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就活準備|短編小説 後編

 「まあ、そんなに嫌な顔するなって。ちょっと冗談言っただけだよ。お前にこんなもの売りつける気なんてないし、こんな阿呆らしいことはとっくにやめてるしな。だけどさ、なんで就職活動なんてするんだ?改めて聞くけどさ、お前は真面目に働きたいのか?来る日も来る日も朝早くから会社に行って、日暮れまでこき使われて、これっぽっちの金しか手にできない。社会貢献だか、自己実現だか、そういうのを俺はなんて言うのか知らんけど、それが自由で幸福な生活なのか?お前はそういう生活から逃れるがために、卒業しようとせず、長々と大学生活してたんじゃないのか?」洋太は新たに10貫ほどビンチョウマグロの握りを頼んだ。

 「お前に人生論を説教される筋合いなんてないんだよ。ほっとけ」

 本当はもっと言い返してやろうと思っていたが、やはり生き方に自信がなかったし、土俵が違う相手に論戦を挑んだところで勝敗がはっきりするわけでもなかった。話し合っても何の解決にも至らない。未だにその判断が正しかったかどうかは分からないが、おれは心の中で思っていた。本当は自由に生きていきたいと。洋太みたいに適当な手口を見つけてお金を稼ぎ、朝だってゆっくり起きていつまでもダラダラと過ごしたいというのが本音だった。喫茶店で珈琲でも飲んで、夕方になって風が澄んできたら公園で散歩して。夏の夜には飲み屋街に繰り出してちょっとばかりお酒を嗜んで。そんな生活を欲していた。誰が会社になんていきたいものか。働かなくていいなら働きたくはなかった。

 だが、おれは自分の中にすり込まれた価値観とやらを駆逐できずにいた。いわゆる正当な社会人になることが正しい生き方だということを。確かに大した金額ではないかもしれないが、一度働き始めてしまえば相当なヘマをしない限り、一定の金を手にすることは出来るはずだ。窮屈かもしれないが、悪い生き方ではないと思う。そういう勤め人たちが細々と世界の秩序を保っている。いなくなってしまえば、秩序は一瞬間にして破壊され、洋太みたいに大口を叩いている連中だって当たり前に送っている日常が送れなくなるかもしれない。秩序が保たれているからこそ平和であり、平和であるからこそ平凡な犯罪行為で小金を稼ぐことができるとおれは思った。

 「それよりもお前さ」意識的に目のピントをぼやけさせ、あらぬ所を見つめていると洋太に肩を叩かれた。「この後本当に時間ないんだよな?」「忙しいっていったろ?」「今ならさ、家に行けば葉っぱがあるんだけど、少し吸いにこないか?」「お前あんまり調子に乗んなよな…」「いや、調子に乗ってるわけでもなんでもないんだ。もちろん金なんか取らねえし、タバコ吸うのとなんら変わらんよ」おれはさすがに腹が立って席を立ち上がろうとしたが、洋太はすばやくおれを引き留めた。もう30貫以上注文していたのに、洋太はさらに注文しようとしていた。

「じゃあ、分かった。ただ、俺の言い分をちゃんと聞いて信じてくれ。葉っぱは本当に悪いものなんかじゃない。大地から生えてくるナチュラルな植物だ。野菜と一緒でちゃんと土から育つもんだ。お前ラスタファリズムって知ってるか?そういう考え方というか主義を知ることでよりこの葉っぱのことが深く理解できる。みんな物事を表面的に捉えすぎなんだよ。この店のBGMもさ、わけわかんない邦楽流してるよりレゲエ流してくれよってな。そうなんだよ、レゲエ聞きながら吸えばよく分かんだって。心地が良いリズムってのがあるのよ。レゲエだよレゲエ。分かるか?」「ああ、でも日本では法律で禁止されてるんだ。やらないにこしたことはない。警察だって目の敵にしてるわけだし」おれは興味がなかった。意味もなくスマホの画面を眺めてみた。

 「バレるバレないとか、俺はそういうくだらない領域の話はしてないんだよ。葉っぱも吸えない世の中なんてみんな潔癖すぎやしないかってことだ。もっと危険な薬物に手を出してるわけでもないし。葉っぱなんて薬物ですらないだろ?お前はさ、今自分が直面してる現実が楽しいか?ええ?少しくらい現実から逃れたいと思うだろう?そのために、みんなスポーツ観戦したり、酒飲んだり、馬鹿騒ぎするじゃねぇか。それと何ら変わりやしないだろう。ほんの少し現実っていう地面から足を浮かせるだけだよ。それも片足だけだ。完全にどっか別の世界にいっちまうわけじゃない。その具合も人によって違うし。少し吸ったくらいで何とかなるわけじゃねぇって」「さっきから言ってるけど明日は面接があんだよ。じゃなくても警察の世話になるかもしれないことはごめんだ」

 洋太は突然食べることをやめて箸を小皿の上に置いた。そして、溜息をつくように顔を下に向け、何かを覚悟したかのように目つきを変えてこちらに顔を向けた。

 「電話でよ、警察に捕まるかもしれないって言ったの、あれほんとなんだよ。いつもみたく街頭でキャッチしてたら声掛けられてさ。『今度見つかったら分かるな』って脅されて。とりあえず調書を書かされたから、嘘の名前とか住所とかを書いといた。あいつら馬鹿だから信じ込んでるに違いねえ。でも、何か腹立たないか?」「何がだよ」「そうやって世の中の大人とか正しい人間とか呼ばれてる奴らに俺たちはいろんなことを強制されてるんだぜ?」「お前がまともな仕事をすればいいだけだろうよ」
 
 早く家に帰りたかった。このままでは、朝まで洋太が語り続けるような気がした。

 「俺はお前と違って大人たちの言いなりになんかなりたくねえよ。それが正しかろうが正しくなかろうが、自分を殺すような真似は絶対にしたくない。今の仕事だって辞める気はまったくない。どうせ警察になんか捕まるわけがないんだから」「一度だけかもしれないけど声かけられてるんだろ?どこで見張られてるか分からないだろ」「じゃあ、お前も辞めろって言いたいのか?え?まともになれってか?」

 洋太が席を立とうとしたのでおれは両手の平を洋太に向けた。

 「まあ、落ち着けって。おれはお前を否定したいわけでも何でもない。ただ何となくほんとに捕まる気がするだけだよ」洋太の口元が緩んだ。「お前は優しいんだか、冷たいんだかよく分かんねえよな。でもな、お前が言ったって辞められない事情もあんだよ…」「何だよ、言ってみろよ」「あと2ヶ月続けないと給料を払ってくれないんだよ。その金をもらうまでは辞めるわけにはいかないんだよ。そりゃ、金持ちの息子からしたら大金じゃないかもしれないけど、俺にとっちゃ生きてくために必要な大切な金なんだ。彼女とくっつくためにも、将来のためにも、無駄には出来ないんだよ」

 一言だけ忠告だけして、隙を見てその場を立ち去ろうと思った。これ以上話を続けられてしまえば、もう自分を抑えることが出来なくなりそうだった。洋太はだいぶ酒がまわったのか、時より目が裏返っていた。

「確かに大事な金かもしれないけど、捕まること考えたら安く済むと思わないか?おれとしてはこれ以上続けないほうが今後のためにもなると思うけどな。もうおれは帰るぞ…」「ほんとに帰るのか?」「ああ、おれだって明日は大事な用事があるんだ」「俺の誘いには返事もせずに逃げるんだな?」「誰も逃げるなんて言ってねえだろ?明日何もなかったら付き合いたかったけど、仕方ねえだろ?」「お前さ、友達なんかいつだって会えると思ってんだろ?」

 おれは何も言わなかった。言い返す気もなかった。「もしかしたら俺とだって明日にでも会えなくなるかもしれない。それに、お前はさ、明日何もなければ俺に付き合ったなんて言ったけど、ほんとのところはそんな気なんてなかったんだろう?どう思ってるか知らんけど、一線を越えようとしないってことは俺のことなんて見限ってるに違いねぇな。それなのに何だ偽善者ぶりやがって。警察に捕まってほしくないだって?あんまし馬鹿にすんなよ!」

 おれも我慢の限界だった。すっかり腹が立っていた。

 「いい加減にしてくれよ!おれだって好きでお前の話を聞いてるわけじゃねぇんだよ。仕方なく聞いてやってんだよ。分かってんのか?お前からすれば、おれとお前は同じ人種だと思ってんのかもしれないけど、それは違うからな!たしかに今まではそうだったかもしれないけど、これからは違うんだよ。おれはこの就職活動とやらをいい機会に歪んだ人生を正そうと思ってんだよ。グチグチ説教しやがってよ、ふざけんなよ。お前はいつまでもそうやってへらへらしてればいいだろ。何年か経ってまた会った時になれば分かるだろうよ。ああ、自分はもっと早く真っ当な人生を生きる覚悟を決めてればよかったってな。金の話じゃねえんだよ。分かるか?信用だよ、信用。お前にはそれが分かってないんだよ!」

 さすがの洋太もすっかり静かになった。高ぶった神経を抑えようとおれは深く呼吸をした。「すいません、お客様。周りの迷惑になりますので…」同じくらいの年の女性店員がおそるおそる声をかけにやって来た。震える片手で何かを握り、厄介事になればいつでも助けが呼べることを言わずとも主張しているようだった。

 「どうもすいません。もう帰りますから」息が苦しかったので早口になってしまった。おれは席を立った。洋太はその場から動かず何も言わず、再び寿司を食べ始めた。「会計は彼が支払うので、僕はこれで。お騒がせしました」

 おれは振り返らずに歩き始めた。心配をして近くにやって来た客が数人いた。おれは悠々とレジの横を通り、ごちそうさまでしたと言って店を出た。外では排気ガスで濁った黒い夜の雨が降っていた。雨が降ることは知らず傘は持っていなかった。家はすぐ近くでもなかったが、濡れて困ることもなかったので、おれは小走りで闇の中を戻っていった。洋太から逃れられて嬉しくはあったが、同時にあんな奴のこと考える必要はないと冷徹な自分になろうとするのだが、なりきれない自分がひどく情けなくもあった。


 翌日、おれは激しく緊張しながらも会社の重役たちを前に自分でもあっぱれと言いたくなるような名演技を見せた。人間いざ追い込まれると、何とかやってのけるものだと思った。その場にいた役員たちはおれのことを勉学と自己の向上だけに命を捧げてきた勤勉な学生であると信じ込んだはずだ。あまりにも人間の本質を見抜けない間抜けな大人たちを目の当たりにしてしまい、拍子抜けした。会社のことになど微塵も興味がわかなかった。くたびれた大人たちと出来レースを作り上げることが馬鹿らしく思えた。

 「最後に何か質問はありますか?」と聞かれたのでおれは「仕事以外に人生で目標を持って取り組んでいる事柄があるでしょうか」と尋ねた。一番端っこに座っていた初老の男性が「最近は、ゴルフでいいスコアを出せるように頑張っていますよ」と答えた。

 1週間後に採用の通知が届いたが、おれは嬉しくなかった。封筒に収められた薄っぺらい紙切れにはおめでとうございます…つきましては…とお決まりのご託が並べられていた。すぐに破り去った。おれの心は曇っていた。会社に連絡をしたらすぐに繋がったが、洋太にはいくら連絡しても繋がらなかった。


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