはいなかった。少し残念だったが、来る度に会えてしまったら飽きてしまいそうだったので、ちょうどよかった。俺はブレンドのSサイズを飲んでさっさと帰ろうと思っていた。

「もういいだろ?その子のことは分かったからさ」
「それよりもお前、本当に30万も貯めるつもりか?」
「面倒くさいけど、しょうがないよ」
「だけどお前バイトなんて高校生以来だろ?」
「まあ、やるだけやってみるしかないだろ」
「賭けでもするか?俺がこの子と付き合う期間とお前がアルバイトを続ける期間、どっちが長くなるか勝負するとか」
「じゃあ、負けたらどうすんの?」
「5万円でどう?」

 つい勢いで伸弘の提案を受けてしまった。

 後悔をしながら喫茶店を出ると、チェーンが錆び付いてぎりぎり音のするクロスバイクに乗り、駅に向かった。駅の近くに働こうと思っている警備会社の支社があった。俺は警備員の仕事を選んだ。接客なし。週払いで給料がもらえる。それだけが理由だった。もちろん、やりがいなんて求めるはずがなかった。俺は街中いたるところで突っ立っている警備員を見てきた。ぴかぴか光る棒を振り回してみたり、道路の真ん中に立って道を塞いでみたり。俺が普段からしているのと同じで、周りの人に迷惑をかけているのとあまり変わらないと思った。

 駅から歩いて5分もかからない場所に建物はあった。古びたビルに囲まれ、じめじめした灰色の外観だった。裏階段を登り、重い鉄の扉を開けて新生活の一歩を踏み出した。事務所の中も陰気で、日が入らないような所を想像していたが、そうでもなかった。壁には習字で書かれた克己、気合い、親切などというわけの分からない文字が掲げられていたが、あとは普通の会社と変わらず、南側から日も入って明るいオフィスだった。くたびれたおやじだけでなく、そこそこ若くてきれいな女性もいたりして、少しだけやる気が出た。しかし、そのやる気はほんの一瞬しか続かなかった。俺の面接をした男は眼鏡をかけたブタみたいな男で、佐藤という名前だった。そいつが目の前に現われたおかげで危うく「来る場所を間違えました」と言って帰ってしまうところだった。

 佐藤は俺にいくつかの質問をした。警備員とはいえ、さすがに何も聞かれずに採用されるわけではない。どこか警察に近い仕事でもあり、反社会的な人間や心身的にイカれてる人間は仕事をさせてもらえない。俺がやった面接はつまるところ、会社側のスケジュールに俺が合わせられるかとか、どんなスキルがあるかとかを聞かれるものではなかった。ただ、犯罪をしていなくて、覚醒剤とかマリファナをやっていなくて、イカれていないかどうかを確かめる作業だった。俺には前科はなかったし、周りでマリファナをやってる奴や警察に捕まった奴もいたが、酒のほうがいいと思って手を出していなかった。それに、就職活動にせき立てられて心を病んだりもしていなかった。条件はばっちり整っていた。全ての質問に俺が答え終わると、佐藤は満足そうに鼻の穴を広げた。そして、その場で採用が決まった。

「この度は採用おめでとうございます」
「どうもどうも」
「早速ですが、明日から4日間の研修を受けてもらうことはできますか?給料とここまで来る交通費はきっちり支給させていただきます」

 俺は一音節ごとに佐藤の鼻がひくひくするのがやけに気になってしまい、笑いそうだった。

「研修が終われば早速、西山さんは仕事に就くことになります。そんなにニヤニヤして楽しみで仕方ないんですか?」
「それはもう!そんで、どんなとこに俺は派遣されるんすか?」
「決まった場所があるわけではないですが、工事現場、イベント、ショッピングモールとかいろいろありますよ」
「その場所っていつ分かったりします?」
「お仕事の前日になります。なので、2日前までに言ってもらえばシフトを組めますよ」
「じゃあ、現場はそれまでのお楽しみってことですかね」
「そうですね」
「俺は佐藤さんじゃない女の子にその宣告をされたいな」
鼻のひくひくが止まった。
「その方が、万が一気にくわない現場だったときにまだ耐えられそうですし」
「…」

 佐藤はひとまわり小さくなって小刻みに震えていた。俺は嫌われる相手を間違えていた。彼は支社長、つまりは責任者だった。やはり俺の仕事運は悪かった。

つづく

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